インドの猛虎・タイガー・ジェット・シンを初めて見たのは、新日本プロレスのテレビ中継だった。
頭にカラフルなターバンを巻き、派手な民族衣装のようなものを着ているタイガー・ジェット・シンがサーベルを口に咥えている。
危険な香りがした。私は衝撃を受けた。
何というディープなインパクト。入場シーンから目が離せない。
タイガー・ジェット・シンは青年実業家で、仕事熱心なジェントルマンであり、政治や教育にも関心が深く、スポーツ振興にも尽力する敏腕ビジネスマンだ。
プロレスも重要なビジネスであり、タイガー・ジェット・シンに成り切っていた。
シンは毎日猛トレーニングを欠かさず、猪木が舌を巻くほどの底知れないスタミナの持ち主だ。
ブッチャーと並ぶ史上最凶、希代のヒールであるタイガー・ジェット・シンも、私の好きなプロレスラーである。
タイガー・ジェット・シンの生涯最高の盟友は上田馬之助で「ウエダさん」と呼び、尊敬していた。シンは上田馬之助のことを最高のファイターであり、ウォリアーと絶賛する。
しかし、当時私はまだ少年だったので、そういう深い部分がわからなかった。反則攻撃で猪木や藤波など「正義の味方」を痛めつけるタイガー・ジェット・シンや上田馬之助は完全に「悪役」だった。
少年にとってプロレスは、ある意味、ウルトラマンや仮面ライダーと同じだったのかもしれない。
1973年に初来日したタイガー・ジェット・シンは、新日本プロレスに参戦。
招待していない外国人レスラーのタイガー・ジェット・シンがいきなり試合に乱入し、オレを出場させろ。さもないと全試合に乱入するとフロントに脅迫的に迫る。そんな演出を当時は信じていた。
シンのサーベルもどうやって外国から持って来るのかと不思議に思っていた。空港は厳しいから咎められるのではないか。
後にシンのサーベルは始めから日本にあったと知り、なるほど納得だ。
タイガー・ジェット・シンの入場シーンは危ない。上田馬之助や若手レスラーの肩を借りるようにして真っすぐ歩けない。
サーベルを手に持ったり、口に咥えたりしながら観客席に雪崩れ込み、皆は逃げ回る。
イスを投げたり、意味もなくセコンドに襲いかかったりして、なかなかリングインしない。
場内アナが真剣に「絶対に物を投げないでください」と連呼するには理由がある。シンに物など投げたら本当に襲われるからだ。
ある時、シンの入場時に観客がヤジを飛ばしたのか、物を投げたのか。急にシンはびっくり眼のような怒り顔で観客席を向くと、どこまでも走って客を追いかけた。
どこまでが演出か本気かわからないからタイガー・ジェット・シンは本当に怖い。
タイガー・ジェット・シンはゴングが鳴る前から反則攻撃が多いが、放送席では山本小鉄がいつも褒めていた。
シンはフレッド・アトキンスの指導で基本となるレスリングテクニックを特訓していた。
とにかく技がスピーディーだ。
ボディにキック。屈んだところを顔面にニーパット。ダウンする相手にコブラクロー。
フライングメイヤーからの首4の字固めも本当に速い。
大技も繰り出す。猪木からギブアップを奪ったことがあるアルゼンチンバックブリーカー。そして強烈なブレーンバスター。
レスリングの基本がしっかりしているから強い。粗暴なだけでは超一流のヒールにはなれない。
1973年の有名な新宿伊勢丹前襲撃事件。リング外でも猛虎ぶりに徹していたタイガー・ジェット・シンは、アントニオ猪木を襲撃した。
やらせか本気か。いろいろと異なった証言が交差しているが、もしもプロレスのサイドストーリーなら、プロレスマスコミが偶然居合わせたという設定になるはず。
サイドストーリーはだいたいカメラが回っているところで行われる。カメラはもちろんプロレスマスコミが誰一人いなかったことから、やらせではないかもしれないという意見に私は一票を入れる。
この襲撃事件から遺恨対決という図式ができあがり、結果的にアントニオ猪木対タイガー・ジェット・シンの試合は話題性があり、盛り上がった。
新日本プロレスは時代劇の勧善懲悪という日本人が好む構図を見事に構築したのだ。
シンの反則攻撃は凄まじい。できれば試合をしたくない相手ではないかと思う。
サーベルの柄で脳天を殴打して流血させ、傷口にバイク(噛みつき)攻撃。
ビール瓶で躊躇なく喉を突き、鉄柱に叩きつけ、イスで連打する。ここぞというところで火炎殺法も飛び出す。
ただ、サーベルの先で突いたことは一度もない。
一度、猪木が激怒してシンのサーベルを奪った時、シンは走って控室まで逃げたことがある。
猪木もシンと同様、演出かマジギレか見分けがつかないレスラーなので怖い。
一線を超えないというプロレスの暗黙の了解を破りかねないプロレスラーは、皆から恐れられ、その緊迫感は観客にも伝わる。
殺し合いに発展するのではないかとファンが不安に思うほどの殺気。これが現代のプロレスにはない昭和の遺産だ。
実際に猪木はシンの腕を脱臼させた。鉄柱にシンの腕を叩きつけ、アームブリーカーを連打する。
新宿襲撃事件から腕折り事件まで、全てストーリーとして続いている。
ともあれ、タイガー・ジェット・シンは初期の新日本プロレスを盛り上げた大功労者といえる。
ある時はほかのレスラーの試合中に、突如としてスーツを着たタイガー・ジェット・シンが現れ、リングサイドのイスに座り、静かに試合を観戦する。
いつもは狂乱ぶりを発揮し、歯を剥き出しにしている顔が多いが、普通にしていると驚くほどの好男子。
猛虎と紳士のギャップ。そんなミステリアスな演出も、プロレスはビジネスと割り切ったシン特有の演出だ。
スタン・ハンセンが語っていた。「俺はシンほどのプロをほかに知らない」と。
演出といえば、シンがいつもの狂乱ぶりではなく、静かにリングインし、マットに絨毯を敷き、中央に灰が入ったものを置き、正座して祈りを捧げ始めた。
すでに臨戦態勢に入っていた猪木が、こういう時は邪魔するのは良くないかと躊躇していると、シンはその灰で猪木に目潰し!
視界を遮られた猪木にシンはブレーンバスター!
不意打ちの奇襲戦法に猪木は激怒。タイガー・ジェット・シンとの試合で何度猪鬼に変身したかわからない。
1979年に開催されたプロレス夢のオールスター戦のメインは、ジャイアント馬場、アントニオ猪木VSアブドーラ・ザ・ブッチャー、タイガー・ジェット・シンだ。
こんな夢のカードが実現したのは、やはり一夜だけだった。
最後は猪木がシンを逆さ押さえ込みでフォールしたが、この4人が同じリングに上がった時点で大成功だ。
タイガー・ジェットシンVS上田馬之助も夢の対決といえる。特別レフェリーはアントニオ猪木。
猪木レフェリーはシンがロープブレイクしないと「ワン、ツウ、スリー、フォー、ファイブ、ダー!」と思い切り頭部にキック!
シンは怒り「テメー何やってんだ?」と目を剥く。本当に面白かった。
試合中、シンが上田馬之助と共闘して猪木に襲いかかり、やはり普通の試合にはならなかったが、見応え十分な一戦だった。
80年代、シンは全日本プロレスでも大暴れして、ジャイアント馬場、ジャンボ鶴田、天龍源一郎、長州力などとエキサイティングな抗争を繰り広げた。
輪島大士のデビュー戦もタイガー・ジェット・シンが務めた。
新日本プロレスに復帰したシンは、馳浩の車を大破したりと、あの新宿伊勢丹前の襲撃事件を彷彿とさせる。
法律上は新宿事件も車の大破も完全に法に触れることだ。しかし、遺恨対決にするためのサイドストーリーとなれば、告訴するプロレスラーはいない。
賛否両論はあるが、プロレスが安心して、食事しながら観戦できるもので良いのか否か。
あの昭和プロレス特有の殺気。緊迫感。演出か本気か見分けがつかない危険さ。
それは令和プロレスに必要か、不用か。