2016年6月12日にテレビ朝日で放送された番組を久しぶりに観た。
「蘇る伝説の死闘 猪木VSアリ」
当時、世紀の大凡戦と酷評された異種格闘技戦は、時が経つにつれ、文字通り真剣と真剣で斬り合う本当の真剣勝負だったことが明らかになった。
1975年(昭和50年)3月。アリが、東洋人でオレと闘う者はいないか。誰でもいいとリップサービス。
これをリップサービスとは考えず、真剣に受けたアントニオ猪木が名乗りを上げ、アリに挑戦状を送った。
猪木自らロスへ飛び、アリ側と粘り強く交渉。「本気か?」「金かかるぞ」と言われたが、猪木はもちろんやる気満々だ。
そして、ニューヨークで「猪木VSアリ」戦が決定して、調印式まで漕ぎつけた。
アントニオ猪木が33歳。モハメド・アリが34歳の時だ。二人は初顔合わせ。猪木はまだアメリカでは無名のレスラー。アリは世界のスーパースターだ。
ビッグマウスで有名なアリは「このペリカン野郎」と猪木を挑発する。猪木は挑発には乗らない。全てリングでお返しする。
アリが来日し、8RKOを予告。
1976年6月18日の記者会見では、アリが猪木に松葉杖をプレゼント。猪木もアリを営業マンとして雇っていいと笑った。
通訳するとアリは拍手した。
アリ陣営は余裕を見せていたが、それは、このビッグマッチがショーだと思っていたからだ。
そして「いつリハーサルをやるんだ?」とアリ側が打診。新日本プロレス側は驚いて、リハーサルなんかない。これは真剣勝負ですよと伝えた。
さらに後楽園ホールで行われた公開練習で事態が動いた。猪木はスパーリングを行い、腕十字など関節技を披露した。
すると、猪木の公開スパーリングを見ていたアリが突然暴れ出した。
今考えると公開練習はマイナスに働いたかもしれない。猪木の技を見てアリ側が厳しいルールを要求してきた。
頭突き、肘打ち、膝蹴り禁止。キックは足の甲のみ。ロープブレイクあり。
このルールを観客がよく把握していなかったので、余計に「何やってるんだ?」というブーイングに繋がってしまった。
猪木はとにかく試合を実現するために、全て承諾するしかなかった。
雁字搦めのルールで、いったいどうやって戦うのか。
もっと怖いのは、アリが試合で使用したグローブは4オンスだ。ボクシングのヘビー級選手権試合では10オンスのグローブを使う。
アリのパンチは200キロとも言われていた。もしも4オンスのグローブでストレートが入ったら目が潰れると猪木が語る。
一発入ればそこで全てが終わる。こうなると立って戦うのが難しかった。
1976年(昭和51年)6月26日、日本武道館でアントニオ猪木VSモハメド・アリの試合が「格闘技世界一決定戦」と銘打たれて行われた。
世界37ヵ国に衛星中継され、14億人が視聴したと言われている。まさに世紀の一戦だ。
猪木は1Rから、パンチをまともに食らわないために半身に構えて接近し、スライディングしてのローキック。これを繰り返すしかなかった。
寝ている猪木にアリは攻撃できない。猪木もパンチをもらったら終わりなので不用意に立てない。
観客もセコンドもイライラする。アリは「臆病者」「立て」と挑発するが、猪木は挑発には乗らない。
蝶のように舞うアリの軽快なフットワークで猪木のローキックは空を切るが、徐々に当たる。
タイミングをつかんだ猪木が強烈なローキックを何発も炸裂させる。しかし「効いてない」とアリがダンスする。
5Rくらいになると、何発も猪木のローキックが決まり、凄い音がする。アリは一瞬ダウンするがすぐに立ち上がる。
6R、アリが寝ている猪木の脚をつかむと、猪木はチャンスを逃さず寝技に持ち込み、アリの脚を決めにかかるがロープブレイク。猪木はアリの顔面に反則のエルボー!
アリが反則技に抗議し、レフェリーも猪木に注意する。
7Rにはアリの脚が赤く腫れ上がっていた。ローキックは効いている。
いよいよアリがKO予告した8Rだが、アリ側のセコンドが猪木のシューズにテープを貼るように要求する。
テープを貼ったくらいでは威力に差はないが、もしかしたらアリの脚のダメージが大きいので、僅かでも長く休ませるための時間稼ぎか。
8Rも猪木のローキックが当たる。しかし猪木も困惑していた。普通のボクサーならとっくに試合放棄している。
ところがアリはまだフットワークで舞いを見せる。何という精神力か。
10R、初めてアリの左ジャブが猪木の顔をかすった。速くて見えなかったのでよけきれなかった。
13R、猪木がタックルに行った時に再びアリの恐怖の左ジャブが顔に入る。
14R、セコンドのカール・ゴッチが猪木に立って戦えと指示する。このままでは決定打がないまま試合が終わってしまう。
立てばアリがジャブを連打して来る。まともに顔面に当たれば終わりだ。
ついに最終の15R、猪木はアリの脚を取ろうと正面から行ったがこれは危険過ぎる。脚をつかんだ瞬間に顎にアッパーでも入ったらアウトだ。
結局15Rタイムアップ。最後のゴングが鳴った時にブーイングが起きた。判定はドロー。引き分けに終わった。
猪木は「踏み込めなかったな、あと一歩。まあ、怖かった一歩」
あともう一歩踏み込めばと思っても、槍と刀で斬り合っているような真剣勝負だと、お互いに踏み込めない。
試合後、アリはやはり脚を負傷していた。血栓症で入院。二ヵ月後の世界戦は中止になった。
猪木は64発のローキックを放ったが、左足甲剥離骨折の重傷。
「あんな怖い試合はなかった」と猪木は語る。
試合後、両雄は抱き合って健闘を称え合ったが、互いに尊敬の念が芽生えた。
アリは猪木に「アリ・ボンバイエ」のテーマソングをプレゼントした。そして、今はお馴染みとなった「イノキ・ボンバイエ」がアントニオ猪木のテーマソングとなった。
猪木のローキックは「アリキック」という名称に変わった。「猪木アリ状態」なんていう言葉も生まれた。
藤原組長が「本当の真剣勝負」と語る猪木VSアリ戦。絶対に負けることが許されない本当の真剣勝負だと、踏み込めないのかもしれない。