アルバイト
澤木一貴です。
おはようございます!
春・・・春休みということで、アルバイトを始める学生さんも多いことでしょう。
ということで、かなり唐突ですが、ワタクシ・パーソナルトレーナー澤木一貴が過去にやったことがあるアルバイトを時系列でご紹介いたします。
【高校時代】
①自動車の部品工場
部活を早々に辞めていたので(笑)、夏休みや冬休みは地元大仁町の工場「臼井国際」に毎日通い。そして、工具で親指を貫きそうな怪我をする><
②有料道路の料金所
地元を走る伊豆スカイラインの料金所でチケット販売・もぎり。当時の総理大臣・竹下首相を乗せた車が通ったことがありました。
③クロネコヤマト
修善寺の配送所で同級生伊本君とアルバイト。配達物の仕分けをしていました。
④ココスの洗い場
大学が決まり、ココスで深夜バイト。男女別学の高校だったのでバイトの女の子と話ができなくて困りました。。
思い返してみると、高校時代になんと4つも!
そんな私は、大学生になり東京は世田谷に住むことになりました。
【大学時代】
⑤コンサートの警備
本当はプロレスの警備のバイトをしたかったのですが、日程が合わず。でも伝説のバンド「コンプレックス」の代々木第一体育館でのライブの警備ができたことは良い思い出です。時は1990年。
⑥マクドナルド
時代は「私をスキーに連れてって」。スキーの板とウエアがほしくて、アパートのすぐ近く・・・世田谷区瀬田の交差点(有名スポット・ユーミンち近く)のマクドナルで深夜バイト。22時~7時、時給1100円。当時かなり高額がバイトでした。私の仕事は裏でハンバーガーづくりと掃除。
⑦フィットネスクラブ
これが現在の私の礎になっているバイト。1991年から「エグザス二子玉川」でマシンジムインストラクターとして活動開始。出たり入ったりはありましたが、大学を卒業するまで3年間続けました。*冒頭の写真は当時、大場くんと。山下三輝も同時期勤務。
⑧造園
大学生は生活が厳しい。エグザスだけでは足りず、造園のバイトも少々。肉体的には過去一番きつかった仕事です。一日中ブロックを運んだり、穴掘ったり、コンクリートつくったり。バブル期だったので大家さんから1万円のこづかいをもらったこともありました。
⑨物流
高校時代のクロネコヤマトの経験を活かして?成城学園前で確か近鉄物流で仕分けのバイトも。
⑩電話オペレーター
これは確か2回くらい「CNプレイガイド」の電話センターで、電話番をやりました。
⑪引っ越し・その1
比較的暇な大学生でしたから、お金がなくなると日雇いのバイトもしました。「日通」の引っ越しのバイトは何度かやりました。このバイトのお陰で教職課程が取れないというアクシデントがありましたが、結果(免許はありませんが)先生(講師)になれました。
そして、1994年、私は大学を卒業し、晴れて全日本プロレス営業部へ入社。
しかし、1年後にはニート・フリーターになることに。
【社会人】
⑪引っ越し・その2
3ヶ月のニート期間を経て、貯金は底をつきました。そんなときは肉体労働。ということで、学生時代を思い出し「日通」へ。大学生にため口をきかれ、指導される、そんな精神力を高める経験ができました。たかのゆりサロンの引っ越しが思い出です。
⑫血液運搬
遂に完全に貯金が底をつき都落ち。地元静岡に戻って始めたバイトは病院やクリニックを軽自動車で回って血液などの検体を集め、検査場に送るバイト。この頃は人生の夢はありませんでしたが、友達ができてそれなりの青春を過ごしていました。
⑬フィットネスクラブ
前述の血液運搬時代(3ヶ月くらい)に知り合った友達からもらった「フィットネスクラブオープニングスタッフ募集!」のチラシを見て、心躍りました。当然、エントリー。ラッキーなことに社員前提で、いきなりチーフ。24才。1995年。ここから社会のレールに戻ることができ、業界内転職を繰り返してきましたが、現在に至ります。
おお、自分でも驚きましたが、
何とアルバイトを⓭も経験していました。
これは大いに現在の自分に貢献していると思いますので、辛かった時代もありましたが、全て良かったと思えます。
さあ、今日も生きるために働こう!