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ノベルの森/アメブロ

オリジナル小説、今はSF小説がメインです。今日からは「多次元文章世界」と題して、ノンフィクション(ショート・ショート含む)とエッセイを展開していきますのでどうぞ応援してください。

「ありがとう」



それは耳にして心地よく、口にして清々しいような。
 

今日は、何故だか嬉しくなるような言葉「ありがとう」について
一筆啓上


 

 

またかとお思いになるかも知れませんが、そうです。
 

 

「ありがとう」も仏教の経典に元となる言葉が記されてありました。

 

 

法句経に曰く
 

 

「人として生まるること難し、やがて死すべきものの、いま生命あるは有難し」と。
 

 

これは「人として生まれたことに感謝して生きよう」という意味ですが、

 

時を経て一般的に感謝を表す言葉

 

として使われるようになりました。

 

やはり仏教は、日本人の精神文化に深く根付いている。そう感じました。

いつも来訪、コメント、応援いただき、「ありがとうございます」

 

 

 

 

 

 

 

 

いつもありがとうございます。

応援いただけると幸いです。

わがまま言ってすみません。

 

 

 

 

首を傾げる言葉に一言

 

昔から首を傾げたくなる言葉がある
これから時に、そんな言葉について勝手に綴ります。

我が家は13世紀に一遍上人と有り難い遭遇を果たしてよりお念仏を称える仏教徒とならせていただきました。300年ほど前には浄土真宗第14代寂如上人に我が家の先祖が剣術をもって警護役として長年お仕えした。その褒美として新たに現在の姓を頂き、宝刀(現在は銃砲刀剣類登録証付)、御文章、五条袈裟などを頂戴し今日に至る。

わざわざ勿体ぶった紹介をさせて頂いたのは、寺院でなければ信用しないという可笑しな考えの方々に素直に聴いて頂くためです。嫌な性格と嫌わないで下さいね。


さて第1回の首を傾げる言葉は
「『往生』の誤った使い方」を正します。

 

間違った使い方の例
1,大変困った思いをした時に「往生した」
2,高齢で眠るように息を引き取った人に「大往生だ」

困ったものです。いつからこんないい加減な使い方をするようになったのでしょうか?

 

 

「往生」とは、そもそも仏教用語です。しかも阿弥陀如来の極楽浄土に「往き」て「生まれる」そのことを「往生」というのです。
人が作った言葉ではありませんので使い方には気を付けるべきかと。


早世した祖母の百回忌が令和6年にせまりました。母に似ていたという祖母を偲んで、時々このような記事を書いていこうかと思います。






 

 

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「鯉の洗い」


わたくしめ、海の街で生まれ育ったせいか・・・???
川魚が苦手です。海の魚でも骨の多いものは苦手ですけど。
子供の頃、小骨がのどに刺さって、しつこく抜けなくて、心底イライラ
した苦い記憶を拭い去れないまま、高校生の頃「鯉の洗い」を
口にしました。親が「食べず嫌いはいかん!」と言うものですから。

で、感想は「二度と食べない!」でした。骨を抜いてないし、やや臭み
を感じたし・・・。

それから成人して東京で働くようになって、あの達人と息子さんを通じて
知り合い、本来口にする機会などあるはずもない、何しろ和食一人前「5万円から」という高級料亭の総料理長が息子さんの友達というだけで、お休みの日にわざわざ「野菜のかき揚げ」「ハゼの刺身」「松坂牛のすき焼き」
などなど、私の為に拵えて頂いた・・・
何しろ、上皇陛下が皇太子殿下の頃、ご成婚のみぎりに料理人の一人として腕を振るわれた、正式に年鑑に名前が載っていた「師範」ですよ!

前置きはこのくらいにして。

ある日、達人よりご招待をいただいて、ご家族と共に湯河原温泉へ!
某旅館へ到着。そこの料理長が達人のお弟子とか、そして!いよいよ
達人が前もって依頼していたという見事な活きの良い鯉が登場するのです。
「準備が整いました」
と料理長が知らせて下さり、いざ厨房へ(滅多なことでは関係者以外を通さないけれどこの日は特別に許されました)


目の前で素早く〆る。鮮度を保つためだけでなく、包丁を入れ易くする為とか。達人は詳しいことは仰いませんので、それ以上はお聴きしません。^^;

お仕事中は目つきが厳しくなって近寄り難いほどになるのです、なので静かに見守ります。料理長も久しぶりに目の当たりにする師匠の手捌きを食い入るように見入っていました。

さて、達人の手による「鯉の洗い」が器に盛られて私の目の前に置かれました・・・。
A君もご家族もみんなこれは珍しくないようで(「ハゼの刺身」の回では『いいなぁ』とやっかみ気味だったのにこの回は余裕の笑顔でした)

さてわたくしめ、本来は苦手なのに、そうとは言えない。そんな複雑な心の内を見て取られないように微笑みながら

私「それではいただきます」
達人「はいどうぞ」

やっぱ、骨はあった・・・!!え!・・・舌や口腔内に・・・そして喉を通る・・・なにこれ!・・・骨が当たる感触はある、だけど痛くない、刺さらない!!美味しい!・・・臭みもまったくない!驚きだ!
それを言うと達人曰く

「川魚に臭みがあるなんて、その料理人の腕が悪いんだよ」と一言。
「骨が邪魔にならないって一体どうなってるんです?」
「包丁の使い方だが、口で説明できやしないよ」と笑顔で、さらに
「これからは川魚に臭みがあるなんて言わないでくれよ。魚のせいじゃないからね」
「はい、良く分かりました。けど驚きです。和食って奥が深いんですね」


 

その後他所でも「鯉の洗い」を頂いたが、あんなに美味しく味わったことはない。




 

 

 

 

さて今回も私のお伝えしたい事がちゃんと伝わったかどうか?
少しでも伝わったとお感じになられましたなら、応援のポチ
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ハゼの刺身


 

 

ハゼ、小さめなサイズが多いあの魚を刺身にして食す!


私が食べさせて頂いたハゼは、マハゼ。サイズは小さめでしたが、私の中では一番カッコイイ「ハゼ」なので問題なし♪
 

頭と尾を除けば残り約5センチ強!
 

これはもう、三枚に下ろすしかない訳で、綺麗に下ろすには一流の「腕」が必須でしょう。

僕の心の呟きが聞こえたのかA君パパこと「達人」が


 

「〇〇ちゃん、腕だけじゃ足りないよこれは、包丁が なまくらじゃハゼに申し訳ない有様になってしまうからね」

 

ということで達人が腕を存分に振るって下さった!

あの画像を残して置きたかった!今のようにスマホがあの頃あれば!・・・。残念^^;

 

それはさておき、
 

想像して見てください。形の良い鯛や鯵を三枚に下した「画」を・・・。

 

鯛や鯵を三枚に下した「画」をあの小さなハゼで見事に実現して見せてくれたのです。
流石は上皇上皇后両陛下ご成婚の料理人!その腕前に感服したものです。


 

そして、そのお味は⁉
 

 

このハゼ、東京は江東区の隅田川沿いで釣れたハゼ!隅田川と言っても河口が近い江東区、なので東京湾は旧江戸湾だから・・・・・
 

江戸前ですぞ、江戸前!

 

何と表現して良いか・・涙出るほど美味いんだけど・・・言葉を失っているとA君が
 

「何とか言ってよ、俺らだって滅多に食べれないんだから、どうなの味は?」
 

「うん、言う事なし。感無量、只々美味しいとしか言えない」

「そうかそうか、そんなに美味かったか・・・正月に九州に帰れなかったから、せめて美味いもの食べさせてやろうと思ってね・・・そんなに喜んでくれて・・・良かったよ」


 

おじさん、いや達人の一言と共に、あの味が甦ってきました。


 

 

次回は「鯉の洗い」になろうかと・・・。多分^^







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友達のお父さん​​




若い頃知り合ったA君、彼は東京生まれの東京育ち。
僕は九州から上京したばかり、なぜか気が合って行き来し始め、九州に帰ってから30年、今もLINEでやりとりしてる。今日はそんなA君のお父さんの話。


そのお父さん、なんと上皇上皇后両陛下ご成婚の時、料理人の一人として腕を振るわれた方だったのです!A君の妹弟とも親しくなれたこともあってか時々夕食をご馳走してくださいました。

ブログ仲間の「新宿そらパパ」さんよりリクエストを頂きましたので、「A君パパ」のお料理、1品ずつ披歴させて頂きます。料亭に行くと「和のコース」1人前5万円から!なので無理。なので1品ずつです。



先ずは、「野菜のかき揚げ」 

材料はごく普通の一般家庭の主婦が買ってくる野菜。
油もごく普通の菜種油(キャノーラ油?)
違うのは包丁、「A君パパ」お気に入りの何度も研いで細くなった刀の小太刀のような印象を受ける包丁でした。


やがて準備が整い、A君の弟君に促されて席につく。

「いただきます」

目が点!見た目がすでに違う!
牛蒡や人参がなんだか活きがいい?・・・。

油が良くきれていて、具材の色が生きていると言うか・・・?
新鮮な野菜サラダがシャキっと立体的に盛り上がった感じ!食べたら口の中でツンツンするかも、と感じたが違う、表現するのに困る舌触り、のど越し。初めての味わい。
幾つ食べても胸焼けしない。美味しすぎる!



翌日A君から電話があり、「相当気に入ってくれたみたいだったから昨日の残り物だけど、よかったら仕事帰りにどうぞってお袋が言ってる」とのこと。
正直言って、昨日のかき揚げでしょ・・・油が回ってるでしょ。
美味しいものに目のないわたくしめ(また呼んでもらえるかも、だから断らない)
で、

「こんばんは」

と勝手知りたるA君ち、どんどん上がって食卓につく。
「A君ママ」がタッパーをキッチンから持ってきてくれた。
フタを外す前に中から「カサカサ」と音がする!


開けてびっくり!まだ揚げたてみたいにシャキっとしてる!

二晩続けてとても美味しくいただいた「野菜のかき揚げ」でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すごく間の空いた更新記事をお読みいただき
ありがとうございます。
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透けている人​​



その日は仕事も完全にオフで12時頃やっと起きて
何食べよう?大黒屋の総菜がいいな、と腰を上げた。「4丁目峠」を過ぎて3丁目の商店街の入口が見えてきた。


・・・何?俺の視界に得体のしれないものが映り込んできた。
旅姿の僧侶らしき人が3人、角の家から出てきた。托鉢行?真ん中に一際存在感を放つ僧形の人。その人を前後で挟むかたちで若い僧形の人が2人、師弟関係?
そんなことより、どうして向こうが透けて見える?

あ!これって霊っていうか、知的生命体? 目が離せずその姿を追っていると・・・!真ん中の人が立ち止まった!前後の若い人たちはやや慌てて立ち止まる。
真ん中の人がこっちを向いた。


目がすごい!身体は透けてるのに瞳だけ黒くて透けていない。
そのお坊様、なんだか珍しいものを見るような目をして俺を凝視してる。
いや、珍しいのはそちら様ですって。
こんな昼間っから、23区内で姿を現すって・・・

気が付くと俺の周囲を歩く人はみんな「なに、そこで突っ立ってんの!」と言いたそうな顔して通り過ぎて行く。


この3人のお坊さんのこと、見えてるのは俺だけ?・・・そうみたいだ。

やっぱりこれって、世にも不思議なあれなんだ。けど、俺を見るお坊さまの目は「気高い」とか「慈しみ」といった感情をおれに抱かせた。
だから、つい俺は微笑んだのだ。
気のせいかあちら様も微笑んでくれたように見えた。


そして3人様ご一行は商店街の角の道を曲がって真っすぐに北方向に進んで行った。


その時、聞き慣れた声がした。「おーい!〇田!」
それは友人の丸山だった。〇田と呼びかけた家から男が飛び出てきた。

丸山の説明によると、〇田なる人は今日、家でバルサンを炊いたが、仏壇の扉を閉め忘れて実行、終わったころを見計らって帰宅してみたら、仏壇の中の曼荼羅が真っ白!

バルサンの煙がくっついたのか、と指で軽くこすってみたが、一文字残らず消えてしまっていたとのこと。


〇田はうずくまって震えている。
多分さっきの3人の僧形をした方々が・・・と判断したので、おれが見たことの一部始終を丸山に話して聞かせた。


「それだよ!きっと!・・・」

すっかり取り乱した〇田に気合を入れて、歩いて15分ほどの彼らの宗旨のお寺さんに真っ白になった曼荼羅を持参して訳を話したら、とんでもなく厳しいお説教を受け、近々本山に参詣しお詫びの題目をあげ、誓約書を提出することになったとか。


その後、ある厳しい修行を重ねたある方にお会いした時に、この話をすると

「そのお坊様が何故あなたをじっとご覧になられたか分かりますか?」

「いえ、未だに分かりませんが」

「そのお坊様のお姿が見える人は、非常に稀だからです」


なるほど、お陰で長年胸中につかえていたものが取り払われてすっきりした気分になれました。






以上、私の貴重な体験でした。気に入っていただけたなら、ポチっと応援をお願い致します。(^^♪

 


 

※ご注意ください​​

これから極端に交通量の少ない道路を車で走ろうという方、心臓の弱い方はこの話読まないで下さい。何か起きても当方は一切責任を負いませんのでご承知おき下さい。(本人はそれほど怖くはない、と思っていますが個人差もあることですから、念のため)

                マトリックスA


 


目撃者が欲しかった話



某県の某市、夜中になると人通りも車の通りも極端に減る国道です。
僅か二車線しかありません。夕方過ぎまでOpenしていた飲食店も灯を落としている。こんな街はずれで車が通らなきゃ客もいるはずがないわけだ。


そんな国道に入る交差点を私は、左折したのです。何故左折?  それは、「右折すると背筋の凍る思いをする」とこの界隈に出没するヤンキーの予備軍でさえ小声で広めたほど危ない国道と言われているからです。   

要するに怖かったということです。


その夜、俺はデートもなく、悪友たちと飲みに行く約束もなく、怖いもの見たさに・・だったら右折しろってことですよね・・・でも、左折したのです。

走り始めて2~3分・・・前方にも後方にも4輪どころか二輪の1台も見えない。

( うん、何もない・・・やっぱ左折したのが良かったんだな )

あと2キロほど道なりに直進したら、大きめのカーブ・・・そこを過ぎたらまた道なりに直線が続く。その辺までで1台も来なかったら、引き返すことに・・・だな。

それにしても、道路沿いに並んだ店、1軒もやってないって?ではある。
1軒くらい馴染みの客が残っていて、看板はしまっていても灯りの中で談笑してる様子が窓から見えていてもよさそうなものだ。
そんなことを考えながら前に向き直った。


( い! いつの間に! カーブの手前にライトが!・・・横に二つ並んでるんだから4輪だよな・・・ 俺がちょっと脇見してる間に、あのカーブを曲がって来たわけだ・・・)

どんな車で、どんな奴が運転してるのか・・・興味がわいてきた。遭遇まであと約2.5キロか?


(あと1キロちょい・・・って!さっきの所からまったく動いてないんじゃ? )
いろんなこと考えたが・・・( !そうか!あの車あそこで止まってんだな! きっとそうだろー、驚かすなよー・・・ )


そうこうしてるうちに、短いトンネルに差し掛かった。これを抜けて1キロも走ればすれ違う。

トンネルを抜けた。

(!あいつ走り出したのか・・・カーブの手前から移動して直線上で俺の車の対向車線にライトが二つ見えた。
さらに走り続ける。


( ちょっと待てよー! なんで近づかないんだー! 非科学的だろー・・また停車してたとしてもこの距離、直線でもう500mないはずだろー!500m走るのに何分かかってる!!・・・そんなの非科学的だってー! )


限界だった、ちょうど運良く前方右側に広い駐車場が見えた!ロープ張ってたって、この際構ってられない! 急ブレーキかけながら飛び込んだ。

ロープ張ってなかったし!スピンしたが、なんとか廃屋のような店舗にぶつかること無く止まった。
何とか道に戻りやすい向きに方向転換した俺は愛車のアクセルを思いっきり踏み込んだ!


タイヤが空回りして大きな音と煙を盛大にまき散らしながら、頭を来た方向に向けてロケットのように突っ走った!!


ウワー!と叫びながらも、俺は怖いもの見たさにルームミラーを覗いた・・・
車のライトが無い!あそこからここまで、T字路もY字路も無いぞ・・・。
俺は飛ばした!スピード違反のきっぷ切られてもl構わない!
​​アクセル全開で走り、例の交差点を右折すると飛ぶように帰って行った。







いかがでしたでしょうか?
♪夏でもないの~に♬ こんなお話してしまいました。^^
よかったら応援ポチっとよろしくお願い致します。

 



 

 

お知らせです。

急な仕事で長崎に出張です!

いつも応援して下さる皆様、すみません、今日の応援のみですみません。

帰宅は明後日になりそうです。

​​​​​
随分前のこと・・・。

東京でも自治会が「火の用心」やるんですね。今はどうなんだろう・・・。

ある寒い日のこと地元の友人に誘われて(強引にね)

地元の江戸っ子(E)「おい、俺一人じゃつまんねえから、付き合えよ・・・。」

田舎もんの私(A)「お願いしてみろ、聞いてやらないこともない」

(E)「ちぇ、・・・頼むよ。あとで12年物のスコッチ飲ませるからさあ」

もう一人の田舎もん(B)が「俺もやるよ」

さっきまでよそ向いてたのに・・・。

で、確か・・・こんな調子で始まったと記憶しています。

(B)「火のよーじん・・・し、しましょー・・・。」
(E)「おい、おい、なんだよ、今のはよー」(笑)

確かに、ひどかった。(A)「俺、拍子木打ち損ねちまっただろうがー」(笑)

(E)「みろよ、あいつ、もろ訛っちまったじゃねーの!」
(A) 「うっせー!このまま帰ってもいいんだぞ!」(怒)
(B)「ダメだよー、シーバス飲めなくなるから!」(必死)

しばらく無言が続き・・・。
静かすぎるのが大嫌いな私は、「何かどうでもいいこと言って笑おうぜ!寒いの忘れんだろ!」

突然始めた。
「長ーい丸ってさあ・・・」
(E,B)「なんだよ、それ・・・」
(A)「何でもいいから、それなーんだ」って言うんだよ。
(E)「しょうがねえ、・・・やるぞ」
(B)「・・・・・・」

「いいか、いくぞ『長ーい丸ってさあ』・・・はい!」

(E,B)「それなーんだ!」(かなりやけに・・・なるよね」

(A)「棒だよねー!」(笑)←たちの悪いバカ。(私です)

(A)「よーし、あ!もう一個浮かんだ!調子出てきたぜ!」
(E,B)「・・・・・・」

(A)「長ーい休みってさあ」
(E,B)「それなーんだ!」

(A)「クビだよねー!」
(E,B)(大爆笑!)した後で「今のは、不謹慎かな」
(A)「確かに・・・」



​※こんな馬鹿でも、今は人の親となり偉そうな顔をしているのであります。​








また、思い出したら書いていいって思う方はポチっと応援
よろしくお願い致します。^^; そうは思わないという方も・・・。

 

 

 

 

 

 

エッセーと言いますか、随想と言いますか・・・。

いずれにしても我が家の系図と言い伝えに残る事柄なので、ノンフィクションでもあります。

まあ、コメントが99になりましたので、ややっ!とばかり何か書かなきゃ、でもまとまらないので・・・。正直言って最近、映画と音の鑑賞、音はアコースティックギターの音色を聴くことにハマってまして・・・・・。^^;

あ、本題、本題。


私んち、えっと父親の実家ですが、史歴だけはそこそこ古く、鎌倉時代から今の家がある場所に住んでまして少々土地を所有し、それを農家の方々にお貸しして、出来た作物の幾分かを頂いて生計を立てておりました。

鎌倉時代という証拠は、あの一遍上人が九州初上陸されたおり、うちの先祖がお持て成ししたということですね。一遍上人というと「踊念仏」で有名ですよね、うん。また「時宗」の開祖様でもあります。


もう一つの歴史上の人物との関わり、まあ間接的にですが。300年ほど昔、うちの先祖の一人が時の将軍、徳川綱吉公のお姿を目の当たりにしたらしいのです。

その先祖、家業よりも剣術が好きでして、大阪の剣術道場で稽古を積んで「免許皆伝」となりまして。

何かの縁で京都にて当時の浄土真宗西本願寺の門主さまの警護役となりました。
ある日その方が徳川綱吉に招待された・・・綱吉公は「生類憐みの令」で有名ですが、実は「儒教」?をかなり嗜まれておられて、公家さんや、諸大名を招いて講釈のようなことをされておられたとか。


で、前出の門主さまも招待されて江戸城へ下られた。そのお供をして京から江戸までの往復の警護の役目を果たしたそうです。

ま、その時頂いたご褒美の品物が父の実家と我が家にも有りますが、手入れが大変!

そう言えば、今日気温は低いのですが、陽射しがしっかりしてたので、↑の品物を大気中で「お風入れ」を行いました。^^









何とか更新しましたので、ご来訪頂きましてお時間御座いましたなら、
コメント、応援をよろしくお願い致します。