【サヴ思う故にサヴあり】

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報告ッス

社会人になりプライベートな事とオフィシャルなこと混在して日記を書いていまうとまずいので当分機密性の高いMIXIの日記に以降しようと思います★


当分更新はないと思うのでなにとぞよろしくお願いします。


ではでは☆

よろしくメカドック

どうも。


社会人になり怒涛の1ッ週間が過ぎました。


今んとこ中々充実した毎日が過ぎていて自分でもびびるくらい勉強ばっかりやっています。


っでついに配属が発表されました。


なんと北九州。


そう博多から電車で1時間の北九州です。


事業部の新社会人で一番西で一番南。


初めはいじめかと思いましたがちょっといい噂も聞くのでガンバります。


ちなみに明日見に行くんですがボクのワンルームマンション、キッチンが5畳で部屋が8.5畳。


お風呂はセパレートで宅配ボックスもついているみたいです。


あと、小倉競馬場がめちゃめちゃ近いみたいでまぁ悪くないかなと思いました。


また当分更新できませんがガンバります☆


新社会人でともに苦しんでいる人ガンバりましょ。

ギラギラの一年生

とうとう明日から社会人。


この一ヶ月びびっている部分はあったけどここまで来るともう腹をくくるしかありません。


それはそうと先日会社の同期と飲み会に行ってきました。


結構知らない人ばっかりだったのですが数少ないお友達の人たちと一緒のテーブルだったのでとても楽しいひと時を過ごせました。


けっして手前味噌ではないのですがよくもここまでコミュニケーション能力が高い奴っていうかおもしろい奴ばっかり集めたものです。まぁまれに初対面で「タバコくれ」とか言って来るクソったれもいましたが。


でも話をしてみるとみんなホントギラギラした奴でどいつもこいつも「オレ最強」「オレ一番」というオーラがバリバリ出てきていました。


こんな奴らと一緒にこれから社会人になって切磋琢磨したらきっとちょっとはましな社会人になれると思いました。


それはそうと実は最近戦国時代の武将の生き様や武士道精神を書いた文庫本にはまっているんですが、改めてこういった偉人の生き様を読むと色々と勉強になります。


ちなみに自分が一番好きな武将は前田利家。


いわずと知れた加賀百万石の戦国大名。


一般的には前田利家って信長、秀吉、家康と時代の覇者に上手く取り入って最後には百万石もの大名になったのだからその上司を選ぶ選球眼がすごいと思います。


それに知の人と知られる利家ですが実は若い頃は信長の側近のエリート舞台として槍を持っていたのだから自分としてはなおいっそう惹かれるものがありました。


一番好きな武将は前田利家で変わりないのですが一番憧れるのは前田慶次です。


信長の部隊の特攻隊長の滝川一益の子供として生まれたが利家の兄の利久に養子として出されます。


こうなれば長兄である利久の息子である前田慶次が前田家と相続することになるのですが、利家が信長に根回しをして前田家を相続できない。これによって前田慶次は不運の人となります。


しかし、決して腐るようなふるまいをせず、自分の信じた事を決して曲げない傾奇者としてその生涯をまっとうします。一番印象的だったのは関が原の合戦で負けるとわかっていながら家康率いる東軍をよしとせず上杉家とその運命をともにします。


この戦でも愛する盟友・直江兼継を救うために一騎で最上軍に特攻したりと武勇伝は欠かしません。


戦が終わって全国の諸大名が浪人の慶次を雇おうとしますが家康に尻尾をふった諸大名を快く思わず自分の主君は家康と敵対しようつ自分の信義を最後までまっとうした上杉景勝だけだといってわずかな石(ごく)で上杉家の家臣となります。


まぁだらだら書きましたがたとえ貧しい思いをしても自分の意志を最後まで貫き通した前田慶次は本当の男だと思います。


きっと今になってこんな色々な戦国大名の生き様がおもしろく思えるようになったおもきっとこれから社会人となって生きていく上で考えることが多いからでしょう。


では最後になりましたが、アメリカの小説家?探偵?のフィリィップ・マーロウの名言を


「強くなければ生きていけない、優しくなければ生きているしかくがない」


男の値打ちというか男の生き様とは何なのかを問いかけるような言葉です。


自分を見失いそうなときはこの言葉を思い出したいと思います。


では明日から社会人なので更新のペースは今以上に遅くなると思いますがたまに見に来てください。


ひとまずさようなら。

GIVE ME THE SIMPLE LIFE

タイトルは課長島耕作の最終話のタイトル。


いや~最近尊敬するO矢氏にいただいた課長島耕作、部長島耕作、取締役島耕作と島耕作シリーズばっかり読んでいます。


ここ最近会社の先輩に電話したり見知らぬ会社員のブログ読んだりして会社の内部情報を集めていますが、これがなかなかここに書けない内容もあってちょっとビビっています。


そんな会社のことはどうでもいいんですが島耕作を読んでホントこんなに人生とんとん拍子に行けば最高だろうなと思います。


離婚するにも奥さんと揉めずに離婚したし、仕事に困ったら周りの女性やホモが一肌も二肌も脱いでくれるし。(実際に脱いでいるシーンもありましたが。)


でも何がいいって仕事人間って言ってしまえばそれまでですが、仕事に対してそこまで熱中できるのがいいと思います。


同じ仕事するにしても


「あ~今日も嫌やな~」


って会社に行くより


「今日も売りましょうか」


と出勤したい。


まぁ泣いても笑ってもあと3日なのでおとなしくしときましょうか。


さて今日は前ふりが長くなりましたが気になるニュースを2つほど。


ひとつはここ をクリック。




なになにどうやら今年の新入社員は「ブログ型」らしいです。


どんな型やねんと思いきや記事を読むと(以下抜粋)


社の枠にとどまらず同世代と連絡を取り合う「ネットワーク力」をブログになぞらえて評価する一方「寂しがり屋で人とつながりたがり、認めてもらいたい欲求が強い」「パソコンに打ち込むだけの傾向も」と、力強さや実行力に欠ける点も指摘している。


らしいです。だからって何でブログやねんと思います。


これって毎年発表していますけどホント毎年的外れですよね。去年は確か発光ダイオード型やったと思うし。なにやら「一見光っているけど熱くはならない」みたいなん。


社会経済生産性本部とかいう民間の機関が毎年だしているらしいがこじつけ甚だしいですね。


っでもうひとつはこれ


全国亭主関白協会「亭主関白道」段位認定基準

らしいです。めちゃめちゃ長い名前ですね。


もうこれには言葉の説明はいりません。


見てください。そして笑ってください。


ただこれを見て思うのが将来自分が結婚して息子が自分の宝物の盆栽を割って正直に謝って来たら初代米国大統領のワシントンの親父の話をするような優しいパパを演じるか、近所のガキんちょが窓ガラスを割ったら「コラー!!」とどなりに行ってガキどもが「ひえ~雷じいさんだ~」とか言ってもらえるような怖い路線でいくか...。


難しいところですね。


それはさておき上の亭主関白協会の認定基準の下の方の


愛妻の素晴らしき進化年表


ってのを是非ごらんください。


もう結婚するのが嫌になりました。


ではまた。

軌跡の果て

先週の金曜日で3年半続けたスーパーのバイトが終焉を迎えました。


大学1年生の8月からバイトを初めて3年半永い間バイトを続けました。


週5でバイトにはいって月に100時間を目安にバイトしていただけに下手したら学校にいる時間よりこのバイト先で過ごしていたかもしれません。


バイトはいったばっかりの時は先輩の影響でひたすらサボることばっかり考えてひどい日なんて5時間バイトはいって2時間はダンボールひいて昼寝するという強烈な日もありました。


しかし、3年半もいると色んな人がバイトで来ましたし、月日が経って自分が立場的に上にのぼっていくに連れ責任感が出てきたのかマジメに働くようになりました。


それに色んな奴が過ぎ去って行きましたが中にはめちゃくちゃ気があうやつもいて飲みに行ったりする仲になった人もいました。


レジの女の子にケンカ売られて口論になり駐車場でギャラリー20人くらいに囲まれたこともありました。


そんなこんなで色々とありましたが、先週の金曜日でバイトもラスト。


仕事事態はいつも通りこなしていきましたが直属の上司が帰る時にちょっといい話をしてもらいました。


ちなみにこいつはっきり言って仕事全然できないし、10歳も年上のパートのおばはんと結婚するし、口をあければ愚痴しか言わないし、話おもんないくせにやたら談笑をしたがるし、ホント人間的に魅力がない人なんですね。


ただこいつももうこのスーパーに入社して10年。相変わらず平社員で人望もないですがずっとこの仕事を続けている事だけは尊敬できます。そんなこの人いはく社会人って言うものはめちゃくちゃ理不尽な事ばっかりでガンバっても評価されない事ばかりらしいです。


だけど大事なのはそんな嫌な事があっても短絡的な判断をしてブチきれてその怒りに身を任せるのではなくグッと我慢する事らしいです。


これはさすがにちょっと重かったですね。


その後の


「まぁいつでも話きいたるからいつでも連絡しておいでや。自分の会社の話とか聞きたいし。」


はっきり言ってこれにはゲンナリ。こいつ明らかに薄給だからちょっと高給なうちの会社に興味があるらしく昔からそういったにおいはしてましたが僕よりその話が目当てっぽくて残念でした。


あと明らかに自分が格上的な感じで言いやがったので少しムカつきました。


時間も9時半となるとバイトの卒業生でバイト先で一番長い時間を過ごしたK山君とI原氏が来てくれました。その後1時間ほど仕事しながら談笑し仕事も終わり。


どんな最後が待っているのかと思いましたが意外にあっさり。


バイトを帰る時に3年半お世話になった夜間店長に挨拶をしさようなら。


その夜間店長いはくsavuは状況判断がいいから社会人なってもやっていけるよとかそんなスゴイ状況判断をしたことないのに上っ面のほめ言葉でさようなら。


そのバイトが終わってからは卒業生の2人と飲みに行き昔話やレジの女の子の話で盛り上がり楽しいひと時を過ごせました。


ちなみに土曜日は現役でバイトしているレジの女性やまだバイトを続けるバイトの友達とお別れ会。


夜間店長がレジで一番かわいい女の子をさりげなく下の名前で呼んでいて、かつ飲みに誘っているという事実をしりゲンナリ。


朝までオールしておもろいお別れ会になりました。


そして昨日の日曜日はボクがバイトはいったばっかりの友達と飲みに行きました。


ちなみにこのバイトにはいった時の1人が中高大と一緒でバイトでも一緒、学校でも一緒と家族みたいな義兄弟A堀さん。


彼ともきっとこの飲みが最後でもう当分会えないでしょう。


ホント適当な奴でしたがお互い落ちこぼれで一緒にガンバって卒業した事を嬉しく思い4年間遊びまわったアホ話に花を咲かせました。


この3日間でバイトの人たちともお別れ。


あのバイトで得た忍耐力で激務に立ち向かって生きたいと思う今日この頃。


最近しけた内容ばっかりのブログで申し訳ないッス☆(><)


一人ぼっちの卒業式

ここ最近送迎会の多さに若干肝臓が悲鳴を上げてそうな今日この頃。


先週末はなかな濃いい日々を過ごしました。


まず金曜日。


その1週間前の大学の卒業式に沖縄でこじらせた風邪のせいで参加できなかったので1週間遅れの卒業式。


ひとりぼっちの卒業式なんて浅田真央ちゃんみたいですね。


ゼミの先生とあらかじめ金曜日に会いに行くとアポをとっていたので先生と約束の午前11時を目指して学校へ。


案の定少し寝坊して急いで卒業式らしくスーツを着て最寄の駅へ。


阪急仁川駅を降りて時間がなかったのでタクシーに乗って大学へ。


大学に着くとまず先に生協に1万6千円を返してもらいに行って財布の中身を暖めました。その後卒業アルバムのお金をまだ支払っていなかったので入学して始めていく財務課で1万3千円という大金を支払う。


そしていよいよ卒業証書をもらうために学部の事務室へ。


「先週の卒業式に風邪で参加できなかったのですみませんが卒業証書いただけますか?」


「あ~はいわかりました。取ってくるのでちょっとお待ちくださいね。」


なんて具合に話して3分ほど待つと


「はい。こちらになります。ではおめでとうございます。」


以上。


これには自分ちょっとガッカリしましたね。


先週参加できなかったとはいえ感動の卒業証書をもらう時にかけてもらう言葉がこれだけかと!?


ホント昔から思っていましたが学校の事務室の奴らなんてそうそうクビになんてなりませんしお役所みたいなもんですね。


さらにこの対応でお役所仕事とはまさにこの事だと思いましたね。


もっと気の利いた卒業証書の本文を読んでくれるとか粋なサービスを期待していたのにガッカリでした。


その後は約束していた大学の先生を学校の近所にあるフランス料理屋さんみたいなところで食事。


フランス料理屋さんなんですが先生がボクの喉を気遣ってくれて食事したのは何故かお弁当。


フランス料理屋さんなのにやたら刺身が上手かったのが気になりましたが、先生からこれから40年働いて行く上で大切な事や仕事しても忘れたらいけない事、大学で学んだことをこれからの人生で生かす方法、きょうびの結婚事情などなど、いつもとちょっと違った話が最後にできてとても楽しかったです。


4年間一緒のクラスでお世話になり大学の単位の6分の1をこの先生からいただいている事もあり先生を学生と言う立場で話をするのが最後だと思うと少し...いやかなり寂しい思いがしました。


そして食事も終わって先生を学部の事務室へ見送り、いよいよさよならの瞬間。


今までの数々の無礼をお詫びすると共に4年間学ばしてもらった事を重々お礼を言ってお別れをしました。


先生を見送るとサークルの溜まり場であるボックスで一人腰掛けてタバコで一服。


入学式で全然友達ができなかった場面や環境とか言うしょうもない授業で生涯の盟友・Jに出会えて事、そのJにサークルの連れて行ってもらった事、クリスマスパーティーをやった事、マリリンと良く一緒にドライブ行った事、義兄弟のA堀と一緒にバカみたいな遊びをした事、その他にも先輩の卒業式やゼミで先生に怒られたこと、隣のサークルの人とケンカしてトイレに行った事などなどあらためて大学で起こった色々な出来事が走馬灯のように流れてきました。


気がつくとホロッと目から汗が流れていました。はっきりいって普通の春休みの日にスーツ着てタバコくわえながら涙流しているとかはたから見て相当きしょかったですが涙が流れてくるのは止めれませんでした。


帰りはこれまたきしょいですが大学の正門で大学に一礼して大学にさよなら。


その後はせっかく大学まで来たので今年になって病気にばっかりなるので門戸厄神に厄落としに行って家に帰りました。


一人ぼっちの卒業式になりましたが、これで大学生を卒業する事ができました。


大学でお世話になった皆さん本当に色々とありがとうございました。


来週の今頃は研修中できっとボコボコにされている事でしょう。


あと1週間のんびり過ごそうと思う今日この頃。

とってもたのシーサー

タイトルは別に頭がおかしくなったわけではございません。


先日の日記で沖縄に行った日記を書いたので今日は写真で沖縄を紹介したいと思いマッスル。


まずはこれ沖縄のアウトレットでの1枚。




ポップな絵とシュールな駄洒落から沖縄のクリエーターの凄みを感じます。


それに何と言ってもアウトレットで駄洒落というセンスの良さに脱帽。


次はこれ。



首里城でのトイレです。


シーサーの口から水が流れます。


ちょっと臭そうですが観光地なので我慢できます。



そして国際どおりの近くの駐車場の近辺の看板がワンピースでした。


ルフィの額には誰が見ても「中」と書いています。


これは明らかにラーメンマンを意識していますね。


そして最後は



ナミですね。これには額に「肉」と。


キン肉マンを連想さします。


火事場のクソ力でも発動さしてくれるのでしょうか。


最近はキン肉マン2世もアメリカで大人気で日本で今深夜でやっているのはアメリカの逆輸入版だと聞きましたがさすが沖縄時代の最先端をいっています。


以上沖縄日記でした。

めんそ~れ沖縄

先週はとんでもない1週間でした。


まさに激動の1週間でした。


タイトルをつけるなら地球激動編とか着けたくなるけどマニアックなので止めておいて、先週は月曜日から沖縄に行って木曜日に帰って来て土曜日には卒業式というハードスケジュール。


まず月曜日ここのブログに書いたように少し風邪気味ですが、沖縄に出発。


1日目は着いたら夕方だったのでレンタカーをみんなでかりに行ってそのまま国際通りとかいうエライたいそうでグローバルな名前の着いた通りへ夕食へ。


現地の人が行きそうな居酒屋で沖縄料理を堪能。特に気に入ったのはやっぱり昔から大好きだったゴーヤチャンプル。豚肉のタイプとスパムのタイプがあるけど僕は豚肉派。豚肉の塩辛さとゴーヤの苦さそして玉子のふんわりした甘さが絶妙なハーモニーをかもし出してました。


あと、ビッグザ武道。あっ間違えた海ぶどうも美味しかったです。それにラフテーって言うんですか煮ブタみたいなんもあれだけでご飯2杯食えそうな勢いでした。ただ豆腐を醗酵さした奴だけは口に合わなかったです。


ただ基本的に美味しかったです。


その日はみんなでPS2のゲームやっておやすみ。


この時若干のどに違和感がある。


2日目は朝早くから起床。8時とか普段では考えられない。午前中はレンタカーで首里城へ。2ヶ月ぶりの運転ですが強気に沖縄の道路をせめました。それにしても沖縄の交通事情ってどうなってんのか知りませんが深夜とかはめっちゃ空いているんですが夕方とかのラッシュの時間になるとやたらめったら込んでいるんですよね。


あとレンタカーですと「わ」ナンバーですが沖縄には「Y」ナンバーなるものがありました。米軍基地で働くアメリカ人の軍の方のプライベートカーが「Y」ナンバーになるみたいでした。


でもYナンバーの人って昔のフェアレディーとかスカイラインとか渋いクルマに乗っていたので昔の日産ラブのボクとしてはちょっと嬉しくなりましたね。あと我々はトヨタのビッツに乗ってたんですが信号待ちで後ろにつけた車がまさにYナンバーの外人さんだったのでミルコクロコップと外人大好きの後席の女性が手を振るとめっちゃスマイルで手を振り替えしてくれました。


その後N子氏の一言


「こんなんだから日本人の女の子ってすぐにやらせると思うんだろうね」


笑顔で手を振っておいてなんて冷静なコメントだなと思いました。


まぁこんな日本人ばっかだから米軍が沖縄に染まらないのでしょう。


そりゃトラブルも続くは。


そんな感じで首里城へ。


首里城はお城っていうより大きな公園って感じで自然がいっぱいでした。それに首里城は丘にあるので山頂まで行くと360度見渡せるのでとても爽快でした。


肝心の首里城自体もキレイな赤を基調に施されてとても艶やかでした。


その後は地元の市場でランチでもとふらつきました。市場で思ったのが沖縄って周りは海だけどあんまり魚の種類って多くないんですね。


市場見回っても同じような魚しか置いてないし売っているマグロのネタもそこまで新鮮に感じられなかったし瀬戸内育ちで魚屋(マグロ屋)の息子のsavuとしてはちょっと残念でした。


ランチは近くの定食屋でゴーヤチャンプル定食を。ボリュームもあってなかなかいい感じでした。


午後からはまたクルマでお菓子御殿とか名前忘れたがけとかいって沖縄を満喫できました。


しかし、いかんせんお菓子御殿ぐらいからどこか体調がおかしい。いやのどが痛い。風邪薬は飲んでいるんですが一向に体調がよくならない。めっちゃ身体を温めて汗をかいているのにどうにもこうにもならない。


しかもフロントで体温計をかりて計ると39度6分。


うん間違いなくこの旅行死んだな。


この後は一緒に行ったサークルの方々に心からお詫びを申し上げたいです。熱出したボクがいたせいで盛り下がった部分は少なからずあると思うし、夜中に病院に運んでもらったりと大変だったと思います。


なんせ最後の夜なんて40度6分なんていう自己レコードを記録して1泊だけ病院に入院しましたからね。そりゃ周りのみんなは心配されたことでしょう。最後の夜はごり押しで抗生物質の点滴を打ちまくって何とか飛行機には間に合いました。一人だけ残って沖縄に入院という最悪のケースだけは避ける事が出来て良かったです。


帰ってからはこの高熱のせいで卒業式とゼミの謝恩会に参加できないという大失態。


卒業式とか大学にもなって感動せんやろ~


って思っていたけどマブダチのN川とJ代から卒業式の話を聞くと中々の感動ぐあいだったみたいで。


確かにサークルの友達とかゼミの友達ってきっとこれから会う機会はあると思うのですが語学の友達やちょっとした友達に会いたかった。


そういう友達ってきっと下手したら一生会わないかもしれない。


なので風邪ひいてでも無理して行くべきやったかもしれません。


しかし、もし行っていたらまたしても入院していたかもしれません。


過去のことを振り返っても仕方ないので前向きに考えようということを今回学びました。


何はともあれ、サークルの皆さん今回の旅行は本当にご迷惑おかけしました...。




By the Way

最近暖かくなりました。


暖かくなったのでパッチ(ももひきとも言いますが)を脱いだり履いたりする毎日です。


2月なんてもうパッチを履かない日なんてなかったぐらいなのに早い話が春を感じています。


春といえば出会いと別れの季節。


特に毎年意識するわけではないですが今年は自分が新しい環境に出て行くわけなので色々と考えさせられる事があります。


その一つとしてもう3月って事もあり、やる事なす事全てにカウントダウンしてしまう。


例えば昨日なんてスーパーのバイトいったらまずシフトのカレンダーをチェックして


「後3回か~」


なんて心の中でため息を付いたりします。


その他にも先日あったサークルの追いコンなどでもやたらめったら


「もう当分会えないな~」


とか思ったりします。


普通に10年以上お世話になっているコンビニに行ってもカウントダウンして今までお世話になったお礼にレジ打っているお姉ちゃんにチップでも渡したくなります。


そんな毎日を過ごしていますがこの春から社会人。


ボクの周りでは地方に飛んでも週末は神戸に帰ってくるって人が多いのですがボクは多分なかなか帰って来ません。


というのもうちの会社では先輩も結構お金がいいので毎週帰省したりしている人が多いみたいですがそれだとお金も貯まらないし、何と言っても親のありがたみがわからなくなりそうなので出来るだけ神戸には帰ってこないようにしようと思います。


そんなスタンスで社会人を迎えるので22年間お世話になったこの街で育った事を嬉しく思いかつ残り2週間を1日1日大事に生きたいと思う今日この頃。


何はともあれ今日から沖縄。


シドニー、香港、有馬温泉と卒業旅行ラッシュでしたがこれが多分最後。


沖縄は日本なだけにシドニーや香港で感じたほどのインパクトはないかもですが、日本最南端の県なので新しい文化に触れれたら最高だと思います。


風邪気味ですが今回の旅も何とか乗り越えてきます!!

We are the Worst

昨日は野球サークルの追いコン。


野球サークルといってもボクは野球の試合に出ることはなくほとんど飲み会のみの参戦。


そもそもこの野球サークルはひょんなことからマブダチになったM野氏が3年前に設立した野球部で破壊王のせいで一時は崩壊したものの見事軌道に乗っていまやうちの大学でも3本の指にはいる屈強なサークルである。


ボクがこのサークルにはいったのは2年前のこと。その当時テニスサークルに入っていたものの倦怠期みたいな中だるみの時期でその時期に新しい友達ができるとなるととても新鮮な気持ちで入サークルできました。


実際入サークルしてみても野球はみんな上手いし、飲み会でも盛り上がるし、野球は大好きだけど高校野球までの管理された野球の反動かやりたいようにやる野球がチームプレーが苦手なボクにも非常に心地よかった。


そんな野球サークルでしたがいよいよ昨日がサークルとしては最後の飲み会。久しぶりに顔を見えることが出来たのでも楽しいのなんのって、ちょっと調子にのって後輩のボンクラが一気をあおりまくってきたので酎ハイ4杯と日本酒2合くらい一気してもうフラフラ。いつも通りトイレに直行でしたがこのフラフラ感が不思議と心地よい。


最後は二次会で後輩の3名と飲んで終電近い電車で帰宅。


終わってみるとこれが最後と言う気はまったくせずいつも通りの飲み会でした。


だけど帰り道三宮から30分ほど歩いて帰っていくと後輩の女の子の「また遊びましょうね」やら「KOBEに帰ってきたら声かけてくださいね」やら「ダーリン飲まなきゃいやだっちゃニャン」とか思い出すと目から汗がでてきました。


みんなと野球もしたし、飲み会もしました、課長島耕作の話もすれば、男のバイブル・クローズの話もたくさんしました。悩み事もたくさん聞いてもらいました。


ホントこの野球サークルに入ることが出来て幸せだと思います。それと同時にこの野球サークルの創始者であると同時に自分をこんな素敵な仲間達と出会わせてくれたM野氏に心から感謝したいと思う今日この頃。


もじ自分が高給な人生を送っているなら上手い酒のいっぱいでもごちそうさえてももらいますわ!!


それではおやすミンミンゼミ☆

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