英語から派生したカタカナの日本語は挙げればきりがなくて、「アプリ」なんてのは最近で言うと最たる例なんじゃなかろうか。全日本国民が知ってるかどうかは知らないけど、少なからずこの文章を読めている人はそのアプリで読めているわけだ。
アプリの凄さは自分も痛感してる。最近では定期的なジョギングも地図を開き走ったコースを指でなぞれば距離が割り出されてしまう。このブログの一つ前はジョギングの記録でしたが読んだ方はご存知の通りで名古屋を走った時の話を書いてる。
時間走をしてみようとなんとなくコースは決めつつ、ホテルを出て50分で戻れる感じでいつもなら50分あれば6分/km 計算で8kmは行ける計算だったのに6.5km位で終わってビックリしたのだ。その距離計算もアプリだった。
アプリとはapplication(和訳:適用性)の略であろう、そしてapplicationはapplyの名詞型である。高校時代、applyは「申し込む」としか覚えてくて苦しめられた記憶しかない。そんな話はいざ知らず、今日の本題はそこに無い。
月曜日夜勤明けで昼の高速バスに乗り名古屋へ行きました、火曜日を過ごし深夜バスで水曜日の朝に大宮へ戻ってきました。結構考えさせられる旅でもしかしたら人生観は変わってしまったのかもしれません。それを書きながら解き明かして行きたいんだけど、分からないまま終わるかもしれない。少なからず、仕事への意識は格段に変わったことは伝えておきたい。そして、もしかしたら39歳で気づくのは遅いくらいの当たり前の事なのかもしれないし恥をさらす事かもしれん。でも、そういうのも込みでブログだし、古くからの知り合いだけど一生会わないかもしれない人への近況報告も兼ねてるから自分の中ではアリなのである。
今気付いたことで「今まで損したなぁ」って思いは強い、でも裏を返せばこれから得して行ければ良いと思うのだ。
前振りが長くなりましたが、今回の名古屋への往復のバスの中、そして名古屋で色んな人と会い交流しました。具体的に名前出したらきりがないし、面倒な推測を避けるために出しませんがありがとうございました。お陰で色々学べましたとだけ、伝えます。
学んだのは結局、人間は一人一人違ってる。遺伝子の組み合わせやらなんやらで違っているのは間違えないんだけど、完璧に同じなんて無いんだから全て求めちゃ行けないんだなって思った。
笑い合える仲の人、年は違うけどプロレスファン・西武ライオンズファン・浦和レッズサポーター・同じ音楽を好む人にすべての思い出や理想の共有を求めすぎるな。あの時の喜びや涙に同じテンションを求めすぎるなと言う話である。完全一致は無理だ、でも同じテンションで話せる時は絶対来ない訳ではない。その時は奇跡を分かち合えば良い。シンプルに言えばそんな所。
手前味噌ながら趣味であるDJの話もそうだ。少なからず5年前は泣かず飛ばずだったのが今はその頃とは比べ物にならないくらいお呼ばれする機会も多い。機械も自分も技術が向上してる部分もあるが、基本は変わってない、冷静になれば変わったのは見る人の目であって自分ではないわけでこれを奇跡と捉えて実力だなんて思わない、ずっと続くなんて思わない方が良い気がしてきた。一つ一つの誘いを大切にする事は今もしてるつもりだけど、変えてはいけないことだ。
ジョン・レノンの世界観に近い気がしてる。つまりは「Imagine」と「Happy X'ma」が混ざった世界。『想像してごらん、国も宗教も肌の色も関係なく平和に暮らす世界をみんなが望めば戦争は終わるよ』みたいな世界だ。
極端な話、あいつ凄い面白いし、自分の味方なんだけど、貧乏揺すり凄いし女子へのセクハラ凄いし、イヤミったらしいし夜はイビキが凄いとかだったら、自分のいる世界の為に我慢して、相手もこちらも致し方なしと寛容になれれば世界の平和は訪れるが、譲れない妥協出来ないとなったら世界の平和なんて先の先とかではなく有り得ない話になっていく。一人一人違うと知った今、完全平和なんて無理だし、ジョン・レノンが夢想家ではないなんて否定は出来ない。
大事な人に我を通すのは無理で相手に妥協すると言うのが大事であるなんて、さすがに大人だから全くやっていなかった訳じゃない。共感出来ない大先輩の冒険話に腐った目を輝かせたり、誰かの20点くらいのギャグに85点の笑いで気持ちよくさせたりなんてよくしてる。でも今思えば営業職の頃にそういう糞上司や顧客に合わせていくことを「人間アプリ」として、合わせていける自分に悦に入っていけたらもっと違った未来があったのかもしれない。
もっとも、自分がその人のために頑張ろうと思うからこそ妥協はするだろうから、今までの殆どの上司を思えばそんな気になれなかったからこそ何回も辞めてるんだと分析できて納得はしてる。
変わった「仕事への意識」はそこで今マンションの受付として、しょうもない居住者や業者はレベルを下げるとかの意識ではなくて、そのレベルの人へも自分が下げるのではなく、そこに合わせて上手く業務をこなすみたいな意識を持つことにした。分かりやすく言うと、今の職場はセキュリティがしっかりしてて、鍵を忘れたりしたら身分照会をして部屋の解錠を付き添うけど、鍵を忘れる常連はいてその人に対して「またこのバカ忘れやがった」と思うのをやめて「この人は病気だから何とかしてあげなきゃ」と介護の気持ちを持つ位に意識を変える事にした。今日は平和すぎたから何もなかったけど、気分は格段に違った。
仕事以外では自分に興味を持ってくれる人には単純に面白いと思ってくれてると言う思い上がりもありつつ、島田という事象を楽しむためにその人が何らかのリスクを負ってくれてる位のつもりでもっと感謝しなきゃとは思うようにしたい。果たして、今までは出来てたのだろうか?共に楽しめる奇跡を続けるために精進しなきゃと思ったし、相手も盛りたてなきゃと思えてきた。逆もしかりでそうでない人に注いできた力を移動すべきなんだと思ってるし、今までは全員に好かれようとしてたけど、それも完全平和に近い理想だったんじゃないかと思う。
それでも目指してこそ!ではある。同じコミュニティでも人の数だけストライクゾーンやヒット曲はあるんだろうけど、自分という事象がそのすべてを網羅したいと言う欲張りな気持ちはある。そこへの答えは簡単で全員に寄せることなんだと気付いてはいるけど、別に寄り添う必要も無い人はいるわけでそれはそれ(笑)。
仮にその人が超が付く美人でこちらの冗談にも乗ってくるし、LINEの返信もすぐだったりしても、新興宗教の会員だと言う真実は国政選挙前じゃないとわからなかったりするわけです。その交わし方やその後の対応法とかは馴れたもんだけど、その人の本質なんて実際に会って、長い尺で話して判断しないと怪しいのは今も昔も変わらなかったりする。まあ、長い尺で話してもわかんなかったりするからめちゃくちゃでもある。
SNSにより国民総メディア時代ともいえるような世の中でみんなが自由に書ける時代になっていて、情報が錯綜したり言葉が違う方向に飛んで行ったりしています。そこに振り回されるのかどうかも自分次第、そこは人間アプリは使えないんだろうなぁ、結局は自分の力が試されてしまうわけです。でも、きっとそういう人と合わせることによって自分の判断能力って広がるかもしれないとかいろんなことを考えてみたりするのです。
ちなみに「火のない所に煙は立たぬ」で意外と芸能人でもねぇのにしっかり自分のプライベートを明かさない人が多くいることに気付いたのがこの名古屋2日間。家族がいるのにその影が見えない、彼氏がいるのにカマトトぶってるとか、でもSNS時代においてそれは最高の防御策なのかもしれないななんて思う、自分なんて曝け出しちゃってるから今更無理ですが。
そんなわけで、今更感満載話ですけど、きっと人によっては色々なことを考えるようになるんだろうなって思います。これを最後まで読んだ人、お疲れ様でした。