3歳下の弟が生まれてからは


母は弟のほうを

断然可愛がった



わたしには

95点だと叱り

100点を持って帰ると

次もとりなさい、と言ったのに


弟が

茶目っけたっぷりに差し出す80点の答案に

たのしそうに笑う



部活の朝練に出かけようとすると


プロになるわけじゃなし

オリンピックに出るわけじゃなし


体力と時間の無駄だ、

と言った


わたしは毎朝

自分で麦茶をわかして

自分で

レモンを入れた砂糖水を凍らしたものだ


なのに


弟が高校でサッカー部のキャプテンになると


もちろんお茶やレモンを持たせて


寒い中でも

応援に行ってたりして



まあ

これを言い出したら

キリがない


明日の朝までかかります😆



自分も母親になってからは


子育て仲間のなかに


「上の子がどうしても可愛くないの」と、

本気で悩んでる人がいるのをみると



うわ

ほんとに

そんなことあるんだ、


さらにうそさむい気持ちになった





弟と同居するのに


実家を建て直してからは



さらにあきらかに

母は私を遠ざけた



なので


わたしは実家?に


靴を脱いで上がる、ということも

ほぼなかったし


たまに母に電話で

婚家の愚痴を始めようものなら

ピシャリと出鼻をくじかれた



あれだけの介護生活


少しくらい

聞いてくれて


なんだったら


褒めて欲しかった



でも



「少しでも文句言ったら


やってることが全部意味なくなる。


だまってやりなさい。」


とにかくなにしろ、

わたしには厳しかった





そんなわけで


母の歌集

と言われても


正直なところ

開くのがいやだった



わたしのことを

書いてるのも


書いてないのも


どちらも

こわいかんじがした






でも

開きました








これらはごく一部



なんと


わたしや

わたしの娘の歌の多いこと…






オセロの全面真っ黒が

ぱたぱたぱたぱたと

全面真っ白になるように



わたしのひがみが

ただ愛されたいきもちになり



母のきびしさが

わたしへの思いに変わっていくようでした



思えば


掃除でも料理でも

とにかく叱られる

褒められない



勉強だけでなく

縫い物なども

絶対手を貸してくれない

おかげで


だいたいのことは

自分ひとりで

なみ一通りにできる



弟と同居しているのに

そこに小姑がしばしば登場すれば

なかなかうまくいくものもいかなかっただろう




婚家での介護も


やりきったわたしを間近でみていたムスメたちは


そこだけは優しい

気働きのする子に育ちました


もしも

母がわたしをいつも庇っていたら


いまのわたしでは

なかった、

と思う






実家の庭のくすのき










母の歌集の最後




「亡くなるのではなく他界へと」



父も母も


いろんな想いをのこし


別の世界に

いったのだな、と思う