愛知中部水道企業団議会の視察2日目は神戸市にある阪神淡路大震災記念「人と防災未来センター」を訪れました。


1995年1月17日午前5時46分、兵庫県淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の地震が発生し、6,400人を超える命が失われました。

まず、震災体験者の方から当時のお話を聞きました。健康づくりのため仲間と山に登っていた時に地震に遭い、家まで帰った時の状況をお話しくださいました。


火事で神戸の上空には至るところに煙が…。当時はストーブが倒れると自動で消える装置がついておらず、停電した暗闇でストーブを消すことに気がいかなかったとのこと。

救出者の生存者の割合は翌日発見以降急激に下がった

震災直後、出勤するサラリーマンは助けが必要な人がいる状況を見て見ぬふり。当時は男性は仕事、家のことは女性に任せて震災後いかに早く会社へ到着するかが美学だったそうです。たび重なる災害により今では人々の認識も変わってきているが、当時見て見ぬふりでなければもっと人が助かったのではないかとのお話がありました。

「1.17シアター」で阪神淡路大震災のすさまじさを体感する上映時間7分間の再現映像を見ました。大きな揺れでビル、病院、駅、高速道路が破壊された衝撃映像に、シアターを出た後皆しばらく言葉を失います。

「大震災ホール」では、姉を亡くし、家も燃えてなくなり、地域の人々に支えられて看護師になった女の子の人生を紹介する「このまちと生きる」というドラマ映像を見ました。「震災までは一人で生きていけると思っていた」という言葉が印象的でした。

「こころのシアター」では、3Dメガネをかけて25分間の映像を見ました。こちらは阪神淡路大震災ではなく、東日本大震災被災地ドキュメンタリー映像です。南三陸町の防災庁舎は、屋上を超えるまでの津波に襲われ、すべてが想定を超えていた状況が分かりました。

震災体験者の方が「人と防災未来センターを見学する目的は震災の苦労話を知ることではなく、これから起きる地震の際にどうしたらよいかを考えることだ」とおっしゃっていたので、私もここで見たことを次につなげていきたいと思います。