今日で平成が終わると聞いた。実際ミーハーなイベントは割と毛嫌いする性質だけど、元号が変わるこのイベントは何かもっとオフィシャルなものを感じるがゆえに言葉を残そう振り返ろうという思いが出てきたから少し書いてみる。

 

僕はフランス系カナダ人のハーフだけど、向こうだと元号とかの概念がない。というか日本だけじゃないのかな記憶が正しければ。

ただ日本だと市役所とかに行くと、おぼつかない常なる記憶のなかなんだっけと今年の平成年号を思い出し、書かされるのを幾度となく経験してきた。

元号じゃなくて西暦でまとめてくれたらと何度も思ったが、日本の歴史に根ざしてるのだろうと妙に納得できる部分もある。

 

平成が始まった元年などはまだ小学生くらいだと思うけど、小学校の6年間は長すぎたという感覚を覚えていて、永遠に思えた。

日本の小学校にほとんど通ったが、あの校庭の雑草が乱れた地面むき出しのトラック、校舎の汚れたコンクリート壁、春の空気、体育館までの通路、全てが懐かしく感じる。中学校は思春期で大変な面もあったが、人格形成の場としての役割だったとただ認識している。

ただ理不尽なルールとかもあったし、それを平然と思考停止して指導している先生方に憤りを感じたのも覚えている。父親の影響でロックとかミクスチャーのバンドを地元でやってた。

 

そして高校では希望が持てず無気力だった自分はバンド以外の趣味とかなく、偽善ぶる人間のやりとりにうんざりしながら過ごした記憶くらいしかない。勉強なんかはその概念がもうはるか遠く行ってしまい、取り返しがつかないほど自分とは無縁なようにしか感じなかったし、接さなかった。

 

高三からずっと10年間カナダに行ってたけど、音楽はなんとなく好きで学生時代やってて、そのままジャズを学ぶ大学へ行った。

今思うと無意識に人生への疑問を抱きながら音楽を聞いてた気がする。抽象的な見えないものにしか真実を見出せない様な感覚で。でもそれはつかめず、学生時代の考えの歪みなどから延長して表層的な人間を演じることに価値を置いていた。まあでもこれら全ては通り抜けてこその勉強なのかと妙に納得させる今は。いい人間でありたい。でも良いと悪いは常に揺れ動く。難しい問題である。

 

つらつらと書いてきたが、最後にまとめるならやっぱり総合してこれからの人生への第一フェーズだったいう気がとてもする。

今までの学び、傷、失敗、偽善、羞恥、後悔、喜びなど全て含めてここまでに至る人生だったんだろう。全てが完璧な世の中が存在したら生きる意味などないのかもしれない。

 

あらゆる思いを引き連れて、日本人に生まれた誇りをもって共に令和時代もよろしくお願いします。

May the Reiwa Era bring you prosperity and happiness and peace.

 

2019.04.30