ラグビー人生14 | 山親父の日記

ラグビー人生14

高1のシーズン。私は真剣にレギュラーを取りに行きました。キャプテンのポジションを狙ったんです。

練習の終わりに横一列に並んで一斉に100mのうさぎ跳をするんですが、露骨に横について、勝負していました。

結局高1のシーズンはリザーブにさえ入れませんでしたが。真剣にそういう気持ちになれたことは春にランパス三本でリタイアした私にすれば随分と成長した期間でした。


シーズン私はタッチジャッジの任を受け、グラウンドに立ち続けました。


先生赴任してから6年目のシーズン。全国大会でも上位を狙える実力を付け、府予選を破竹の勢いで勝ち続け、決勝で宿敵のチューリップ赤園高校を破り、続く京滋代表戦でも八幡工を一蹴して、


悲願の花園初出場をきめます。


タッチジャッジですので一応ロッカールームにも入れましたし。いろんな体験ができました。

全国大会迄の期間、伏見稲荷大社の隣の宿舎で合宿を張り、朝練で稲荷大社の中を走り回り、朝食を摂ったあとみんなで登校してました。


この合宿は大八木さんの隣の布団で、常にあの人にウケる芸ばかり磨いていました。

私の口で吹くラッパが人気で、起床ラッパ、就寝ラッパ。


押し入れに保管した、捕虜のミカン兵を点呼し、戦闘機の役のマコが飛び立つのに合わせて、突撃ラッパを吹く私が、取材に来ていたテレビによって関西ローカルではありましたが放送されました。


私のテレビデビューでした。


いよいよ全国大会、初出場ながら優勝候補で、シード権ももらいます。


近鉄奈良駅の近くの吉田旅館を宿舎にしていました。

現在の赤に黒襟、黒パン、赤ストッキングに黒の折り返しのユニフォームはこの全国大会からです。


お揃いのジャージ上下もこの時揃えました。


順調に勝ち上がり、正月もみんなで迎えられました。

準々決勝は東の優勝候補、國學院久我山でした。


後に大学でお世話になるOさんやHさん他、高校ジャパン候補を多数擁する強豪でした。


伏見は健闘しますが、やはり経験の差か、うちのペースに持ち込めないまま破れてしまいます。

この試合でもタッチジャッジをしていた私は、後半の途中辺りから悔しくて、泣きながらやっていました。

試合を決定付けるトライの後のゴールキックが決まり、フラッグを上げ下げした私は、ルールでは駄目だったかも知れませんが、そのボールを拾いに行き、走ってキャプテンのケロさんに渡しに行きました。


その時ケロさんは私に
「すまんなぁ、頑張ったんやけどなぁ」


と、声をかけ涙をためてセンターラインに向かって、走って行きました。


花園初出場はベスト8でした。