日本共産党のこのかんの「野党共闘路線」の誤りは何だったか。

 

 第1に、共闘(選挙協力)の際の「政策協定」で、肝心な政策を欠落させたことです。それは「安保法制(戦争法)の廃止」です。

 

 たとえば、2021年10月の衆院選挙において、共産党など4野党と市民連合は20項目の「共通政策」で合意しました(写真左)。この中で安保法制については、「違憲部分を廃止する」としました。立憲民主の立場に合わせたものです。しかし「違憲部分」とは何を指すのかは明確にされませんでした。たとえそれが示されたとしても、「違憲部分の廃止」は戦争法の一部の「廃止」にすぎず、「安保法制の廃止」でないことは明らかです(21年12月7日のブログ参照)。

 

 さらに、22年7月の参院選挙において、共産党など3党2会派と市民連合は4項目の「政策要望書」で合意しました。この中には、「違憲部分の廃止」どころか「安保法制」の言葉すら含まれていませんでした(22年6月23日のブログ参照)。

 

 共産党は安保法制廃止は「野党共闘の一丁目一番地」(田村委員長)と言い続けてきました。その「一丁目一番地」を放棄し続けたのです。この経過を共産党は真摯に総括しなければなりません。

 

 第2に、共産党は「野党共闘」によって、他の野党と足並みをそろえるために党独自の重要な政策・立場を放棄してきました。

 

 たとえば、共産党は「日米安保条約廃棄」の旗を公式には降ろしていない唯一の政党です。しかし、「野党共闘」の下で行われる国政選挙ではその主張・政策を後景におしやってきました。21年10月の衆院選挙では、独自ビラでは「日米安保条約の廃棄」を盛り込みながら選挙公報ではそれを削除しました(21年12月7日のブログ参照)。

 

 また共産党は、天皇が出席する国会開会式には欠席してきましたが、2016年1月4日の国会開会式でこの方針を突然変更し出席しました。志位和夫委員長(当時)は天皇に頭を下げることまで行いました。この重大な方針転換は、「野党共闘」の旗を振る小沢一郎氏の助言によるものでした。小沢氏が雑誌で誇示しています(23年7月28日のブログ参照)。(写真右は19年5月)

 

 さらに24年11月11日の特別国会で、政党にとってきわめて重要な首班指名選挙の決選投票において、共産党は白票ではなく立憲民主の野田佳彦代表に投票するという異例の行動をとりました。無原則的「野党共闘路線」の結果です(24年11月13日のブログ参照)。

 

 以上から言えることは、第1に、政党間の共闘・選挙協力には「政策協定」が不可欠ですが、その「政策協定」には各党が譲れない(落とすことができない)重要政策を妥協なく盛り込まなければならないということ。第2に、共闘・選挙協力と党の独自政策の訴えはけっして矛盾するものではなく、同時並行的におこなわれなければならないということです。

 

 そうでなければ「野党共闘」はたんなる数合わせの野合にすぎず、なんら政治変革の力にはなりません。

 共産党が「野党共闘路線を転換する」なら、こうした点を自己検証し教訓を明らかにすべきでしょう。