旅する絵描きの物語
タブローの向こうへ
いせひでこ著、文藝春秋 刊、定価:本体1850円+税
本書は、「週刊文春」(2018年6月21日~2019年4月18日)に連載された、原田マハ著『美しき愚かものたちのタブロー』全42回分の絵を収録、他にもフランス留学時の絵画17点を併載している、本文56ページの大型絵本である。
本書の帯に、下記惹句(コピー)。
いせひでこの絵は、私の物語の翼になった。――原田マハ(『美しき愚かものたちのタブロー』著者)
原田マハの著書は、国立西洋美術館の礎となった「松方コレクション」の収集家・松方幸次郎らを描いた作品。
版元のネット案内には、同書の紹介記事、紹介動画がある。動画には、いせひでこの絵も数点映し出され、サービス旺盛な広告である。
本書の広告にも、もちろん版元は力を入れていて、そこには、こんな記述がある(立ち読みもできます)。
モネ、ゴッホ、ロダン、マティス……名画をめぐる連載小説に、画家や名画をモチーフにした挿絵を描くうち、パリで画家を目指した日々が浮かんできた。そして湧き上がる「絵を描くこと」への思い。
絵の具、筆、キャンバス、パレットなど、絵を描くことにまつわるエッセイとともに、雑誌掲載時にはモノクロだった作品多数をカラーで収録。大人でも子どもでも、絵画を愛する人のための絵本。
過日紹介した『最初の質問』『幼い子は微笑む』(詩は両著とも長田弘)の二冊の絵を描いた画家は、どんな画家なのだろう。そんな興味を持って本書を開いた。
芸大を卒業した著者は、アルバイトで貯めた40万円を頼りに極寒のパリにわたる。1972年2月のことである。
一人で下宿を探し、語学学校の手続きをし、滞在許可証をとり、印象派美術館に無料で入れる入館証を手に入れ、連日美術館や画廊をめぐった彼女。
夕方に手がすくと、屋根裏部屋から見える風景を何度も描く。アパートの住人たちの夕餉の支度騒ぎ、談笑、料理の匂いにヨダレと涙を流す日々。
絵本作家になりたい夢が膨らむばかりで、自らの中から生み出されるものが見つけられない。本と画材、パンとコーヒーだけにしか金を使わずにいたのに、金は尽きる。そうして帰国。
努力し、悩み、才気だけを秘めた貧しき彼女の自画像(水彩)や、スケッチを見ていると、若さへの羨ましさと哀れさがつのってくる。
いせひでこ(伊勢英子)は、旅好きらしい。本の表紙裏カバー袖に「私の絵本は、/最後が見えないまま/出発する旅そっくりだ」と、大きな活字で3行。
「物語はパレットから始まり、パレットで終わる。」の章で、著者は長田弘の詩『幼い子は微笑む』に心動かされ、絵本に仕上げて行く過程について書いている。
パレットは、画家の発見や驚きや、喜びや迷いであふれる。
パレットは、画家とモチーフの対話の軌跡だと思う。
…(中略)…(『幼い子は微笑む』の)
制作中の1年間、私はパレットを一度も洗わなかった。洗えなかった。
長田弘は、この絵本の完成を見る前年に没した。
『幼い子は微笑む』の巻頭、見開き2ページいっぱいに広がる絵には感動させられた。脇に付された詩文は1行。
声をあげて、泣くことを覚えた。
あの絵を、長田は見ることがなかったのだろうか。