駆ける馬、賭けない人

 

 疾駆する馬は美しい。

 競馬場で、牧場で、美浦トレーニングセンターでなど、あちこちで馬は見れる。馬券を買う趣味があれば、もっと頻繁に競馬場に足を運び、馬をみて楽しんだであろう。しかし、あいにく賭け事はしない。

 


 

 家族の一人に困った博打好きがいたせいである。親や姉らから、「あの兄と遊んではいけない」「誘われても勝負事をしてはいけない」と、言われつづけて育ったのだ。

 将棋はもちろん、トランプや百人一首をしても、母はいい顔をしなかった。麻雀や花札など、ルールを知ったのは親の眼が届かぬ大人になってからである。

 もう、その困った兄も、父母もいない。だから、馬券ぐらい買っても問題はない。しかし、囲碁・将棋・競馬など、勝とうと思ったら、それ相応の勉強・努力が必要である。勝つぞと期して精進する過程が面白いとも知ってはいる。しかし、努力なんて、もう、まっぴらの年齢だ。

 乗馬も、三原山などで乗った観光散歩が最後。落馬が怖いから、もう乗りたくもない。遠目に眺め、下掲の写真集などを見るだけで充分である。



タムシン・ピッケラル (著), アストリッド・ハリソン (写真), 川岸 史 (翻訳)
エクスナレッジ  刊

 

 西部劇の映画を見ていると、多くの野生馬が走るシーンがある。そんな場面を見て育ったので、北米には昔から馬がいたのだと思い込んでいた。二十歳過ぎたころ、馬はコロンブス以後に欧州から運び入れたものと知って驚いた。幌馬車を襲うインディアン(=差別用語。いまは、ネイティブアメリカンと表記しなければならない)は、乗馬に不慣れだったわけだ。それにしては、鞍も鐙もなしで、器用に乗りこなしている(映画の中では)。

 その後だいぶ経って、『銃・病原菌・鉄』(草思社刊)がベストセラーになり、いまでは下掲のような図鑑をみなくても、北米の馬は輸入品だと知る人は多かろう。「馬上天下を取る」「兵馬の権」などの熟語を知らずとも、馬が歴史に果たした役割が大きいとは、誰もが知っていよう。ジンギスカンも、義経も、ナポレオンも、シーザーも、みな馬上の人だった。

 

日本ウマ科学会監修 PHP研究所
 

 馬の歴史で、名著と言えるのは、『ウマ駆ける古代アジア』(講談社選書メチエ)。『三国志』の人気者・関羽が乗るのは「赤兎馬」だが、なぜ赤兎なんて名前なのか、その謂われもわかる本。古いけど面白いから、そのうち紹介文を書いてみよう。

 今回は、俳句を一つ載せておしまい。

 ナツアカネ青き眼ぐるり競馬場   (ひとみ)

 わがお師匠さんによる、この句への評は、「まあまあ」というところ。