こんばんは☆
乳がんのみなさんへ♪
好きな団子の種類は?
▼本日限定!ブログスタンプ
好きなお団子は、よもぎだんごです!
あんこが付いていたらなお嬉し
あらためまして
おはようございます
自然氣功師えみこ♪です
昨日のブログに太陽が丸くないって
証拠写真をアップしたせいか
今朝の太陽は丸く写りました
アハハ
言ってみるもんですね
言う事を聴いてくれてありがとう
けど、空氣の濁りは消えていないから、ちょこっとベランダの植物の手入れをしただけで、豪快なクシャミ&鼻水でした
当然ですが、空氣が乾燥しているのに、観えるはずの富士山も観えません
この鼻腔のカピカピ感と喉の違和感は、まるで花粉症薬を飲んだり点鼻薬を鼻にシュッシュッした【副作用】みたい
ケム・トレイルでそう言う成分の化学物質を撒いたみたいですね?
今日の最高氣温が、急に20℃近く上がる予報だなんて、それも不自然ですよね!
【異常気象】=【気象操作】
そのように思われても仕方がないのですよね?
ところで、今朝8時からの『帯津良一達者で生きる』FM西東京プラプラ++をスマホで拝聴しました
男性で88歳と言えば御長寿です
しかも、現役医師でがん専門の名医ですから、みんな『健康長寿の秘訣』を聴きたくなりますよね
ところが、帯津先生は、毎日目が覚めたら、
「今日が最期の日だ!」
と、想うことにしているのだそうです。
なぜでしょうか?
それは、映画『おくりびと』の原作者青木新門さんの『納棺夫日記』を読んだ事と、川越市にある『帯津三敬病院』で帯津先生の回診に随行したお坊さんから、帯津先生が60歳代の頃に、
「死を目前にしておられるがん患者さん達に寄り添う医療と言っても、実際に寄り添うためには、患者さんの一歩でも二歩でも死に近くなければいけません。」
のように言われたからなのだそうです!「そうか!」と目から鱗が落ちて、どうしたら、がん患者さんよりも一歩でも二歩でも【死】に近づけるのだろう?と考えて、
「そうだ!今日が自分自身の最期の日だと想えば良いんだ!」
と閃いたのだそうです。
ですが、現実にはまだ健康な60歳代は死に直面している実感は無くて、、、
70歳の誕生日を迎えるに際して、やっと本格的に「今日が最期の日だ!」と想えるようになったのだそうです。
ところが、やはりそう想っても一日働いて『最期の晩餐』としてお酒を飲んで昆布出汁の湯豆腐を食べても、死ぬのはまだ遠い先の様にも想っていて矛盾を感じていたそうです。
「今日が最期の日だ」と一日を大切に過ごして
「今夜が最期の晩餐だ」と至福の晩酌を済ませて
「早朝には目が覚めて執筆活動」そして
「入院患者さん達の回診と外来患者さん達の診察」
合間合間にインタビューやラジオ出演や出張講義や講座や講演会…
その日常を休まずに元氣に活動するためには、『養生法』が必要なことにも気付かれたそうです
数ある養生法を全て網羅する時間も余裕もありませんから、閃いた三つの養生法に絞ったのだそうです
三人の江戸時代の養生法の達人達
それは、
貝原益軒(83歳)
白隠慧鶴(84歳)
佐藤一斎(87歳)
()内は享年だそうです。
帯津先生は、養生法を極めるためには、先人達の寿命を超えてこそだ!と想って、「今日が最期の日だ」「これが最期の晩餐だ」に加えて、「良いとこ取りの養生法」を編み出して実践してみんなに伝えることにしたのたそうです。
そのためには、自分だけが健康長寿を目指すのではなくて、周りの人達全員が免疫力を上げて自然治癒力を高めて、みんなの生命力を以てしてがん患者さん達の生命力も上げたら、念願の「最高のがん治療」になるんではないかな?と考えておられるのだとおもいます
そして、わたしも、帯津先生の新呼吸法『時空』を学ばせていただいて実践・継続することにより、ますます生命力が高まっていることを実感するにつけ、これは是非、わたしがかつての師匠に学んだ『医療氣功』、そして15年間実践・継続している『太極拳』に『新呼吸法=氣功=時空』を加えて実践・継続して、わたし自身『自然氣功師』と名乗ろうと決心したのでありました
青木新門さんの納棺夫日記
死生観
遺体感
葬送
人間としてこの世に産まれて来て
生きて来て、そして死んで逝く…
元々は、肉体を持っていなかったわたし達の「たましい」
影も形も無いから「たましい」は、普通の人には視えないけれども「存在」を感じることは誰にでもあるとおもいます
耳で聞こえなくても
目で見えなくても
手で触れなくても
舌で味わえなくても
鼻でにおわなくても
確かに在る「たましい」…
この存在感を言葉で表そうとした時に、人は、「神様」と言ったり、「仏様」と言ったり、「ご先祖様」と言ったり、「ベビちゃん」と言ったりしていますよね
ですから、何か嫌な事が起こった時に、「神様はなぜわたしに罰を与えるの?」と言うのはナンセンスなのです。
悪い事が起こるのは、「神様」ではなくて、御自身(人間としての)が原因であることに気付けないと、いつまで経っても「誰かのせいにする癖」は抜けませんし、至福感は永遠に味わえないで、恨み辛みの感情をこの世に遺したまま、この世を去る羽目に遭ってしまいます
遺された人達はどう想うでしょう?
「バケて出てやる!」なんておそろしや…
負の連鎖は断ち切るに限ります
そうしないと、子々孫々に祟りますからね
だからこそ、我欲を捨て、生まれたての清らかな心に戻って清らかな清水の如くサラサラと流れるように生きたいものですよね
春の小川はサラサラゆくよ
岸の菫や蓮華の花に
姿優しく
色美しく
咲けよ
咲けよと
囁きながら
すべてに感謝します🙏
ありがとう
愛してます
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