「パックス・モンゴリカ」(11) モンゴルのTV番組 Face to face(Part1)
FaceToFace(Part1)
Mc:こんばんは、ようこそ、「Face to face」番組へ。
出版ビジネスがこの国に急速に進んでいます。本屋にある外国人やモンゴル人によって書かれた本によって読者の生き方が変わってきます。これらの中でどんな作品とも比べられない作品があります。今日みなさんにJekさんによって書かれた二つの作品を紹介します。モンゴルのチンギス・ハーンについての「チンギス・ハーンの作った新世界(Gengis Khan and the Making of the Modern World」と「モンゴル王妃の秘史(The Secret History of the MONGOL QUEENS)」です。
番組のお客さんとしてJekさんにお会いできてすごく嬉しく思っています。番組への参加ありがとうございます。
出版ビジネスがこの国に急速に進んでいます。本屋にある外国人やモンゴル人によって書かれた本によって読者の生き方が変わってきます。これらの中でどんな作品とも比べられない作品があります。今日みなさんにJekさんによって書かれた二つの作品を紹介します。モンゴルのチンギス・ハーンについての「チンギス・ハーンの作った新世界(Gengis Khan and the Making of the Modern World」と「モンゴル王妃の秘史(The Secret History of the MONGOL QUEENS)」です。
番組のお客さんとしてJekさんにお会いできてすごく嬉しく思っています。番組への参加ありがとうございます。
Jek:こちらこそ、「Face to face」番組に参加できてうれしいです。素敵な番組です。
Mc:ありがとうございます。テレビをご覧の皆さんの中にはJekさんの本を読んだ人がいると思います。特に2004年に出版されたチンギス・ハーンについての本は大体皆が読んだと思いますが、最近、新しくモンゴルの王妃についての本が出版されたと聞きました。読者の皆さんはJekさんの作品のついては知っている思いますが、ご自分について簡単に紹介して貰っていいですか?
またモンゴルへの調査がどのような形で行われてきたかについても、お願いします。
またモンゴルへの調査がどのような形で行われてきたかについても、お願いします。
Jek:一番面白いのは世界中のどの国の子供でもチンギス・ハーンについて、チンギス・ハーンの軍事について読むと目を大きくして、感動の様子が現れます。私もその子供たちの一人でした。チンギス・ハーン、 マルコポーロ、フビライハーンについて読んですごく感動していました。そして、10歳の時5枚の切手を見つけまして、その国が今もあるんだと知ってすごく喜びました。チンギス・ハーンは何千年前にいたのでモンゴルと言う国はないと思っていました。その5枚の切手は1950年に発行され、家畜の絵が載っていました。文字は当然見たことのない文字でしたし、ラクダも全く違うラクダだったのでこの国が今も成立しているならいつか必ず行こうと思いました。これは私の子供のころの夢でした。子供って沢山の夢を持っていて途中で忘れてしまうのが多いでしょう。しかし、私の夢は当時大学に入学した時もまだ忘れられてなかったのです。そして、モンゴルへ行きたい希望を出して見ましたが当時、私の国も、モンゴルも拒否していました。そして1970年ころにもう一回希望を出して見ました。その時は著作管理局?(zohiochdiin evleliin horoo?)に希望を出しました。でもまた許可を貰えなかったです。そして、しばらくの間夢を後回しにしていました。そしたら1990年ころにモンゴルが自由な国になり、私の年齢も50代になっていました。私の夢はかなり小さいときの夢なので実際に行くのはどうかなあと思っていましたが初めてモンゴルに来て心が喜びでいっぱいになりました。初めて大草原、家畜を見て、モンゴルの空気を呼吸してこれはチンギス・ハーンの呼吸していた空気だと思いました。私の人生で一番の最高の時でした。
Mc:長い間の夢を実現し、自然の豊かさに感動し、またこの国についてこれらの作品を書いた人としてモンゴル人またモンゴルの国民についてどんな気持ちだったのですか?
Jek:私にはモンゴルについて悪い情報がいっぱいありましたので最初の24時間はすこし怖かったと言っていいと思います。しかし、モンゴル人が私に対して優しくてフレンドリーでしたので「私の読んだのとは違うなあ」、「私を騙しているのかなあ、なぜこんな優しくしているのかな」と思っていました。そして、初めてモンゴルの家族を訪問して「スーティツァイ(モンゴル風ミルクティー)」を飲んで、また子供と両親と家族の雰囲気に感動しました。私の思っていた国民ではないと思ってここからモンゴル人のことが好きになりました。
Mc:1990年にモンゴルがオープンな国になる前に世界中にモンゴルについて様々話があったと思います。例えば、Jekさんは本にチンギス・ハーンは英雄、勇気のある人など書いていました。でも、モンゴル史が実際とは違う感覚で書かれていたことをJekさんがアメリカ人なのにどうやってわかりましか?
Jek:例えば、昔の本を読めばマルコポーロの書いた本ではチンギス・ハーンのことをすごく尊敬し、チンギス・ハーンの行動を誇らかな様子で書いています。ジェフリー・チョーサーが最初に英語で書いた本でモンゴルについてチンギス・ハーンについて賞賛して書いています。しかし、それ以後のモンゴルについて書いたヨーロッパの本のほとんどがモンゴルのことをマイナスの意味で書いていました。子供の時に読んでいたマルコポーロに書かれて本はプラスの意味で書かれていました。マイナスの意味のものがあっても私は完全にそれを信じたことはありませんでした、もちろん気をつけていましたが、モンゴルに来てまったく違うイメージを見ました。そして、昔の本に何と書かれていたのか、マルコポーロが何と書いていたのか、チョーサーがなんと書いていたのか、子孫が何と言っていたのか、一番大事なのは「モンゴル秘史」に何と書かれていたのかといった全てを振り返って読んでみようと思いました。私の子供時代には「モンゴル秘史」が隠されていて読むチャンスがなかったです。でも、「モンゴル秘史」にはチンギス・ハーンのすべてが正しく書かれていると思って必死に調べ始めました。年齢が50代になっていたのはさっき言ったでしょうね。その年齢で「モンゴル秘史」を調べ始めました。
Mc:「モンゴル秘史」を最初読んだのはいつですか?
Jek:1997年です。そんなに昔のことではないのです。正直言いますと初めて読んだ時まったく意味が分からなかったです。名前も難しかったです。また全てが私にとって新しかったです。そこで、私が本を何回も何回も読むより本を持ってモンゴルの田舎を行った方が良いと思いました。実際に本に書かれていたオノン河、ヘルレン河,トーラ河、ゴビ砂漠、大草原へ行き、そこで本を読むと理解し始めました。オノン河に行きますとチンギス・ハーンが見えて来ます。そこで会った小さい子供が将来のまた違うテムジンかもしれませんでしょう。釣りをするために凍っていた河に穴を開けている子供、弓を飛ばして遊んでいる子供、馬に乗って走っている子供、それぞれを実際に見ることで本を理解するんだということを分かりました。そして、半分を本で、半分をモンゴルにいて、モンゴル国民の生活の中で理解した方がいいと思いました。特に子供を見ることによってチンギス・ハーンにも全ての人々と同じように子供時代があったと言う思いが浮かんで来ます。彼の子供時代を知ることによって全生涯で何をやったかを理解しやすくなります。
Mc:モンゴル史を調べるときに情報があまりなくて、あったとしても他の国の図書館に保管されているとか言われます。Jekさんは情報をどこから手に入れてどんな形で調査して来られたのですか?
Jek:「モンゴル秘史」は私が見つけられたすべての国のすべて書類を比較調査しました。とにかく中国の宋 の大使が当時モンゴルに来て何を見たかとかの長い報告を書いていたのです。また、ヨーロッパのフランスやローマ法王の使者たちが実際にチンギス・ハーンに会えなくても、彼の生活またモンゴルで見学したものを書いていました。ペルシャ人のJoveniと言う作者がいました、彼のお父さんがモンゴル人と一緒に働いていたのでモンゴルに来たことがあるという情報もありました。これらの情報とモンゴル秘史を比べるとモンゴルのまた違うイメージが見えてきます。
(つづく)
「パックス・モンゴリカ」 (10) Weatherford氏へのインタビュー(4)

Weatherford氏へのインタビュー(4)
Mc:”Монгол хатад”という新しい作品を書きましたよね。
J:そうです。チンギス・ハーンとその王妃について二冊の本を書きました。
Mc:Jack WeatherfordFundが著作権を持っていますか?
J:はい。この基金が私の著作物と音楽の著作権を持っています。この基金によって全作品が発行されました。外国語で発行された本の全収入はモンゴル人のために使われています。
Mc:どのような形で使われていますか?
J: 教育、モンゴルの歴史・文化の支援のために使われています。私はモンゴルの歴史以外にモンゴルの音楽、芸術も好きです。
M:外国語で発行されたモンゴルについての作品の全収入がモンゴルの子供たちのために使われていると理解しました。
J: そうです。全作品の収入を全部使っています。
M:Jさんの作品は何カ国語で何部発行されたかの統計はありますか?
J: 約20ケ国語で発行されました。私の許可を取らずに翻訳し発行したものもありますが私は文句を言っていません。すべてを入れると25ケ国語で本、オーディオ、電子データで発行されました。モンゴル語では本とオーディオの形で発行されています。
M:この間Jさんのオーディオが国際的にベストオーディオ本に指名されました。
J: そうですね。2011年は人生の中一番思わぬことが起こりました。大きなサプライズでした。なぜならば、以前歴史関係の作品が受賞したことなかったです。若者は吸血鬼と冒険などが書かれた本に興味持っています。六日間の選択期間中にモンゴル人が沢山の投票をしました。ですから、私の作品が受賞できました。
M:2011年のベストオーディオ作品でしょうね。私も投票しました。
J: ありがとうございます。
M:この本はJさんを世界的に知られる歴史学者と言うことを指摘しているものであり、またこの本からの収入がモンゴルの子供たちの教育のために使われていることが分かりました。誠にありがとうございます。
J: ありがとうございます。
M:Jさんのこの作品がモンゴルの偉大な祖先を世界中に紹介してくれただけでなく、モンゴル語での出版がモンゴル人にも祖先についての知識を得る大切なものになりました。現代のモンゴル人を代表して改めて心からの感謝の気持ちをお伝えしたいです。以前、Jさんの奥さんと会ったことがあります。その時Jさんが車いすの奥さんをよく面倒みてあげているのを見て感動しました。番組に出演して頂きありがとうございました。
J: こちらこそ、ありがとうございました。チンギス・ハーンの子孫であるモンゴルの皆さんが私を親しく迎えてくださって本当にありがとうございました。モンゴル国民は世界中の人々にたくさんの物を提供しました。たまに、思うんですけど、逆に世界中の皆さんはモンゴル国民にあまり多くを差し出していないです。
親しく迎えてくれて本当にありがとうございました。
M: ありがとうございます。Good luck
J : ありがとうございます。
(おわり)
「パックス・モンゴリカ」(9) Weatherford氏へのインタビュー(3)

Weatherford氏へのインタビュー (3)
Mc:チンギス・ハーンの帝国についての話に戻ろうと思います。チンギス・ハーンが束ねてきた帝国が世界史に載っている様々な帝国と同じように分裂しました。あなたの考えでは分裂した理由として何があげられますか?
J:世界中に蔓延した疫病ベストが原因だと思います。疫病によって商売、貿易の利用者である人々がなくなり、モンゴルが作っていた交易システムが崩壊しました。疫病以外に大きな原因はありません。もちろんモンゴルの指導者の中で失敗もありました。例えば;ダイヤモンドはとても硬い宝石ですが何かを強くたたくと割れます。モンゴル帝国は商業の交流で成り立っていました。但し、チンギス・ハーンが永眠した後モンゴル帝国の部族の中に衝突が始まりました。アランゴヤ(Alanguya)妃が子どもたちに平和の大事さを教え諭していました。チンギス・ハーンも同じく子どもたちに平和の大事さを教えていました。チンギス・ハーンは戦争に子供たちを連れて行っていました。でも、子供たちの仲は悪かったです。
Mc:それは惜しみとか欲張りなど人の性格のせいですか?
J:思うのは、性格だけではなく遊牧民の生活の影響もあります。遊牧民は独立性が高かったのでたまに皆で交流するのが難しかったです。チンギス・ハーンの息子たちには限りなく広い国や帝国がありました。でも、長男のジュチ(Zuch)にハーンの役割を継がせることに兄弟が反対しました。チャガダイ(Tsagaadai)とジュチがこのことで言い争っていました。結局、オゴデイ(Ugeedei )が継承しました。しかし、これが帝国の分裂の始まりになりました。完全に分裂しなくてもひび割れになっていました。これから100年後に完全に分裂しました。
Mc:フビライが大元(だいげん)で、元朝(Yuan dynasty)を成立させましたが完全に崩壊しました。原因を何だと思いますか?
J:フビライはトルイの息子です。かなり頭のいい指導者でした。
Mc:私は他のハーンの履歴と比べてフビライ・ハーンの履歴には感動しないです。
J:フビライ・ハーン以外にチンギス・ハーン、モンケ・ハーン(Munkhhaan)、バト・ハーン(Bathaan)などたくさんのハーンを尊敬しています。ただ、帝国を南に成立させると言う外国の指導に従ったのがモンゴル帝国に悪影響を与えました。この選択によってモンゴル帝国のロシア、イスラム、中国周辺が破壊し始めました。馬に乗って成立させた国を馬に乗っては指導できないと言う説明もあります。でも、私の考えでは乗馬して成立した国は乗馬しながら指導すべきでした。フビライ・ハーンが馬から降りたのは彼の失敗でした。
Mc:現代のモンゴル人は馬から降りて久しいです。今のモンゴルの社会についてどうお思いですか?
モンゴルは天然資源と家畜などの特産物で経済的自立を目指しています。
J:二十世紀のモンゴル研究者として著名なのはオーウェン・ラティモア(Оуэн Латтимор)でした。彼の作品はアメリカではかなり論争になっていましたが彼はモンゴルのことがすごく好きな人でした。1960年に彼がモンゴルを訪問した時に2000年にモンゴルがアジアで一番豊かな国になると言っていました。彼は間違っていたと言うのは簡単ですが、彼はかなり頭のいい人でした。彼は中国語とモンゴル語で話せて、アジアの国々の文化をよく知っていました。何かを知っていたからモンゴルの将来のことをこのように発言したと思います。モンゴルがアジアとヨーロッパの他の国民とは違うということを彼は見つけていました。モンゴル人が力を持っていることを彼は見つけていました。私の考えではオーウェン・ラティモアは間違っていません。モンゴルは人口が少ない国ですがアジアの一番力のある国と豊かな国になる能力があります。2006年にモンゴル国民はモンゴル帝国建国800周年をお祝いしました。モンゴル国は九世紀の間に成立していた巨大な歴史の国です。ですからいい将来をモンゴルは待っています。チンギス・ハーンの時代以外にモンゴルには初めて世界で独立するチャンスが出ています。たとえ乗馬しながら成立した国ではなくても、たとえ軍事力を持ってなくても、モンゴルは豊かな国になる十分なチャンスがあります。モンゴル人がアジア人なのにたまにヨーロッパ人のような気がします。モンゴル人がどの外国語でも覚えて、きれいに話すことができています。私の年齢の人々には間に合わないかも知れませんが私たちの子供たちは九世紀の間に成立していたモンゴル帝国になにがあったかを聞いています。
Mc:私たちの子供たちはどのような性格を身につけていたらいいですか?
J:モンゴルの子供たち皆がチンギスハーン・の子孫です。チンギス・ハーンがどんな顔をしていたかは別として現代のモンゴル人の顔からチンギス・ハーンの顔を見ることができます。モンゴルゲルもチンギス・ハーンの顔です。将来のモンゴル人の中から偉大な指導者たちが現れ出ます。モンゴルの遊牧民は困難な時にいつもお互いに助け合っています。でも、ここ15年の間にウランバートルは急激に変わりました。インターネット、ケーブルテレビなど世界中に普及したものをモンゴル人が使っています。なのに、ゲル集落は全く変わってないです。そこにまだ水道の蛇口が設備されていません。何百万の金の鉱山を持っている人がいるのに、同じチンギス・ハーンの子孫がきれいな水を飲んでいないのです。もし、チンギス・ハーンがいたらこれには絶対納得できません。
Mc:同感です。モンゴルのすべての子供たちが水道の水を飲み、シャワーのあるところに住めると信じています。我々の子孫である子供たちのために働かなければなりません。希望が足りないです。意見交換させて頂きありがとうございました。
最後にJack WeatherfordFundについて紹介していただきませんか?
J:この基金は私の友人たちが設立しました。モンゴルの文化、歴史の研究を支援する目的です。でも、基金の名称は私の気に入りません。外国人の名前ではなくモンゴル人の耳に親しく聞こえる名前だった方が良かったと思っています。この基金の目的はモンゴルの文化と歴史を紹介することです。モンゴルの文化と歴史に関係ある作品を発行し、年末に授与しています。
(つづく)
「パックス・モンゴリカ」(8) Weatherford氏へのインタビュー(2)

Weatherford氏へのインタビュー(2)
Mc:作品にチンギス・ハーンは周りの宗教や習慣の異なるハーンたちを指導する力に長けていたと書いていました。どのような指導方法だったか説明して頂けませんか?
J:モンゴル帝国は宗教の差別がなかったです。例えば、チンギス・ハーンの周りにキリスト教、イスラム教、仏教、シャーマニズムの人々がチンギス・ハーンと交際していました。チンギス・ハーンにも宗教がありましたが、それを皆に強要はしてなかったです。ですから、宗教的自由はモンゴル帝国の利点でした。世界史に残されたどの帝国でも宗教の自由を尊重していなかったです。チンギス・ハーンは当時のアジアの他の指導者の中で特別の人でした。彼は現代風の考え方を当時すでに持っていた人物でした。彼は宗教の自由を尊重し、外交関係の安定した交流という理解を根づかせた人でした。外国からの大使、代理人に対して攻撃、非難決議、殺害をしないというルールでした。当時モンゴルの何百人も代理人が殺害されていましたが
Mc:当時のモンゴル帝国が強かった理由は何だと思いますか? ハーンの巧みな指導力の他に国民を強くしていた何か哲学的な考え方とか目標とかがありましたか?過去のモンゴルまた現代のモンゴルの研究している人は必ずこの質問にぶつかると思います。
J:この質問にしっかり、深く考えてからお答えしなければなりません。なぜなら私は外国人です。私はモンゴルが好きです。でも、モンゴル人ではありません。私の答えは歴史上の書類で証明できるとは言えないですが、モンゴル民族がなぜ強かったとかと言いますと、ユーロアジアの地域に住んでいたたくさんのモンゴル部族、遊牧民が自由と言うことを尊重していたからだと思います。自由が好きな遊牧民で誰かの命令に従うのは好きなかったです。これはもちろん遊牧民の遊牧生活の習慣にも関係がありました。遊牧民は朝早く起きて「今日何をしますか?」、「今日は雨が降るかな?」、「来週家畜の放牧している草原の草の伸び具合はどうだろう?」とかの質問に答えなければなりません。遊牧民はいつもいろいろ考えなければなりません。一方、農業をやっている人なら、自分の土地の限られたところだけのことを考えれば済むのです。
Mc:モンゴル帝国が強かったことは自由と関係があると思っていいですね?
J:そうです、自由、また独立心です。
Mc:共産主義の時代に我々モンゴル人はモンゴル史について話す権利はなかったのです。その時代は枯れた花のようでした。但し、自由を手に入れたここ20年はモンゴル史についてかなり多くが語られています。どう思われますか?
J:今日もたくさん話していますね(笑い)。但し、現代のモンゴル人も誰かについて行く、誰かの命令に従うのは好きではありません。それは私にとって興味深いことです。ですから、モンゴル人はお互いに協力して活動する能力が低いような気がします。これは、自由を尊重していることと関係あります。この自由のために動いている力を正しく利用すれば歴史的なものになります。
Mc:正しい道ってなんですか?現在のモンゴル人にとって正しい道とは何ですか?
J:自由と言うのは責任感です。誰でも、自由でなければなりません。チンギス・ハーンは好きなことをやって、自由な生活をしていました。ゲルに生まれ、ゲルで亡くなりました。彼は自分のために巨大な城を作ってもらっていなかったです。彼は本当に偉大な指導者でした。彼は貧乏でした。彼は国民を裕福にしました。でも、彼自身は裕福にならなかったです。これは重要な証拠です。彼に国民のために献身する自由がありました。
Mc:この言葉を今の重役の人々に言いたい言葉ですね。今の国会にいる、またこれから国会に入る皆に言ってほしいいです。マハトマ・ガンディーやチンギス・ハーンは国民を裕福にしていました。
J:そうです。
Mc:Jekさんが白と黒の旗(har suld, tsagaan suld)について書いていました。テレビをご覧の皆さんに黒旗について説明して頂きませんか?
J:テレビをご覧の皆さんもモンゴル史の知識が深いと思っています。黒旗を一番長い間乗っていた馬の尻尾の毛で作っていました。旗(Suld)がその人の人生を表すものでした。
Mc:誰でも旗(Suld)を持っていたんですか?
J:そうです。そして、当人のゲルの外に刺していました。ゲルの外に刺していた理由は風によって旗(Suld)に自然の力が宿ると考えていたためです。旗(Suld)が人間の人生を支えてくれると思っていたのでチンギス・ハーンは二つの旗を持っていました。
J: 旗(Suld=Сүлд)の色は平和と戦争を表します。二色の旗があったのはモンゴルの歴史の重要なもののひとつです。
Mc:現代のモンゴル人が旗を復活させ、セレモニーなどによく使うようになっています。これについてどう思われますか?
J: 歴史の一つが旗なので大事なものだと思います。モンゴル人が尊重してきた旗はチンギス・ハーンとは身体的に関係を結んでないですが、805年の間に国家という意味を表わしてきた重要なものです。旗はモンゴルの古代の歴史の代理なので私自身はたいへん尊敬しています。
Mc:現代のモンゴル人の生活の中に旗以外に昔から引き継がれてきたものがありますか?
J: モンゴル人は自由を尊重するとともに独立心に富んだ国民でした。またすごく勤勉で粘り強い性格を持っています。男性がやるべき仕事を女性がやっているのを見てきました。モンゴル人は何にも怖がらないし、いつも前向きで一日中働きます。遊牧民のこの性質が今までモンゴル人に受け継がれてきました。この性質を長く持ち続けることはモンゴルの将来にすごく大事なことです。
Mc:目標を達成するためによく働く人々だと言いました。これは現代のモンゴル人にすごく大事な言葉だと思います。Jさんはモンゴルに長く住んでいました。たまに夏をモンゴルで過ごしたことがあると思いますが、大草原の中の夏をどのように感じますか?
J: そうです。私はモンゴル国が大好きです。私の家族はアメリカに住んでいます。でも、私の家族は一年の4-5ヶ月くらいはモンゴルで暮らしていて、残りの期間は南カロライナに住んでいます。
Mc:そこはウランバートルだけではないでしょうね?
J: 今はウランバートルにいますが、昔、私が若い時にはウランバートルより田舎が好きで、だた食料品などの買い物だけにウランバートルに来て、また田舎へ戻っていました。ただ、今は齢を取ったので長く田舎に行くのが難しくなっています。また、家内が車椅子なので遠くまで行くのが難しいのです。
Mc:奥さんとあったことありますよ。
J: そう、そう、そうですよね。田舎へは行けないけど、ウランバートルの周りの山を見ると力が湧いて来ます。モンゴルの自然は本当にモンゴルと言う言葉を表わしています。但し、都会はそうではありません。郊外、田舎が心の中に親しく思われているので短期間でも田舎を行っています。
Mc:お子さんは何人おいでですか?
J: 子供二人と孫が六人います。
Mc:モンゴルに来られたことがありますか?
J: あります。息子が妻と、また娘が夫と来たことあります。一番最初の孫はモンゴルに来たことがあり、最後の孫の母親はモンゴルにいるとき妊娠してアメリカで出産しました。
Mc:お子さんたちはこの本の内容や方針に賛成していますか?
J: 一般に、子供たちっていつも親の意見に賛成しないのが多いでしょう。100%ではないが割と答案しているので私は幸せです。彼らにとってなぜこんなにモンゴルのこととモンゴル料理が好きなのか、なぜ大草原や砂で覆われたゴビ砂漠のことを好きなのかが気になるみたいです。
Mc:一番好きなモンゴル料理は何ですか?
J: エズギー(Eejgii=ээзгий)、 アーロール(Aaruul=ааруул)が一番好きな乳製品です。
Mc:どうしてですか?
J: エズギー、アーロールの味はいつも同じではないです。どこに行ってもエズギーとアーロールがありますがそれぞれ違う味を味わうことができます。同じ作り方で作っても今年の味は一昨年の味と違うことがあります。もちろん自然の影響があると思います。たまに、ウランバートルの市場からホブド県、ウムヌゴビ県のエズギー、アーロールを買って食べると実際にその県に行ったような感じがします。ですから私は乳製品が大好きです。
Mc:一番心の中に残ったモンゴルの自然と言いますとどこですか?
J: 私にとって大草原が一番素晴らしいものです。草原の草と生物がそれぞれ違う。とにかく大草原の中にゲルが一つあるそれにすごく感動します。これは本当に素敵です。ボグドハーン山、川、河岸が本当に素敵です。大草原でモンゴルの空気を吸って、モンゴルの風を感じているとチンギス・ハーンの軍隊が来ているような感じを受けます。
(つづく)
「パックス・モンゴリカ」(7)Weatherford氏へのインタビュー(1)

Jack Weaterford氏へのインタビュー(モンゴルのTV番組)
https://www.youtube.com/watch?v=RxV01PO3RY8&playnext=1&list=PL68FCA58E0B03D9C0&feature=results_main
モンゴル語字幕部分の翻訳です。
Mc:ようこそ、マイショーへ
J:ジャルガルサイハン(Jargalsaihan)さんとまたDeFacto番組を御覧の皆さんと一緒にいられて嬉しいです。
Mc:ありがとうございます。Jekさんの本の前書きにモンゴル国のため自分自身を犠牲したたくさんの科学者を尊敬しなければなりませんと書かれていました。これはどう言う意味ですか?。またどなたについてのことですか?
J:20世紀のモンゴルの文化発展のため当時多くの科学者、文学者、俳優、歌手が献身していました。彼らの多くが政治的抑圧の犠牲になりました。私の作品は彼らの作品の続きであり、新しい作品ではありません。我々は1920年代の文学者であるナツァグドルジ(Natsagdorj)の詩を研究するはずです。当時のモンゴルの文学者が一番困難な時代に作品を書いていました。
Mc:Jekさんは部族の宗教、文化についての研究されていました。モンゴルに来る前にどの部族の文化について研究していましたか?
J:作品の多数が米国の生粋のインディアンについてです。私はモンゴル研究者ではありません。モンゴルについて勉強したこともありませんでした。但し、心の呼び声に従いモンゴル民族についての研究は始めていました。学生時代の夢はモンゴルへ旅することでした。モンゴルはソ連に含まれ、冷戦の時代だったため夢を実現できなかったのです。
Mc:最初のモンゴルとのつながりはいつでしたか?
J:12歳の時マルコ・ポーロの作品でモンゴルについて読みました。その作品を読み終わったころからチンギス・ハーン(ChingisKhaan)について研究したい気分になりました。チンギス・ハーン(ChingisKhaan)の生涯が子供向けに書かれていました。それを読んだ後、ゲルに住み、ラクダに乗り、馬乳酒を飲んでいる巨大な民族に想像していました。だから、私は子供ころからモンゴルと結ばれています。コレクションにモンゴルの切手が5枚あります。
Mc:何年に手に入れたんですか?
J:多分1959,60年ごろに買ったものです。
Mc:当時高校生だったということですか?
J:14歳でした。
Mc:お生まれはどこですか?
J:南カロライナ州。カロライナは南の後発開発州であり、カロライナの田舎で育てられました。家族は農場経営でした。
Mc:ご兄弟何人ですか?
J:7人です。
Mc:ご家族に科学者はいますか?
J:いいえ、普通の家族で父は第二次世界大戦に従軍しました。母はガソリンスタンドに勤めていました。両親の出会ですが、戦後、帰ってくる父の乗っていたバスが燃料を取りに母の勤めていたガソリンスタンドに止まり、そこで二人が知り合ったのです。その後父は朝鮮戦争に参加しました。父は最初は軍人でしたが料理人もやっていたようです。
Mc:戦後に出産率が高まりましたがJekさんもそのころのお生まれのようですね。
J:その通りです。ベビー・ブーマーの生まれです。
Mc:大戦後にお父さんが結婚され、ご家族を持ち、ご家族のために色々頑張っておられたでしょうね。
J:そうです。だが、父は専門がなかったため、また朝鮮戦争に行かなければならなかったのです。私は軍人の子どもでした。
Mc:どこの学校に通っていたんですか?
J:南カロライナ州の学校に通っていました。
Mc:なぜ、アンスロポロジー(人類学)の専門家になったんですか?
J:うちの家族はアメリカのあっちこっちに旅行をしていましたし、またドイツにも住んでいました。ハンガリー動乱などのあった恐怖の時代でした。ドイツに住んだことがきっかけで私の
目が開き、異文化、他民族のことを研究し始めたのです。世界を研究し、世界を皆と違う目で見るのがアンスロポロジー(人類学)の魂なのでこの専門を選択しました。
Mc:Jekさんがそれをできていますか?
J:はい、できています。
Mc:今まで何ヶ国に行かれていますか?
J:モンゴルへ来る前に約120国を訪問していました。
Mc:と言うことは、世界の約240国の半分まで訪れているということですね。
J:そうです、その通りです。
Mc:何ヶ国語を話せますか?
J:英語、ドイツ語、スペイン語、もちろんモンゴル語を少し話せます。買い物や外食の時とか、人々との挨拶ぐらいです。
Mc:初めてモンゴルに来られたのはいつころですか?
J:1998年にモンゴルの大草原を旅行しました。1990年にロシアのブリヤートやシベリアなどに旅行したことがあります。
Mc:そういえば、モンゴルに来られる前にブリヤートに行っていたとのことですね。
J:そうです、1990年にはブリヤートへの観光は簡単でした。
Mc:目的は何でしたか?
J:もともと、アジアとヨーロッパの人々の交易を元にしたつながりに興味がありました。トルコ、モンゴル、シベリアの民族がどのようなつながりでお互いに関わってきたのかが面白かったです。特にモンゴル民族を中心に注目してきました。残念ながら当時モンゴルへ旅するチャンスはなかったです。
Mc:最初にモンゴルに来た目的は何でしたか?またどのくらいいたんですか?
J:シルク・ロードに住んでいたテュルク系民族がアジア・ヨーロッパの貿易にどのような役割を果たしていたかのついての作品を書いていました。ですからテュルク系民族が住んでいたモンゴルに旅行したくなっていました。テュルク系民族が住んでいたオルホンバレーからボスニア国まで三カ月をかけて旅行をしたことがあります。またカザフスタン、ウズベキスタンなどにもたびたび旅行しましたが、初めてモンゴルに観光したときからずっと私の心はモンゴルに残りました。飛行機が遅れたたためウランバートルに到着したのは真夜中でした。1990年代のウランバートルの街路は真っ暗でした。何もはっきり見えなかったがその後24時間でモンゴルの素晴らしさを感じました。モンゴルの動物、植物、大草原、連山、山脈がすごく印象に残りました。
Mc:世界中にモンゴルのことを知らせるため大きな貢献したJekさんであり、同時にチンギス・ハーンについて書かれたこの本です。こちらが英語翻訳版でこちらがモンゴル語版です。そして、一番気になるのが本のカバーです。テレビの前で御覧になっている皆さんにカバーのデザインと内容を説明して頂けませんか?
J:当時チンギス・ハーンの写真が見つけられなくて、馬に乗っているモンゴル軍人の写真しか見つけられませんでした。アメリカでは本のカバーは出版社が決めていたため、このカバーになってしまい、出版社の上司は読者がこの写真をチンギス・ハーンと想像できると説明していました。しかし、私はこれは当時のモンゴルのハーンの写真ではありませんと口論し、チンギス・ハーンはモンゴル人、この写真はペルシア、トルコ人の俗人の写真だと言いました。残念ながらその議論に私は負けました。幸いなことに内容は作者の私が書いた通りに出版されました。カバーがチンギス・ハ^ンの写真ではなくても内容はモンゴル人の真実が書かれています。
Mc:作品にはモンゴルは東や西の国々を結ぶ架橋だと書かれていました。なぜですか?
J:世界史では地域的な文明がいくつかありました。例えば;インド、イスラム、ヨーロッパ、東アジアなどです。これらの文明が隣接していて交流をしていましたがアジアとヨーロッパを直接つなげるものは何もなかったのです。当時はだれもアジアとヨーロッパの間を旅行していませんでした。しかし、チンギス・ハーンの時代には東アジアとヨーロッパの国々が毎年交流をしていました。これは一番大事な出来事です。チンギス・ハーンが地域的な文明を結び一つの世界にすることができました。
Mc:作品にチンギス・ハーンは周りの宗教や習慣の異なるハーンたちを指導する力に長けていたと書いていました。どのような指導方法だったか説明して頂けませんか?
J:モンゴル帝国は宗教の差別がなかったです。例えば、チンギス・ハーンの周りにキリスト教、イスラム教、仏教、シャーマニズムの人々がチンギス・ハーンと交際していました。チンギス・ハーンにも宗教がありましたが、それを皆に強要はしてなかったです。ですから、宗教的自由はモンゴル帝国の利点でした。世界史に残されたどの帝国でも宗教の自由を尊重していなかったです。チンギス・ハーンは当時のアジアの他の指導者の中で特別の人でした。彼は現代風の考え方を当時すでに持っていた人物でした。彼は宗教の自由を尊重し、外交関係の安定した交流という理解を根づかせた人でした。外国からの大使、代理人に対して攻撃、非難決議、殺害をしないというルールでした。当時モンゴルの何百人も代理人が殺害されていましたがチンギス・ハーンは海外からの代理人の殺害は一切していませんでした。ただし、モンゴルの代理人を殺害した国の国民に対しては処罰していました。
Mc:バクダッドへ侵入し、破壊したこともこの話に当てはまるんでしょうね?
J:はい、そうです。ホラズム、キエフの侵入も当てはまります。チンギス・ハーンの代理人を殺害した国民はものすごい処罰を受けていました。もちろんモンゴルの代理人に友好的な国民に対して処罰していませんでした。
Mc:キエフにあったでしょうね。
J:そうです。
Mc:ロシアのグミリョフがロシアの成立に重要な役割を果たしたのはモンゴル帝国だと述べていました。Jekさんはこれについてどう思われますか?
J:そうです。私もグミリョフに同感です。彼はモンゴル史に詳しい偉大な学者でした。彼の作品に100%同意はしませんが、この意見には同意しています。ロシアが現代の独立した国家の国と言う理解をモンゴルから伝わってきました。またモンゴルのお陰でロシアのたくさんの部族が一致し合併して独立したロシアになることができました。中国を一つにしたのもモンゴルの帝国だと言う見立てに世界中のたくさんの歴史家、学者が同意しています。また、韓国もモンゴル帝国のお陰です。ですから、モンゴルは現代の世界、地球の成り立ちに重要な役割を果たした国です。また、数百年後ですがムガルハーン(MogulKhaan)のインドが一つになりインド民族になることができました。ですから、現代の国家地図を書いたのはモンゴル帝国と言ってもいいです。
(つづく)
My US Patent and Citing Patent
2012年12月15日(土)記
My US Patent and Citing Patent
こんな映画をみました 「千年の恋 ひかる源氏物語」

2012年12月9日(日)記
『千年の恋 ひかる源氏物語』は東映創立50周年記念作品として作られ、2001年12月15日に公開された。
主演の吉永小百合扮する紫式部が道長の求愛を断って郷里の越前(福井)に帰り、都での生活を振り返って呟くのがこのセリフ。
しかし、実録によれば、式部が越前の国府(武生)に過ごしたのは、一年あまり。
越前の雪のあまりの多さに驚いて都に逃げ帰ったと言うのが真相らしい。
「モンゴルの歴史」Kindle版の出版
2012年12月9日(日)記
「モンゴルの歴史」のKindle版を出版しました。
iPhone、iPadでもKindleアプリで読むことができます。
「モンゴルの概要とアルバム」、「モンゴルの観光」も出版済みで、順次分冊化して出版予定です。
佐藤武久の書籍(リストマニア)はこちらです。

モンゴルの絵本をKindle eBookへ登録
2012年11月27日(月)記
モンゴル国バヤンチャンドマニ村幼稚園の職員の皆さんの作った絵画詩集を電子書籍化して米国AmazonのKindle eBooks に登録しました。
iPhone、iPadではKindleアプリ(無料)で閲覧できます。
Our Childhood in Mongolia(子供だった頃)
