京都ぎらい | 近藤サト オフィシャルブログ「ベルベットフィール」Powered by Ameba

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読んだあとに、置き場に困るので単行本はまず買わない。
ただ、たまに単行本の厚さや字の読みやすさが恋しくなる。

2月29日、渋谷の書店で久しぶりに単行本を物色していて、桐野夏生『バラカ』に目を止めた。
2016年2月29日第1刷発行かぁ、とその日付けが気に入って買おうと思った。

久しぶりの単行本、久しぶりの桐野夏生である。
『バラカ』を手に持ちながら、次に目に付いたのが井上章一の『京都ぎらい』。
タイトルが良すぎる。釘づけになった。

私自身は京都ぎらいでも京都好きでもないが
外国人が東京をトランジットにして、わざわざ訪れる、あの京都を、古のミヤコを、日本文化の塊を『きらい』と言うのはかなりセンセーショナルなタイトルである。
オビには『2016年新書大賞 第1位』とある。

読まねばなるまい、と思った。

嵯峨(洛外)に生まれ育った筆者が洛中の人間から徹底的に蔑まれた経験から、京都の(洛中の)人間を嫌悪する。

筆者が、西陣(洛中)の名士から出身を聞かれ、嵯峨だと言うと、
『昔、あのあたりにいるお百姓さんが、うちへよう肥をくみにきてくれたんや』
と懐かしがられる。

言葉遣いや地理的条件など、洛外の者は細部にまでことごとく差別を受ける。

いつか筆者の憎悪の感情は積もり積もってこの本を書くに至ったようだ。

筆者は京都の中心に住まう人々を、この積年の恨み晴らさいでか、とばかりけなして、けなしてけなしまくる。

その書きっぷりが面白すぎて私は昨日、スターバックスとディーンアンドデルーカで何度か爆笑してしまった。

しかし、実は全編を貫ぬくのは『可愛さ余って憎さ百倍』。洛外に生まれ落ちてしまった宿命ゆえ、京都を愛しても愛しても報われぬ。永遠の恋のような熱いこころのさけびだ。
だから、申し訳ないが笑えるのだ。
読者が笑えば笑うほど、筆者はムキになって筆を進める。

私(岐阜県)にとっては洛中も洛外もほとんど変わりないし、勝手にやってくれ、と初めは思ったが、だんだんその感情がえらく無責任であったと反省しそうにすらなった。

そして、後半、筆者のほこさきはいよいよ本丸、東京に、日本の歴史に向けられる。
後半の展開は、筆者の意見にそうだそうだ!と同調しながら、気分は一緒にデモでもしている気分だった。

久しぶりにイッキ読みの楽しさを味わった本だった。

なのでこれから、『バラカ』を読みます。