翻弄される『美』 | 近藤サト オフィシャルブログ「ベルベットフィール」Powered by Ameba

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今年は伊藤若冲生誕300年ということでまたまた若冲が話題になっている。

先日も山種美術館で若冲を何点か見た。

若冲の絵は非常に上手いと思う以上にヘンだと思う。そのヘンさが他には見当たらない。たぶん相当に変人だったのじゃないかと思う。

4月22日から、東京都美術館で若冲展が開催されるが、これは行こうと思う。そこに日本の歴史があるからだ。

今回、展示される相国寺の『釈迦三尊像』3幅と宮内庁三の丸尚蔵館の『動植綵絵』30幅は、若冲が一式として、相国寺に寄進したものである。

離れ離れになった原因は、明治の廃仏棄釈である。神仏分離令、廃仏棄釈によって多くの名刹、大寺院が廃寺、寺領の縮小になるなか相国寺も窮地に立たされていた。そのとき、皇室に献納したのが、寺宝であった『動植綵絵』なのだ。
何でも献納できるわけではないから、事前調査で皇室の目に止まっていたということだ。
この献納により1万円という莫大な下賜金を得た相国寺は衰退を食い止めることができたという。

しかし、寺宝をやむなく手放さねばならなかった相国寺の思いはどうであっただろう。

それを言えば、私の好きな上野の法隆寺宝物館の宝物も元は同じ経緯を辿り、皇室に献納されたものである。

神仏分離令、廃仏棄釈は今も日本の寺社の歴史を語る上で避けて通れない。

そしてそれは私のような庶民にも影響している。
私の実家は神道である。榊を今も祖霊社に上げているし、墓石も神式である。
先祖が神道になったそのきっかけは廃仏棄釈と見ている。

父のルーツは苗木藩、中野方村(今の岐阜県恵那市)である。
苗木藩は廃仏棄釈の際、徹底的に藩内の寺院を廃寺にした藩で今の神道が多い。
私は子どものころは当たり前のように神式に
則っていたが廃仏棄釈を知り、理不尽な思いに駆られた。仏教徒が一夜にして神道になったのである。




この若冲の、離れ離れにされた絵の邂逅は2007年に相国寺で成された。そして今回、初めて東京で会す。
そして、約一月後にはまたそれぞれの持ち主のところに、別れて帰っていくのだ。

今回は、おそれおも若冲になったつもりで見てみようかと思う。