裏切りの哲学〜最後のKrush〜 | 佐藤嘉洋オフィシャルブログ「明るく生こまい」Powered by Ameba
2019-03-26 11:29:45

裏切りの哲学〜最後のKrush〜

テーマ:ブログ
【イーファイト】

3月30日のKrush99を最後に、Krushの名称は『K-1 KRUSH FIGHT』に変わる。
私は時折運営陣に『K-1 Krush』にしたらいいんじゃないですか、と提言していた側なので、思い入れを語る資格もへったくれもない。
しかしいざ終わるとなると、Krushを立ち上げた宮田さんや黎明期を宮田さんと共に歩んだ、石川直生さん、寺戸伸近選手、山本優弥パイセンほどではないが感慨深いものがある。

私は2005年に宮田さんが興行部長を務めていた全日本キックボクシング連盟を強引な形で退団した。
自ら海外のリングで奪取したWKAとWPKCの世界タイトルは剥奪。
退団直後の記者会見のあと、大久保にあった全日本キック本部にベルトを返しに行った。

自分の誇りのすべてだったチャンピオンベルトを剥奪されたのは無念だったが、私はそれよりも「魔裟斗と戦いたい」という気持ちの方が強かった。

キックボクシングルールではルンピニーのチャンピオンにも完勝し、当時世界最強とまで呼ばれることもあった。
しかし、なかなか評価されない現状にジレンマを感じ、評価してもらえないのは他人のせいにしていたし、嫉妬していたし、劣等感の塊だった。
そしてルールは違えど、キックと似た競技のK-1MAXにいた魔裟斗に、私はどうしても挑んでみたかったのだ。

当然、後ろ足で砂をかけるような形で全日本キックを退団したので、全日本サイドの関係者からは会場で会っても無視されることに。
かなり辛かったが、悪いのは自分なので無視されても自分から目の前に行って挨拶を続けた。
自分の責任である。
そこに関しては恨むことはなく、ただいつも「すみませんでした」という謝罪の気持ちが残っていた。
なんせキックボクシング中量級のエースが、いきなり別競技へと移籍してしまったのだ。
もし自分が逆の立場だったら……仕方あるまい。

K-1転向後、私は何とかルールにアジャストし始め、2007年頃には結果だけでなく、内容でも徐々に魅せられるようになってきた。

【バウトレビュー】

私の全日本キック所属最後の相手が山本優弥だった。
そして2010年7月。
宮田さんと苦楽を共にし、K-1でも溢れる闘志で地位を築いてきた山本優弥と再度拳を交えることに。
そのときの記者会見で、つまり5年ぶりに、Krushを立ち上げて1年弱の宮田さんと、ようやくまともに挨拶することができた。

【バウトレビュー】

山本優弥は私と戦った翌月に、強豪・名城裕司との対戦が、Krushのメインイベントで予定されていた。
しかし試合の2週間前に虫垂炎で山本優弥緊急入院という事態に。

このときのKrushの経営状態はギリギリで、このイベントでコケたら存続に関わる切羽詰まった状態だったという。
今は亡き、当時の私のメインスポンサーであり、真の理解者でもあった隊長を介して「大変困っている」ということを聞いた。

私はツイッターで、当時はまだ作られていなかった言葉のエアリプというものをつぶやいた。

「自分でよければ力になります」

そして私は山本優弥の代打として、宮田さんの興したKrushにスクランブル出場を果たしたのである。

絶縁状態だった宮田充と佐藤嘉洋が、まさかまた一緒になるとは予想外だったようだ。
当時のキック界ではビッグサプライズとして話題になった。
興行的にはほんの少しは助けになったと思われる。

そのお礼にと、宮田さんから託されて、隊長が試合1週間前に私の誇りを取り戻してきてくれた。

そう、チャンピオンベルトである。

しかし写真の印のベルトは見つからず仕舞い。
どなたか行方を知りませんか。
一生かかっても探したい品でございます。


対戦相手となったこの年の名城裕司は、長島"自演乙"雄一郎に1RKO負けを喫して評価はどん底だった。
しかし私は全くナメていなかった。
確か「名城裕司は強い」という題のインタビューか文章も残しているはずだ。
実際、翌年にはアルバート・クラウスにも勝ってK-1MAX日本王者にもなれるほどの選手だった。
戦ったみた結果、なんとか勝利できたが……やはりとてもキツい戦いだった。
正直ホッとした。

今でもこのときのマイクでは、自分で何を言ったか覚えている。

「僕たちの敵は同じ業界の中にいるのではない。外にいる野球やサッカーなどのメジャースポーツです」

そして、2005年に大きく裏切って非常に辛い思いをさせてしまった人に、私は5年後にほんの少しの手助けをすることができた。

【イーファイト】

リング上で、「あの時は本当にすみませんでした」と土下座しようとする私を、宮田さんは「いや、ほんとにもういいから。大丈夫だから。顔を上げてください」と笑顔で制した。

こうして私たちの絶たれた縁は、もう一度繋がった。
絶たれた縁は、絶たれていただけで、無くなった訳ではなかったのだ。

裏切った当時は思いも寄らなかったことなのだが、今改めて思う。

世の中は裏切りに溢れている。
自分も誰かを裏切り、誰かも私を裏切る。
自分と完全に同じ人はいないのだから、それはもう仕方がない。

私はなるべく人を裏切らないように心がけているが、これから先も誰かを裏切るかもしれない。
だからこそ、裏切るならば覚悟を持って裏切らなければならない。

生半可な気持ちで裏切るな!
裏切るならば、徹底的に裏切れ!

そして将来、裏切った相手に恩返しをしたり、手助けをできたりするくらい、自分は絶対に成功するんだという気概で裏切るべきだ。

【2004年7月・日本選抜vs世界.5vs5にて】

縁というものは不思議なものである。
K-1MAXに中量級のエースを奪われた全日本キックの宮田さんが、Krushを作り、発展させ、周りの協力を得てK-1を復活させ、今度はK-1のプロデューサーにまで就任した。

そして宮田さんを裏切った佐藤嘉洋は、K-1MAX倒産以後、国内でのリングはKrushを中心に戦い、復活したK-1のリングにも上がり(KO負けだったけれど)、宮田充リングアナによる最後のコールで引退式も行なってもらい、名古屋Krushの大会実行委員長にも抜擢され、今年12月28日にはK-1名古屋の開催も決定して、今はがっちりと手を組んで仕事をしている。


2005年の全日本キック退団で多くのキック関係者を裏切り、K-1に転向し、Krushに恩返しできた一連の行動は、私を人として大きく成長させた貴重な出来事である。

宮田さんを裏切った過去は、私の中で一生の深手である。
その傷が癒えることはない。
自分の筋違いの行動の過ちをしっかりと受け止めながらも、落ち込まず、毎日反省しながら生きていこう。

最後のKrush、3月30日まで、残りわずか。
私は名古屋のJKF池下で一日仕事で伺えませんが、盛況をお祈りしております。

明るく生こまい
佐藤嘉洋

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佐藤嘉洋活動情報

2018

7.1・JKF池下グランドオープン


2019

3.1・K-1 STYLESに『佐藤嘉洋のK-1千一夜』掲載

3.3・現代ビジネスへの寄稿第8回目!!

3.23・情報の会で『#辞書の旅』講演

5.22・桃の花Presents佐藤嘉洋トークイベント第3回

5.25・岐阜県のPTAで講演

6.28・保育園協会にて武田邦彦先生と講演

7.14・ららぽーと名古屋AZAPA杯でトークショー

12.28・K-1名古屋

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佐藤嘉洋、講談社から作家デビュー処女作

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