ユーリ・メスへの思い入れ | 佐藤嘉洋オフィシャルブログ「明るく生こまい」Powered by Ameba

ユーリ・メスへの思い入れ

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先日試合したユーリ・メス選手。
実は昔から思い入れのある選手でした。
このことを早く書きたかったけど、なかなか気持ちの整理がつかず今日に至っています。
でも、ようやく書くことができます。
ちょっと長くなりますが、ぜひ最後まで読んで頂けたらと思います。
またブログの最後に参考文献もリンクしておきましたので、
そちらの方も参照にしていただけたら、一昔前のキックボクシング業界のことがよりわかるかと思います。
ちなみに今、加筆修正しているのは2014年の私です。
せっかく作家デビューしたので、もう少しプロっぽい文章にしてみました、
内容はほとんど変えていませんのでご安心ください。


ユーリ・メスという選手を初めて知ったのは、私が21歳のときでした。


2001年11月、ドイツ・ハーナウ。
私は20歳のときWKAのタイトルを獲りました。
その1年後の2002年の11月に、前年のタイトルマッチが評価され、オランダ・アムステルダムにて試合が組まれました。
しかも、当時のオランダキック界では最も権威のあったWPKLの世界タイトルマッチに抜擢されたのです。
私が挑戦した王者はフィクリ・ティアルティーという選手でした。
K-1ルールではなくキックボクシングルールでは、当時のオランダで一番評価の高い王者でした。
その興行のセミファイナルにユーリ・メスも出場選手としてポスターに載っていました。
彼の姿を見たのはそのときが初めてでした。
ちなみにその興行には他にもメルビン・マヌーフ、バダ・ハリ、ウィリアム・ディンダー、ドラゴという今にして思えば凄いメンバーたちも出場していました。


試合の二日前にオランダ入りし、時差ボケや体重調整のために軽く体を動かしました。
練習場所はあの有名なチャクリキジム。
汗を流した後、ジム内のコミュニケーションスペースで、
チャクリキジム会長のアーウィンさんの飼い犬デイジーとたわむれていると


『面白いビデオがあるから見てみなよ』


とアーウィンさんがあるビデオを薦めてきました。
そのビデオがユーリ・メスの試合のビデオでした。
TVに映るユーリ・メスはパンチのコンビネーションが早く、
相手の意識が上にいくと対角線コンビネーションでローキック。
そして頭を下げたら、すかさず飛び膝、という多彩な技で相手を圧倒していました。
そのころの私はムエタイ信仰が強かったのでタイ人以外の選手なんて
首相撲からのヒザだけやっておけば誰にも負ける気がしませんでした。
しかし、ムエタイ信者の私でも一目見てわかりました。


コイツは強い。


アーウィン会長は、私がそのビデオに見入っているのを見て、


『この選手がオランダの75kgでは一番勢いがあり、そして一番強い選手だ。』


へえそうなんだ。どうりで強いわけだ。
私が感心しているとセコンドの小森会長が言いました。


『今回ウェルター級でフィクリを倒して一番になったら、
階級を上げてユーリ・メスだな。
これに勝ったら終了だなあ』


ああ確かに。そりゃもう満足して大手を振って辞められる。
と冗談混じりに思っていました。
しかし、そのときのフィクリ戦では後半追い上げたものの、
2Rにヒジ打ちで取られたポイントを覆すまでには至らず、人生二回目の敗北を経験することになりました。
ちなみに、ユーリ・メスはKHARIDという選手にKO勝ちしていました。


時は一年過ぎて2003年の12月、オランダ・ロッテルダム。
その年の8月に私はルンピニー王者に念願の勝利を収め、
スーパーリーグという超一流の選手たちが集まる興行に呼んでもらうことになりました。
私はシェイン・チャップマンというこれまた超一流の選手との試合です。
この大会には他にもジョン・ウェイン、カマル・エル・アムラーニ、
アルバート・クラウス、オーレ・ローセン、ファディ・メルザ、新田明臣なども出場していました。
そして、もちろんユーリ・メスも出場していて、
彼は75kg級のエース選手として扱われていました。
当然周りは勝つだろうと思っていた試合でしたが、
2ラウンドに入り、彼はまさかのハイキックで失神KO負けしました。
そのときの私たち日本組の衝撃といったらありません。
私も小森会長も一緒に出ていた新田明臣さんも、皆一様に叫んでいました。


しかしながら、ユーリ・メスは見た目いかつくて悪そうな顔ですが、
試合は非常にクリーンな選手です。
スーパーリーグでロベルト・コッコとの試合のときのことです。
対戦相手のロベルト・コッコがリング外に飛び出してしまいそうになったときに、
自分のグローブでコッコの体を支えて、リング内に戻してあげたシーンがありました。
素晴らしいスポーツマンシップ。会場は拍手喝采です。
私は彼に対し、選手としてももちろんですが、人としても尊敬の念を抱くようになりました。


そして2009年7月にK-1MAXという大舞台で、佐藤嘉洋VSユーリ・メスの試合が組まれました。
2000年代前半のキックファンなら垂涎モノのカードだったことでしょう。
ユーリ・メスは私と戦うまでもトップクラスで活躍していましたが、
70kgに階級を落としてからは、なかなか結果を出せない時期もありました。
しかし、私とやる直前の時点で五連勝を記録。
この階級にも慣れてきたという証でしょう
75kg級のエースのユーリ・メスの強さで、私との戦いに臨んでくれたのではないでしょうか。


ゴングが打ち鳴らされ、私はローキックをこれでもか、これでもかと打ち込みましたが、
「俺は絶対倒れないんだ」という覚悟を感じました。
試合後、あれだけ足を引きずっていたというのに何という精神力でしょう。


試合は本当に厳しい内容で、勝負は延長にもつれ込み2-1の薄氷の勝利でした。
しかし、自分の中では今回の勝利は非常に大きな勝利なんです。
僅差といえど膠着した試合になったわけではなく、互いに死力を尽くした素晴らしい戦いをすることができました。
実力は互角だったことでしょう。
だからこそ、このギリギリの競り合いで勝てたということが、
ギリギリの競り合いで負けてきた自分に大きな意味をもたらしました。
そして、その相手は半分憧れにも似た感情で見ていた選手。
一つ何か掴めたような気がしたんです。
それは次の試合で出るでしょう(後述・実際、次の城戸康裕戦では倒し倒されのエキサイティングな試合内容に)。


試合が終わり一夜明けて。
カメラマンの落合さんから驚きの言葉を聞きます。


『ユーリ・メスは今回が最後の試合と決めて来日したんだって。
だから絶対に負けたくなかったらしいよ』


そうだったんだ。
引退試合と決めて、今回の試合に臨んでいたのか。
だからあんなに気合いが入ってたんだ。
これだけ偉大な選手の最後の試合を務められたんだから、一層がんばらなきゃ。


試合後リング上で、素晴らしい試合になったことが嬉しかったので、


『もう一回やろう。今度は僕がオランダに行くよ』


とユーリ・メスに話しかけたとき、
首を振りながら微妙な笑みで返された意味がそのときわかりました。
選手生活お疲れ様でした。
私はもう少しがんばります(後述・あれから5年、私はまだまだがんばっています)。


3ラウンド開始のゴングが鳴るときに、お互いニヤリとした瞬間を私は忘れません。


長々と読んでくださりありがとうございました。
それくらい今回の試合の思い入れがあったのです。
それをどうしても皆さんに伝えたくて。


2014年編集後記。
ニコニコ動画にある佐藤嘉洋vsユーリ・メスを久しぶりに見てみました。
前後の試合背景も含めて、佐藤嘉洋の選手史に残る名勝負ができたと思います。
「冷静に狂え」っていうのはこういうことを言うんだろうなあ。


参考文献 海外遠征記 


2002年11月23日 オランダ
WPKL世界ムエタイウェルター級タイトルマッチ
VS フィクリ・ティアルティー
2002年オランダ遠征記①
2002年オランダ遠征記②
2002年オランダ遠征記③


2003年12月6日 オランダ スーパーリーグ
VS シェイン・チャップマン
地獄から栄光を掴んだ男のオランダ遠征記 12月4日
地獄から栄光を掴んだ男のオランダ遠征記 12月5日
地獄から栄光を掴んだ男のオランダ遠征記 12月6日
地獄から栄光を掴んだ男のオランダ遠征記 試合後、ロッテルダム編
地獄から栄光を掴んだ男 完結編


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