祖母が亡くなったと父から電話がありました。2日後に駆けつけ、白い布が顔にかけられて布団に... | 佐藤弥生オフィシャルブログ「Yayoi's Diary」Powered by Ameba

祖母が亡くなったと父から電話がありました。2日後に駆けつけ、白い布が顔にかけられて布団に...

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祖母が亡くなったと父から電話がありました。 2日後に駆けつけ、白い布が顔にかけられて布団に寝かされる祖母をこの目で見て、初めてその事実を受け止めました。 額に触るとそれはとても冷たくて、人は亡くなるとこんなにも冷たくなるのかと思いました。 見つめている時間思い出したのは、祖母の元気だった頃の姿。 自転車をスッと乗りこなし、次から次へと食材を求めて商店街でペダルを漕ぐ姿。 その自転車の後ろにはまだ小学1年生の私。 ・ 共働きだった両親の代わりに、保育園の送り迎え、小学校や習い事の送り出し、幼い頃はいつも一緒だった祖母。 ・ 暑い夏の日は、畳にゴロンと横になる私の近くでずっとうちわを仰いでくれて、 冬の日には、炬燵から出ない私にいちごミルクを作ってくれました。 イチゴを潰して牛乳をかけてお砂糖をかけたやつ。全てが絶妙で大好きでした。 ・ 買い物に行くと、私の欲しがる文房具を決まって2つずつ買ってくれた祖母。 もったいないと言って私が使わないから。 ・ いつも台所にいて、せっせとお豆を煮ていたり、手際よくおかきを揚げていたりといい香りを身に纏っていました。 ・ ・ 私が大人になって、祖母は孫の名前が覚えているのがやっとになってしまったけど、私のことは最後まで「やぁちゃん」と呼んでいたことで、私は祖母との絆を感じることができました。 私の話をニコニコ楽しそうに、時に切なそうに聞いていて、1分後には私の話なんて忘れてしまっているんだけど、そんな時間が私には必要でした。 不妊治療で苦しむ私の泣き場所は祖母の隣と決まっていました。 ・ 今思うと、私の精神の根源は祖父母と過ごした時間、祖父母が注いでくれた愛情と、大いに関係してると思います。 ・ どんな逆境でも心を壊さずに進んでこれたこと、私に取っての幸せの価値観、それは簡単に言葉にできるものではない感じ取る何かなんだけれど、自分が幸せになれるセンサーみたいなものを示してくれました。そんな気がしてならない。 ・ ・ 親とはまた異なる無償にも程がある無償の愛を無限に注いでいただき、ありがとうございました。 今もなおその無償で無限の愛情は私の中に生きております。 おばあちゃんの孫で本当に本当に幸せでした。

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