昨日は宵の口から十六夜(いざよい)のスーパームーンがぽっかりと鏡のように東の空に浮かんでいた。それがまるで今日の好天を暗示しているかのようにも思われた。
予想通り、今日は朝から秋晴れ。たまたま仕事がオフになったため、昼前から国道10号線を豊前方面へ車を走らせた。ちょっと気になるラーメン屋があったからでもある。
ちょうど昼頃店に着いたが、結構な混み様だった。だが、スープを一口啜って「これは違う!」と感じた。なかなか好みの味に巡り合えないものだ。ラーメン狩りもそろそろ潮時かも知れない。
10号線を少し引き返して「綱敷天満宮」に立ち寄った。海浜公園で海を眺めてから参詣した。そぞろに御神籤を引くと「第四十三番 大吉」と出た。「風吹けば風ふくままに港よしと 百舟千舟うちつどいつつ」という歌が添えられていた。
「秋風⇒港⇒舟」から漢・武帝の「秋風辞」が連想された。大好きな詩の一つである。
漢帝国・第7代皇帝の武帝(156B.C.-87B.C.)は、生涯を通じて、宿敵たる北方民族「匈奴」との戦いに明け暮れ、終にこれを打ち破り帝国の最大版図を築いた。
その一方で外征による国家財政の窮乏を招き、また自らの独断的な性格から、治世後半、帝国は衰退への道を辿ることになった。以下の詩は武帝44歳(全盛期)の時の作と伝えられている。2016年に下手な英訳を試みている。臆面もなく以下に掲載する。
「秋風辞」漢・武帝(劉徹) 「秋風の辞」
秋風起兮白雲飛 秋風起こりて 白雲飛び
草木黄落兮雁南歸 草木黄落して 雁南に帰る
蘭有秀兮菊有芳 蘭に秀有り 菊に芳有り
懷佳人兮不能忘 佳人を懐(おも)いて 忘るる能はず
泛樓船兮濟汾河 楼船を泛(うか)べて 汾河を済(わた)り
橫中流兮揚素波 中流に横たはりて 素波を揚ぐ
簫鼓鳴兮發棹歌 簫鼓(しょうこ)鳴りて 棹歌(とうか)を発す
歡樂極兮哀情多 歓楽極りて 哀情多し
少壯幾時兮奈老何 少壮幾時ぞ 老いを奈何(いかん)せん
(拙・現代語訳)
秋風が吹いて白雲が飛び草木は黄葉して落ち雁は南に帰っていく。蘭の花が咲き菊が芳しい香りを放つこの季節、あの美しい女(ひと)のことが思い起こされ忘れることができない。
楼船(多層櫓付き軍船)を浮かべて汾河を渡れば、船は中流に横たわって白い波飛沫を上げている。笛や太鼓の音や舟歌が聞こえ歓喜極まる中、何故か哀しい気持ちになる。
若くて元気な時は後どれくらい続くのだろうか?老いていく我が身をどうしようか、どうすることもできない。
(自作英訳第二版)
“A Poem on Autumn Wind” by Emperor Wu of Han (Liu Che)
Autumn wind has flown white clouds away, while fallen yellow leaves have driven wild geese back to the south.
Boneset blossoms and chrysanthemum scent remind me of that beauty I can never forget.
When crossing the Fen River on a houseboat lying in the midstream and sending wave splashes,
Amid the sounds of boatman’s song with fifes and drums, festive mood has reached its ecstasy, nevertheless which makes me feel great sorrow.
I never know how much longer I could live. What should I do for my old age?





