6:15~

本行脚二日目、前日に引き続き地下鉄・バス一日券を買い直して名所巡りです。

貸チャリも選択肢だったが、この大通りなどは歩道も降りて押し歩きなど規制があり、駐輪場探しも都度手間と感じ、諦めました。

 

昨日も歩いた寺町通りのアーケードを北上。パチンコ店の幟にデヴィ夫人がいるのも何となく合点がいく。しかし早朝は車も普通に通る道なのですね…

 

6:55~

地下鉄 烏丸丸太町で下車して、京都御苑 散策開始。

1.7㎞に渡る南北の道は三本走っていて一番西側の道を北へ進んで行く(東西は0.7km)。この御苑の範囲が、二百もの宮家や公家の邸宅が立ち並ぶ公家町だったそう。

時々、整備された枝道に入るが、これが見事な紅葉鑑賞散策路になっています。

一旦、左手の 蛤御門 から外に出て眺めてみます。幕末の長州藩の暴走が、この門のシニカルなネーミングになったという事?

少し陽が昇ってきて、紅葉の色も明るくなってきたな、というところで御苑の反対側(北側)の門から退園しました。今出川通りを挟み、同志社大学と向かい合わせだったのね。

 

8:00~

今出川通りを少々西に歩き、今度は 応仁の乱の史跡巡り。南北を走る堀川通を境に、細川勝元側の東陣と山名宗全側の西陣が室町時代末期に11年間も戦を続けたエリア。京都の大半を焼き尽くし、それ以前の時代の資料の大半が焼失してしまったと解説する人もいます。

細川勝元の陣地後は児童遊園内にポツリと。

近辺は、表千家・裏千家のご当所でもあり、学園やその寮、茶器などを販売する店など、格式ある関連建物が並んでいる。この川は今は小さく残存していますが、応仁の乱の激戦地だったとの史跡も付近にありました。

対して西陣の方は地名として有名で、住宅街に伝統織物の会社も見られます。

威風堂々とした「西陣」の碑も確認したが、バス停の位置にあり歩道幅も狭いため、絶えず乗車待ちの人達が前に立ちはだかる状態なのでシャッターチャンスに恵まれず。むしろそういう写真を撮り、UPした方が(勿論モザイク掛けて)状況をお伝えする点で面白かったかも…

 

9:25~

ちょっと郊外に脚伸ばそうと、北部名所への基点 出町柳駅前 までバス移動。 きょおとぉ~ お~はら三千院!を標的としたが、乗車券のフリー区間外で予想外に実費かかるのを乗車待ちしながら確認し…、止めた。

ならばその手前の範囲内、岩倉亭 は…、事前予約制で決められた時間帯にて見学しなきゃダメ、とググって知る ⇒ じゃあこれも諦め。

一体、ミーは何しに此処まで? “時間ロスは最小限に”を意識した行脚だが、矛盾をはらんでる?

いや、賀茂川のカモが見れたのだから有意義だ(笑)

 

9:45 頃 ~

今出川通ばかり行ったり来たりしてる様相だが、再び御苑に戻って今度は南→北へ、東側の道を歩きます。

こちら側も紅葉が艶やかな道でした。あっ、“紅”じゃないわ…

端まで辿り着き、中央の道から対側(ほぼ北端)の御所に向かい頭を下げて、此処を後にします。

勿体無き空間を、ありがとうございました。

 

10:50~

今度は地下鉄で 二条城 へ。

有料の 二の丸御殿 は中の撮影禁止。何十畳もある大広間づくしの館内、大政奉還が宣言された場所に畏怖を覚えたが、様々な間の襖絵の意図が分かり易かったです。謁見予定の大名を待機させる間では、虎の絵で将軍の地位を誇示→服従させる、公家衆をもてなす所では花鳥風月の絵、老中の部屋は実務的なシンプルな造り、等。

庭園を歩いた後の高台からの見晴らし。

庭園外に露店が出ており、かなり遅目の朝飯(きつねうどん)を頂きました。

 

さて、今度は南方移動を企てる。まず 宇治 を目指しJR線のホームまで来たが、その後の予定の伏見に十分な時間が取れなくなる…と考え直す。またしても“時間ロスは最小限に…”が揺らいでいる(苦笑)。

 

13:10~

そんなこんなで阪急線の桃山御陵前駅で下車。京阪線の駅も目と鼻の先にあり、ひときわ賑やかな 大手筋 のアーケード街と隣接している。

関西の代表的立ち食い蕎麦屋さん 都そば を発見し、何故かラーメンをオーダー。480円という値段でどの程度味わえるか、という興味が湧いたもので…

 

この 龍馬通り を真っ直ぐ進んで 濠川 に突き当たった処に、宿・寺田屋 を確認。鳥羽伏見の戦いの痕跡もある地にして、後に慶喜公がその寺田屋を訪れて戦いを回顧したという逸話などを知りました。

宇治川から引いた水路に観光船。

黄桜や月桂冠など名立たる酒造会社のお膝元でもあり、記念館や展示施設を見学。

先程の濠川の水が特に綺麗でもないのに何故? と思ったが、地下水が酒造りに適した成分なのだと。地名も元は 「伏水」 。知識不足の自分はとても感心すること然りです。

街中の観光案内看板で目に付いた言葉、水とつながる文化とくらし 酒と歴史が薫るまち。このフレーズの的確さにもググっと来ました。

 

15:25~

駅方面に戻り、その先をずっと進むこと45分で 伏見城 に到着。あの天下人が築城し、最期を迎えた場所にしてはとてもひっそりして、二条城とは対照的過ぎでした。

ここら辺が 桃山丘陵 と言われ、そこで生じる伏流水が先ほどのお酒に繋がる様ですが、これぐらいの丘陵なら首都圏あたりにも幾らでもあるでしょ? という場所と思えるので、そこが疑問でしたね。地質に飛び切り優位性が有るのか。

それから、桃山文化の名残のある場所を期待していたが、全く見つかりませんでした。

 

降りた駅より、一つ京都駅側の近鉄丹波橋の方が近そうだったので、そのまま高台から坂を下る感じで駅へ向かいます。夕暮れ手前の時間帯になっているが、京都駅からそれほど離れていない水族館が20時までやっており、行けそうだ。

 

16:10~

水族館へ行く番号のバスに乗ったが、アリャリャ反対方向に行く奴だった。次の停留所で降りたが予定は仕切り直し。

泊まっていた四条河原町で欲しいものがあって、それを済ませてから水族館に入る事とした(17:30位に買って戻ればOK)。

 

16:50~

但し、元・遊郭の 島原 は覗きたく、最寄りとされるバス停から予想外に歩く羽目になったが、何とか味わえた。

 

そこから買い物目的地までのバスが四条通に入って大渋滞。目の前の信号が青になって進んでも、すぐ一つ先の信号でいちいち赤で捕まるという按配(苦笑)。目安の17:30も超えてしまい、予約制の水族館のHPでは18:30~の最終タームの受付が、さっき見た時まで〇だったのが「受付終了」に変わっている! あー万事休す(笑)

 

18:45~

無事買い物は出来、後はのんびり繁華街をブラつきつつ、晩飯食おうと。帰京のバスは22時台出発だし。

 

この四条河原町は京都一の繁華街となっているが、中世の応仁の乱で衰退したのを豊臣秀吉公が再興させ、今日がある訳か。

この高瀬川も、伏見と京都中心部の水運目的で掘削された水路でこれもてっきり太閤様による恩恵かと思っていたら、とある豪商が築いたものだと。

新選組ファンの聖地…なのでしょうか。本能寺とは直線距離だと300m程度。

時代劇のセットを思わせる花街 先斗町

 

アレコレ物色しておいて、結局チェーン店に入ってしまった。

なか卯 のカツカレーは最近リリースされたばかりで気になっていたが、カツが柔らかくて総体的に美味しかったですよ。

 

20:30~

京都の町は結構銭湯があるのですね。二条駅からてくてく歩いて三条通り商店街の中間位にある路地を曲がって、1時間弱、トロン温泉稲荷 で体を労わりました。二日間、かなり歩いたと思います。ルートやその番号を調べる手間よりも、この区間なら歩いちゃった方が手っ取り早いんじゃネ? ってのもちょくちょく有ったモンです。

21:30~

アーケードの続きを東に歩いて、堀川通まで出たら京都駅のバスに乗り、此度の行脚もエンディング。

 

京都市街の地理を覚えたい、生活感もかじりたい、様々な史跡から自分の生まれ育った国を見つめ直したい、しかも紅葉の時期なら持って来いだ。

あと、時間ロスを最小限にして(笑)可能な限り名所を巡る事にチャレンジしたい。

それらの動機があって、京都二日間滞在が無事、叶いました。

 

 

四条河原町で買ったものは、青いパックの二つになります。ハモと子持ち鮎。大丸デパート地下のTAVELTという食品スーパーを昨日の宿チェックイン前に覗き、本日も狙っていたのが売り切れてなかったので見掛けた時はガッツポーズ!

家族土産は上の通りで全部食品。右上は、錦市場で見つけたハス(淡水魚)の甘露煮。この魚種は関東の魚フェチにとってはレアさに感激モノなのです。

 

盛り付けイマイチだけどある日のお弁当にも活用。

ハモは家内に湯がいて貰ったが激ウマで、卵ビッシリの子持ち鮎も甘露煮が定番らしいが塩焼きでその美味さに酔いしれました。

昔から京都の人達の生活文化を支えてきた数々…

 

そうしたものに触れ合えた機会に感謝、感謝です。

 
 

よろしければクリックをお願いします。

にほんブログ村 旅行ブログ 温泉・温泉街へ
にほんブログ村