「さつき断景」 重松清 | 流石奇屋~書評の間

「さつき断景」 重松清


重松 清
さつき断景

何かと「それなりに」噂の重松氏の初お目見え本です。
この本は良いですね。好きです。
年代の違う3人の登場人物が過ごす、1995年~2000年の6年間の5月1日だけを切り取って繋げた作品。
こういった趣向の作品は嫌いではないですし、「ある日常」を描くってことも意外に好きだったりします。

1995年、1月阪神・淡路大震災、3月地下鉄サリン事件、そして5月1日―。神戸でのボランティア活動から帰京したタカユキ(15歳)は惰性としか思えない高校生活に疑問を感じていた。電車一本の差でサリン禍を免れたヤマグチさん(35歳)は、その後遺症ともいうべき自己喪失感に悩んでいた。長女が嫁ぐ日を迎えたアサダ氏(57歳)は、家族団楽最後の日をしみじみと実感していた…。そして96、97…2000年。三人は何を体験し、何を想い、いかに生きたのか。<<Amazonより抜粋>>

それぞれにちょっとだけ”わけ”は、あるものの、まったくもって普通な登場人物3人の6年間の物語なわけですが、365日(もしくは366日)分の1だけの出来事を6つ繋げて、6年間の物語としている趣向に大変興味を持ちました。
その物語には、残り364日(もしくは365日)の出来事は語られず、かといって当たり前のようにそこに存在していたりするわけです。その圧倒的に経過する期間については語らず、1/365でその人達の人生の6年間を語りきるということなわけです。

また、リアリティーがあると思ったのは、タカユキ・ヤマグチさん・アサダ氏には、比較的大きな事が起きた95年の出来事があり(それぞれに淡路大震災のボランティア活動だったり、サリン事件にギリギリ逃れたり、長女が嫁いだりする)、一般的な物語はそれをきっかけにして、6年間の変遷を見せるものだと思いきや、2000年での彼らの大きな出来事は、95年のこととは、まったく関係のないことだったりするわけです。

このあたりを、我々の身に置き換えてみると、なるほど、とても真実味があるわけです。

また、一般的には、年をとると、刺激的なことがなくなるから、時間が早く感じたりするものなのですが、この年代の違う3人には、平等に同じ時間が流れているということがよく分ります。やもすれば、一番年長者のアサダ氏の6年間は他の二人より十分(あらゆる意味で)充実した6年間だったりするわけです。
もちろん小説的脚色があったりするわけですけど。

そんなこんなで大変に楽しませてもらいました。
真実味のある情景(タイトルになぞらえれば「断景」)が手に取るように分る作品
でした。

そんな趣向が好きそうな方はお手にとってお読みくださいませ。

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蛇足:
ちなみにわたくし流石奇屋ヒットの95年~00年の5月あたりは以下のとおりです。

95年:社会人2年目にして、一人暮らししてから5ヶ月くらい。部屋の掃除と洗濯物以外の土日の過ごし方を見つけに、現在もなお使用している「図書館」に通い始めた時期
96年:社会人3年目にして、一人暮らしして1年と5ヶ月くらい。忙しかったようなそうでないような。
97年:社会人4年目にして、一人暮らしして2年と5ヶ月くらいで、付き合っていた今の奥さんに結婚を申し込もうかどうか迷っていた時期
98年:社会人5年目にして、結婚して2ヶ月くらい。新婚なのに、仕事に忙殺されていた時期。
99年:社会人6年目にして、結婚して1年と2ヶ月くらい。昨年以上に忙殺されまくっていた時期。
そして00年:社会人7年目にして、結婚して3年と2ヶ月くらい。なんだか土日も出勤していた時期。
で、そんな状況が04年春くらいまで、つづいたりしていました・・・

なんだか結婚してから、忙殺シーズンという稼ぎ時とマッチした人生でございました。