昨日、お花が届いた。

5月は誕生月とブログに書いたのを読んだMさんが
贈ってくれた。
メッセージカードには、誕生日を祝う言葉と、
「母のような…」という言葉も添えられていた。
昨日は母の日。
これは初めての母の日では?![]()
すごく嬉しかった![]()
誕生日としても、母の日としても。
幸せを感じた。
なのに、私は昨日、過食をしていた。
詰め込んでいた。
お腹がいっぱいなのに。
夜、そんな自分と向き合う。

本当は食べ物で満たしたかったんじゃない。
もっと違うことで満たしたかったんだ。
甘いものを食べると幸せを感じられる。
幸せになるためには甘いもの
と脳にインプットされている。
でも本当に欲しいのは、
甘いものを食べた幸せじゃないから、
満たされなくて、
もっともっとと詰め込んだ。
本当は、
私はどんな幸福感で
満たしたかったのだろう。
そもそも
私の幸福感って何だろう?
その疑問だけが残った。
私がその時に得たかった幸福感は、
お花をもらった幸福感でも、
甘いものを食べた幸福感でもなかった。
じゃあ一体何なのか。
私はそれを知る必要がある。
私はどんなことで幸せを感じるのだろう。
推しの𝕏が更新されてキュンとした。
ソファーで横になって足を伸ばすのも幸せだ。
横を見ると愛猫がいる。幸せだ。
幸福感の答えはひとつじゃない。
たくさんある。
たくさんあっていい。
たくさん感じていい。
自分はどんなことで幸福を感じるのか、
もっと自分に目を向けようと思った。
そうしないとまた、甘いもので誤魔化し、
エセ幸福感を得ようとしてしまう。
そんな幸福感は苦しいだけ。
貪欲に幸せを感じよう。
ひとつひとつ目を向ければたくさんあるはず。
ひとつで幸福感を満たすのではなく、
小さな幸福感を集めれば、
ひとつの幸福感よりももっと
大きな幸福感になるはずだ。
ひとつの大きな幸福感は
シャボン玉のように儚いけど、
チリツモとなった幸福感には
確かさを感じられそうな気がする。




