50回目の誕生日に際し沢山のメッセージをいただき、ありがとうございました。
50回目の誕生日は選挙の後ということもあり落ち着かない中で迎えました。
選挙が終わり状況は落ち着く方向に向かっているとはいえ、まだ雑事が残っています。
毎年、誕生日当日の朝には息子は起き抜けに「お父さん、誕生日おめでとう」と何度も何度も言ってくれました。「もう、いいよ」って位です(笑)
しかし今年は一言も発することなく学校に行ってしまいました。
ワタシも自分から「今日はお父さんの誕生日だよ」というのもシャクなので黙っていました。若干の寂しさを感じながら「息子が大きくなるってこういうことなんだ」と自分自身を言い含めていました。
毎年のことですが「自分の誕生日は特別なことをしない」ということと「感謝を表現する」ということを基本としていました。今年もこの基本路線を外すことなく、粛々と行っていました。
“特別なことをしない”というのは、そのままでしたが、妻と息子がささやかなお祝いをしてくれました。どうもこのお祝いのために「おめでとう」の言葉をとっておいたようでした。
“感謝を表現する”ということは形骸化が始まっていました。
息子は「お父さんの誕生日には何か買ってもらえる」という回路になっているようでした。このような回路から「お父さん、今年のお父さんの誕生日は〇〇が欲しい」とおねだりがありました。オイオイと思いながら、息子の素直さに笑みがこぼれました。
おねだりには今現在応えていませんが、検討中です(笑)
昨年の誕生日の後にFacebookに投稿したコメントに一部に「迷いは尽きませんが、40代最後の1年は『ほんの少しの勇気』を持ち、私自身が人と人が繋がる場でありたいと考えます」と49歳の1年間のコンテクストを作りました。
自分自身が“つながる場である”という点は前進を作れたのではないかと考えます。
さらに、様々な場面で“つながらない”ということも目の当たりにしてきました。この状況の構造が見えてきたのは大きな前進です。仮説の域を出ないかもしれませが、問題の構造が見えてきたことは、具体的なアプローチの方法がひねり出せると感じています。
私見ですが、「政治が社会の変化に取り残されている」と感じるのです。特に袖ケ浦市のような「まだどうにかなっている」という状況にある政界では顕著な気がします。
しかし、政治と社会の隔たりは広がっていくように見えるのです。
問題の構造が見えてきた今、50歳はここにクサビを打ち込んでいきます。
返り血を浴びるか、自分が砕け散るか分かりませんが、逃げることなく真っ向勝負です。
政治は社会を補完する手段であり、金儲けの手段ではありません。
政治が人々の力を集めて社会が全体最適化するように活動します。
50歳は「人と人の引き出し繋ぐ」、そんな仕事をします。