毎月10日は脇祖さまご命日の式典があり、脇導師鐘のお役をいただきました。

 

導師というお経をあげる人は、正教師(入信)という資格をもつ

約5%の信者しか式典では導師をできません。

 

私は、今回は鐘のお役ですがもちろん正教師資格をもっています。

 

式典のあとに教会長から三宝印という仏教の根本議の

講義があり私が司会をいたしました。

 

 

三宝印とは、「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」という

3つの真理を学ぶことです。

 

諸行無常は、世の中は常に変化していて留まることはない

 

諸法無我は、それぞれのものは関連していて孤立しているものはない

 

涅槃寂静は、この2つの法則を会得すれば、おだやかな気持ちになれる

というものです。

 

ただし、2つの法則に反する行い(行または業)をした場合には、

一切皆苦(すべてが苦しくなる)という状態になるということ

だそうです。

 

でも、これは少しおかしいですよね。

 

真理とは不変な状態をいいます。心理だけは変化しません。

 

諸行無常と諸法無我は、真理としてとらえることが出来ますが、

涅槃寂静は、見方によっては一切皆苦と変化してしまいます。

 

実態を捉えた真理とはいえないのではないでしょうか?

 

やはりここは「一切皆空」とするべきでしょう。

 

鎌倉時代の仏教は庶民の苦を救うために、涅槃寂静や一切皆苦とした方が

判りやすかったのかもしれません。

 

実際に仏様というか、久遠実成釈迦牟尼世尊は「ゴーダマシッタルッタ」が本名と

倫理社会の教科書で習いました。

 

ゴーは業でダマは達磨で輪廻を表します。 業と達磨(諸行無常)

 

シッタはシャカ(釈迦)で 山や河のように果てしなく繋がっている(諸法無我)

 

ルッタはブッダ(仏陀)で菩薩で、釈迦になるための修行をしていますが、

全ての出来事には実態がない(一切皆空)ことを悟り

釈迦牟尼世尊となるということです。

 

まあ、このような考え方は諸説ありますし、私自身仏教を常に考え

行動している訳でもないので、正しいとは言えません。

 

ただ、ひとつ言えるのは、お釈迦様は菩薩たちの前で今まで、

人のために尽くす菩薩業をしていただけでは、釈迦という

存在にはなれないということです。

 

その為には、生・相・体・力・作・因・縁・果・報が全て

空であるという認識を持たなければならないということです。

 

「政治は結果が全て」と亡くなった安倍晋三総理は再三言っていました。

 

あのときの安倍派清和会は、壊滅状態になっています。

祇園精舎の鐘の声なんでしょうか?

 

アベノミクスは、国民に「涅槃寂静」の境地に連れて行くことはできませんでした。

ただ、「一切皆苦」の岸田政権よりはマシなのかもしれません。

 

でもやはり、自民党政権は「一切皆空」で虚しさしか感じませんね。