316 「レッドドラゴン」 1986年版 狂気を追うときは感情は無用 | ササポンのブログ

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この映画の原題は「Manhunter」トマス・ハリスの原作を
最初に
脚色していたのは
デビット・リンチ

この原作の映画化は
ずっと
デビット・リンチの次回作として
情報が流れていた
しかし
劇場に流れた「Manhunter」の
監督は
マイケル・マン

当時は
「マイアミ・バイス」の製作で
TVの世界では
ある程度の実績はあったが
映画の世界では
「ザ・クラッカー」「ザ・キープ」の
B級映画2本を監督しただけ。

しかし
映画はヒット、
同じ原作者によるハンニバル・レクター3部作の代表作「羊たちの沈黙」に
作品の質的には何の遜色もない
傑作が生まれた
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以前に
マイケルマンが
人間には興味がなく
スタイルにのみ固執する監督と書いた。

映画に
初めてコンバット・シュ―ティングを持ち込んだ「ザ・クラッカー」
意味ありげな映像と音楽だけで原作者を激怒させた「ザ・キープ」

正直
巨匠になったいまでも
それは変わらない

人間を描いているようで
その実は
「人間の営み」のスタイルを描いているだけで
その営みの、本質を探ろうとはしない
そういう点では
僕の大好きな(!!笑)中島哲也に似ている

自らのメッセージを
的確に伝えるために
スタイルを持つ
タルコフスキー、クローネンバーグ
ロベールブレッソンなどとは
違う、
ただスタイルのみに
固執して
そのスタイルを際立たせるために
ストーリーを作る。

その代表が
ヒッチコック、そのシミュラクラのデ・パルマ
カーペンター、そして
マイケル・マン

スタイル至上主義の監督は
出だしは新鮮で
観客を魅了するが
1,2本で
飽きられる。

ヒッチコックが
飽きられずに
ヒット作を連発したのは
シナリオライターとして参加した
稀代のストーリーテラーたち
ソーントン・ワイルダー
レイモンド・チャンドラー
エバン・ハンターなど

とにかく
観客を飽きさせないために
徹底的に
計算をする。
それは自分のスタイルが観客を魅了する
サスペンスのためのものと
認識できているからだ。
だから
根底となるストーリーを
固めた


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しかし
なぜか
マンは自分でシナリオを書く
シナリオはスタイルではない
シナリオは計算だ
構成で感情を作る理論だ

マンのシナリオは
自分のスタイルに合うような形で
作られている
それは
動きと流れのダイナミズムはあるが
感情はない

「ザ・クラッカー」や
「ヒート」みれば明らかだ

この「レッドドラゴン」もマンが
シナリオをかいている

なのになぜ傑作となったか?

それは
この映画に感情がないからだ
感情のなさ・・こそが
この映画のテーマだからだ

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もし
この映画の主人公が
感情でこの犯人を追いかけていたら
完全に狂っているだろう

狂気の犯人を
狂気のレクターと追うのだ
狂気に染まるなというのは
酷だ

小説では
この主人公はこの事件の後
リタイアする

この映画は
狂気を追うときは
感情は無用・・という映画だ

だからこそ
マンにぴったりの映画となった

しかし
マンの限界もこの映画で
見えてしまった

同じ原作者による
レクターシリーズの
次回作によって・・・・

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