
この映画の原作はヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト「モールス」
この本を原作とした映画は2本ある。
本作と、スウェーデン2本のうち、どちらがいいとは断言できない
なぜなら、それぞれに特徴があって
それぞれに
興味深い。
だから、
個人的にどちらが好きか・・とか
優れているかとかの
断定は避けたい。
好みによって
それぞれが感じてほしい。
ただ
「ぼくのエリー」が好きな人には
本作は物足りないかもしれない。
それでも
見比べて欲しい
それぞれが
それぞれに
ひとつの世界観を
形作っていて
それぞれに成功しているから・・
と・・いうことで
ここからは
ネタバレです

アメリカ版の大きな改変は
作家性というよりは
ハリウッド的な
事情だろう。
もし
ハリウッドで「ぼくのエリー」を
そのままやったら
完全に18禁だろうし
たとえ本人が出たいといっても
クロエ・グレース・モレッツは出れなかっただろう。
それほど
「ぼくのエリー」は衝撃的だった。
特に
エリーの正体と
保護者であり従者であるホーカンとの関係は
明らかに不愉快なアンモラルだ。
だから、たしかに
このリメイクはハリウッドの限界を
示しているが
だからといって
この映画がだめというわけではない。
いや
僕はこの制約が功を奏したと思っている。
まず
本作では焦点を主人公のふたりに
絞った。
そして
ふたりの孤独と絶望に
焦点を絞った。
もし
クロエ・グレース・モレッツ演じるアビーが
普通の女の子なら
この物語は
よくある少年と少女の
純愛物語だろう。
しかし
アビーの正体が
吸血鬼がゆえに
その物語は
異様な形を見せる。
まずは
クロエ・グレース・モレッツの
表現、しぐさに
注目してほしい。
保護者のトーマスと接するときは
完全に大人の女であり
オーウェンと接するときは
少女である。
この恐ろしい演じわけこそが
クロエ・グレース・モレッツという
女優の凄みだ。
このどちらの
関係も説得力がなければいけない。
このふたつの関係こそが
この映画のすべてだから。
つづく






