236   「ザ・ブルード」  ああ、いやだいやだ、ああ、気持ち悪い!! | ササポンのブログ

ササポンのブログ

映画、音楽、アニメにドラマ
そしてサントラなブログ
ひとを観ていないものを観ます

ササポンのブログ


「当時、僕は先妻と、
娘のカッサンドラの親権をめぐって争っていた。
ある日、先妻が電話をしてきて、
宗教的な理由から友だちとカリフォルニアに行く、
しかもカッサンドラを一緒に連れていくいうんだ。
しかも彼女は明日出発するという。
僕は「いいんじゃない。がんばれよ」と言って
電話を切り、再婚したキャスリンと
学校に行って、
娘を連れ戻した。
結局、裁判所はカッサンドラを
カリフォルニアに連れて行けない、と判断したんだけどね」
デビッド・クローネンバーグ
「クローネンバーグ・オン・クローネンバーグ」より

冷静な学者肌の人間が
ドメスティックな部分で
責められると
普通の人より
激しく感情を揺さぶられる。

元々
感情的な脆さを隠すために
冷静を装っているだけ・・なんじゃないかと
思われるほど

私生活とリンクしたこの映画は、
凄まじい。

正直
この映画評は、
モノを食べながら見ないでください。
生理的に気持ち悪いものがだめな人も、

さらに
絶対に、
絶対に見てはだめなのは
妊娠中のひとです。


ペタしてね

ササポンのブログ


初期のクローネンバーグは
表面的に見れば
とんでもスプラッタ映画監督である。

どれもこれも、
グチャグチャ、ネルネル世界である。

それも
やたらに生理的な嫌悪感をもよおすようなシーンがあり
並みの神経なら
いや、
かなりタフな神経の持ち主でも
椅子から転げ落ちそうになる。

なんせ
医者が手術中に発狂して
助手の指を
切り落とす・・なんていう
わんだふぉーなシーンがいきなり出てくるのだから・・。

ただ
このひとの映画が
ただのスプラッタと違うのは
その
グチャヌルヌルが
哲学的な意味があり、
形而上的な感情の
形而下したグチャグチャヌルヌルである、
つまり
簡単に言えば
形に出来ない感情を
形にしてみせる、
それが
醜くゆがんでいて
ぐちゃぐちゃである・・ということであります。


ササポンのブログ


自らの中の肉体にある
怒りを
体外に、
形として表出する。

ま、
よくよく考えてみれば
お笑いな設定である。

しかし
その怒りの形が
その怒りの感情を持ち
怒りの対象に対して向かっていくと
強烈なホラーとなる。

怒りの妻、
サマンサエッガーが
幼き頃の虐待の記憶を燃えたたせながら
現代の自分の境遇に対して
怒りを暴走させ、
それを形にする。

ササポンのブログ
ササポンのブログ


それらが
怒りの対象に襲いかかる。

子供の形をしながらも、
それはツルツルの殺人マシーン。

怒りの子供が
さらなる
殺しを生む。

それは見事な設定。
ただ
前記したように
当時のクローネンバーグ自身が、
私生活での親権争いで
怒りのメタファーと化していた。

もうヒロインの妻を
ぶっ殺したくてしようがない。

物語なんてどうでもいい。

妻をぶっ殺したい。
それもその妻は
素敵に醜くなくてはならない。

それだけのために
物語は
異様な迫力でゆがんでいく。

ササポンのブログ
ササポンのブログ


とにかく
このラスト近くの怒りの胎児を生みだすシーンは
映画史上に残る気持ち悪く、悲しいシーンだ。

とにかく
元々
変態だったクローネンバーグが
元妻への憎しみで
理性をぶっ壊されて
変態が暴走してしまった結果、
とてつもない地獄絵図を撮ってしまった。

はっきりいって
例のサマンサエッガーの怒りの胎児を
体外に有している有名な写真を検索したが
とてもじゃないが
載せられるものではない。

一応、
罪のない方々も読んでいらっしゃるのだ
夕食はちゃんと食べていただきたい。
だから
やめます。

この映画
凄い映画ですが
すべてのひとにお勧めできる映画ではありません。

「シーバース」も「ラビット」も
気持ち悪いですが、
まだ笑えます。

ただ
この映画は笑えない。
精神にくる不愉快さに覆われています。

ただ
夫婦間がうまくいっていない方は
すっきりするかもしれません。

ササポンのブログ
ササポンのブログ
ササポンのブログ


ちなみに怒りの子供たちが着ているレインコートのイメージは
ニコラス・ローグの「赤い影」の影響だそうです。

ササポンのブログ
ササポンのブログ
ササポンのブログ