38 「崖の上のポニョ」 思い、を表現するには、ここまで技術が必要なんだよ | ササポンのブログ

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「ハウルの動く城」を観た時に、僕は思った。
「このひとは、まだ迷ってる。まだ惑っている」
不惑・・なんてのは、このひとには無縁なのだと。
作り手として、留まってはいけない。
安住なんてないんだ・・と。
だから
あんなにたくさんの作品を作りながら、まだ未完成を作っている・・と。
まだ進化の途中なんだ・・と。



ドキュメント番組で、
自分の息子の「ゲド戦記」を観て、宮崎監督が、うめくようにつぶやいた。
「思いだけじゃだめなんだ・・」
思いだけで、作ってきて、
金を出すだけの連中の力に押しつぶされてきた
たくさんの仲間や
自分自身のアイディア、作品。
それらが、
彼の脳裏に浮かぶ・・。




そのときに構想を練っていたのが、
この作品だ。

思い・・だけの作品を作ろう。

そう考えても、
もう彼は、思い、だけの作品は作れない。
身体に染みついた職人としての本能が
技術が、
それを許さない。

もう思いだけの
未熟な作品など
作れないし
作ることを許さない。

だから、
だからこそ、
強く強く思わなくてはならない。

思い・・だけの作品を作ろう。



いままで以上にシンプルに徹していた。
とにかく余計な説明というやつが一切ない。

不思議が
現実と
一体となっても、
違和感がない。

なぜなら、
圧倒的な作画が、
それを強烈に、時には、強引に、統一している。

恐らく
セリフをすべて無くしても、
物語を理解することはできるだろう。

それほどまでに過激に
作画が語っている。




ポニョが人間となり宗助に会いに行く
嵐の中で母親の運転する車が、海沿いの道を走る。

不可思議と
現実の世界が
違和感無く交わり、
宗助とポニョが
再会する。

そのシチュエーションのために、
ありとあらゆる作画技術が駆使される。

圧倒的な文句なしの技術が展開する。


思いを、表現するためには、ここまで技術が必要なんだよ


世界中の作り手たちに叫んでいる。
迷い迷いながら
いまだに進化し続ける
この男の作品を見続けている幸せに
僕は酔っている。

こういう男がいるから
押井監督や他のアニメ監督たちも
進化し続けざるおえないのだ。

バカを相手のときじゃない。

このレビューを読んでくれているひとにだけでも理解してもらいたい。

雑音は一切、いれないでほしい。
観にいってほしい。
もし映画を愛して見続けているなら、
この映画を観なければ意味がないと思う。

暇とお金の問題じゃない。






ラーメンは、うまい。
それを表現するのだって
技術がいるのだよ。

ほんと、うまそうだよなあ・・。