「赤ちゃん、産みたいですかねぇ…」


3年前、不妊治療をはじめたばかりのころ。
いま入院している病院の、つねにごった返していた婦人科外来。

主治医だったS先生はほとんどひとりごとのようにつぶやいた。




30代半ばを過ぎていて子宮内膜症由来の持病がいくつもあったので、先生がそのように疑問を持つのも不思議な事ではなく…

むしろ医療人として当然のことだったかもしれない。


こんな状態でも、授かるかわからない子を望むのかと。



その言葉は取れないトゲのように突き刺さり、いろいろあった不妊治療中に何度も浮かび上がってきた。


採卵誘発で気持ちが悪いときも。
誘発剤の値段に卒倒しそうになったときも。
激痛だったけど意外と採れた採卵のときも。
どの受精卵もグレードが高くなかったときも。
転院したときも。
卵管と卵巣、2回の手術のときも。
内膜症が悪化して腹痛にのたうちまわったときも。
幻だと思っていた妊婦検査薬の2本線を見たときも。
はじめての化学流産のときも。
やっと不妊治療を卒業できたときも。
つわりで朝から気持ち悪くても。



「赤ちゃん、産みたいですかねぇ…」


わたし、赤ちゃん産みたいのかな。






こたえは見つからないまま初の妊娠は進んでいき、なんとか妊娠初期を終えようとしていた矢先。
破水を伴う切迫流産で急きょ入院生活がはじまってしまった。



ふたたび主治医はS先生だった。
先生はさすがに覚えていないようだったけど。




できれば会いたくなかった。
不妊治療当初、しばらくして婦人科一覧から名前がなくなっていてほっとしていた。


妊婦検診を受診する際、産科を調べたら名前があってびっくりした。
移動してたんだ…。
先生のいない曜日を選んで受診した。



それなのに緊急で入院したら主治医かあ…。
なんの因果なんだろう。

とはいえこのあたりでいちばん大きな病院なので、リスク等を考えると選択肢はなかった。





正直、3年前は新入り感たっぷりで頼りなかったけど、いまはだいぶどっしりとしていた。
それでも苦手意識は消せなかった。



何度も何度も問いかけてみた。
どうして子どもを望むんだろう。



女性だから?
それなりの年齢だから?
結婚したから?
みんな子どもがいるから?


別段子どもが好きなわけでもない。
不妊治療に時間もお金も掛かった。
たくさん痛い思いをした。
夫とは友達のように楽しく暮らしている。



「赤ちゃん、産みたいですかねぇ…」




正直、よくわからない。



なんでなのかなあ。
いまはまだお腹のなかにいる赤ちゃんを守る方法を必死に探している。
できるだけ元気に産まれてほしいと願っている。
往生際が悪いのかなと自分を責めてしまう。
お腹の大きな妊婦さんをはじめて羨ましいと思って苦しくなる。



それでも諦められないこの気持ちはなんだろう。
ちゃんと赤ちゃんのしあわせを考えられているだろうか。
いまのままでも充分しあわせなのに、わたしは途方もなく強欲なのだろうか。


あの日のトゲはずっとちくちくしている。