もういいよ、という声なんて全く聞こえてこず、少林寺拳法の続きだよ。
……。
週2回、5年間唱えた「聖句」なんかは、30年以上たつ今も空で言える。
〈己こそ、己のよるべ、己をおきて、誰によるべぞ、よく整えし己こそ、まこと得がたきよるべなり〉
自分こそが、自分のよりどころであり、自分以外の誰にそんなことを求められるだろうか?(いや、求められるわけない)
だから、キチンと整えた自分こそが、全ての根源だ。
〈自ら悪をなさば、自らが汚れ、自らが悪をなさざれば、自らが清し、清くも清かざるも、自らのことなり、他の者によりて、浄むることを得ず〉
自分が悪いことをすれば、自分が汚れる。
自分が悪いことをしなければ、自分が潔白であり、正々堂々としてられるかどうかは、自分次第のことで、他人がどうこうの問題ではない。
……。
まずは自分次第。
それは、自己中とは違う意味で。
自分の責任を自分が引き受けるということ。それ以外にはないということ。
……様々な哲学に通じる考えが、その中にあった。
……けど、小学生の頃の俺には、何にも全く意味不明なお経だった。笑
今も口で覚えているが、改めて意味を考えると興味深い。
……で、普段はあまりやらないけど、教本や学科の時間も時々あって。
その中に、次の一節があったのを覚えている。(昔の記憶は忘れない)
「少林寺拳法の教えをまっすぐにさかのぼると、釈尊(お釈迦様)にたどり着きます」。
当時、「……なんで?」としか思わなかったが。
……考えてみれば、少林「寺」の拳法なんだね。
お寺の拳法だったんだ。
お寺だから、仏教。だから、仏陀にたどり着くと。
なるほど!
これ今になってようやく分かった!笑
……少林寺拳法の時は、「合掌礼」。
普通の合掌に、肘をほぼ直角に張った状態で挨拶をする。お辞儀はしない。(相手に隙を見せてしまうから、だった気がする)
座り方は「着座(正座)」または「安座(アグラから片足だけ坐禅のように持ち上げる)。
なるほどなるほど!
お寺から来た拳法だったんだね!
30年後の今理解した!
……ちなみに、よく中国の少林拳とごっちゃにされるけど、宗道臣先生という先生が中国から持ち帰った少林寺の拳法に色んな要素を取り入れて教え始めたのが現在の日本の少林拳拳法なので、現在はあんまり関係がない。猿とゴリラみたいな感じ。元を辿れば一緒だった、みたいな。
……まぁ、護身術としては、もっといいものはたくさんあるかなと思うけど、習い事としてはいいかなと。
注 本文中は全て佐々木の個人的な感想です。

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