反論はチャンスだ

テーマ:
「意見の同意」を、求める人がいる。

自分と他人が、同じがいい。同じでなければ嫌だ。

……その前提には大抵の場合、「同志であってほしい」という気持ちが前提としてそこにあるものなんだけど。


人の意見と自分の意見は、違っていて構わない。全く構わない。

むしろ腹立てたりするところじゃない。

……って意見すら、人と違っていて構わない。


……もしも全ての意見が自分と一致するなら、このブログも読む意味がない。

読んでも何も変わらないのだから。

「違い」があって初めて意味がある。面白い。


……。

基本的に男は女に、女は男に、惹かれ合う。

「異」性だからだ、

自分と違うからだ。

……男同士の会話も、面白い。

けれどそれを女に真似してほしい、分かってほしいとは思っていない。

同じように女同士の世界があっていい。

それを分かりたい、自分も女子トークに入れてほしい、などとは全く思わない。


「違い」こそは尊重すべき価値なのだ。


……正確に言うと「女脳」には「男脳(に近いもの)」への切り替えスイッチ(に近いもの)があって切り替えることができるが、「男脳」には「男脳」しかないので切り替えが脳の構造上し難い、というウンチクは一旦置いといて。


……そして「違い」もしくは「矛盾」は、何を生み出すのか。


……。

むかしむかし、へーげるというおじさんがいました。

へーげるおじさんは、「あくまでも自分の考えを主張して曲げないことは誰でもできるけど、それだけじゃなんも進歩がないよ」と言いました。

自分の考えの正しさを言っちゃいけないの?

「考えにはつじつまが合わないことも多いんだよ」とも言いました。

え?つじつまが合わなければダメじゃん?

「そもそも大体の考えにはつじつまが合わないことが多いよ」。

それじゃ矛盾してるじゃんか?

「矛盾してることが多いんだ。その矛盾があることで、そこから新しいより良いものが出来たりするんだ」

ふむ?……で、その新しいものはどうなるの?

「元々あった矛盾とぶつかって克服した時点で、一段階上のステージに上がれるんだ」


これを哲学者ヘーゲルの弁証法と言う。……前にも書いたけど。

正(テーゼ)、反(アンチテーゼ)、合(ジンテーゼ)、止揚(アウフヘーベン)なんて言葉を使わなくても、要はそういうこと。


……哲学とか言っても、別に難しいことじゃないよね。


自分と違う考えというのは、自分の考えが一段階上がれるチャンスなんですね。

そのチャンスを無駄にしちゃ、もったいない。


「スジの通った反論は歓迎する」というのは、こういうことなんですね。

「反論」と「荒らし行為」をごっちゃにしてしまう人もいるけど、全く違うもので。

ただの嫌がらせである「荒らし行為」はほっとくしかないですね。

そこからの止揚〈アウフヘーベン)は、ほぼない。

忍耐力と「大人になれる」ということくらい。

悪いけど相手する価値はない。


なので、誤解してる人もいるけれど。

ちゃんとした反論はむしろ歓迎します。

(というわけで一部訂正追加しました)


ボリビア・ラパス 名物「インディヘナおばちゃんプロレス」



格闘技ランキングへ

にほんブログ村 格闘技ブログへ
にほんブログ村