新橋 烏森神社周辺
神社を囲む飲み屋街

左手には烏森神社、正面にはニュー新橋ビル、何だか新橋の全てを凝縮したような街並みですなw


新橋といえば、東京のオフィス街で働くサラリーマン達が飲み歩く街。

その下地は、明治にできた「新橋南地」と呼ばれた花街によるものでした。

全盛期の昭和初期には、烏森神社を取り囲むようにして、11軒の芸妓置屋、294名の芸妓と6名の幇間(たいこもち)がいたそうです。

一帯は戦災に遭い、西口に一大マーケット(闇市)ができたのはニュー新橋ビルの項で触れましたが、実はもう一つ闇市を作る動きがあったそうです。

それは、ヤマハル組という893の組織が焼けた烏森神社境内を青空マーケットにするというものでした。

しかし、この動きは、当時の宮司が神社の奉賛会に露店を参道沿いに作らせたことで封じられることとなります。

これが現在の烏森神社周辺の街並みの基礎となります。

一方、一度被災した「新橋南地」は戦後復興し、朝鮮戦争の好景気に沸いた昭和25年ごろには47軒あったのですが、例の如く下火になり、昭和40年代にはひっそりと花街の灯が消えることに。


ちなみに、一般に「新橋の花街」と呼ばれるのは現在の銀座あたりにあった「新橋煉瓦地」と呼ばれるもので、格も雲泥の差があったといわれています。

明治政府の大物政治家たちが贔屓にしていたのは「煉瓦地」の方でした。




烏森
新橋駅西口のSL広場から飲み屋が密集する路地に入ったところに、烏森神社があります。

創建は古く、平安時代に平将門を討伐した藤原秀郷が勧請したしたといわれています。


平安時代の天慶3年(940年)に、東国で平将門が乱を起こした時、むかで退治で有名な鎮守将軍藤原秀郷(俵藤太)が、武州のある稲荷に戦勝を祈願したところ、白狐がやってきて白羽の矢を与えた。その矢を持ってすみやかに東夷を鎮めることができたので、秀郷はお礼に一社を勧請しようとしたところ、夢に白狐が現れて、神鳥の群がる所が霊地だと告げた。そこで桜田村の森まできたところ、夢想のごとく烏が群がっていたので、そこに社頭を造営した。それが、烏森稲荷の起こりである。

公式HP より抜粋)


かように歴史が長い神社ではありますが、鳥居も社殿も現代風なんですね。



烏森
境内の様子。

きやり塚というのがありますが、これは火消しめ組一番組が奉納したもの。

明暦の大火で江戸市中が焼失した一方で、この神社は焼けずに残ったそうで、恐らく火除けのために築かれたのでしょう。

もっとも、この神社は東京大空襲で焼けてしまったんですが。



新橋 烏森

新橋駅側から路地に入っていきます。

右手に神社。

神社を取り囲むように飲み屋が密集しています。



烏森

参道の様子。

焼き鳥屋さんの看板が見えますが、こういったところに戦後の露店の名残が感じられます。



新橋 烏森
夕方、日が暮れかける頃。

この界隈はこれからが本番といったところ。

次々と看板の明かりが灯されます。


烏森 新橋 烏森

花街の灯が消えてかなり経ちますが、かすかにその名残りとおもしき店も。




新橋駅前
新橋駅前の街並み。

雰囲気は神田駅前に近い。



新橋駅前
首都の玄関口に近い街ですが、猥雑な感じ。

無料案内所や個室ビデオの店やらも。

ガード下には新橋文化劇場や新橋ロマン劇場といった映画館もあったんですが、昨年の秋に閉館していたんですね。

前者は名画座、後者は成人映画館でした(→参照 )。




新橋駅前 新橋駅前

結構怪しい店も。

18禁マークの店は一体、何が入っているんでしょうかね。


そんな訳で、以上、"オッサンタウン"新橋の街並みでした。

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