この年代にくると、あ~そういう仕組み?とからくりとか、
裏でどう対応してきたの?は、圧倒的「圧」という、権力主義の
一声で翻弄される時代だったのであろう、その内部に潜入できたご縁は、なぜここの機関で採用されたのであろう、あ~なるほどねという
古い体質と慣習がはびこっていて、新参モノの提案は、前例がない!と言う事で、「ぶったぎり」不透明な改革は今じゃない!とその裏を、感じながらも。ネットのおかげでその速さは凄まじい後世に伝える事が出来ながらも、そのことを受け取った時点で、どうしますか?というタスクであろう。海外ですか?戦争と感染症の間に考える事は、誰であろうという思想を発信するのは私じゃなく、もう1人の私なのは、満月のせいとしておいた方が良いのではないか・・
と、その表現力は音楽かもしれない。私の聞く音楽と子どもたちは違うが、私たち世代の上も違う。上の世代は受け入れられないブロックが強く、私たちはちゃんと寄り添うけれど、??も多くなったが。
私が久保田利伸を同行させた後、バックナンバーなら行きたかった!と、バックナンバーは私も聴いているところ、そこまで惹きつける格差は何だろう・・。という、演歌が呪いに聞こえる感じなのかなと、思うところ。
