高倉健さんが10日に逝かれたとニュースで観た。

僕が健さんを初めて銀幕で観たのは『南極物語』だったと思う。

中学生の時。

当初はタロとジロの物語にただただ感動した覚えしかなかったが。


高校生になった頃、

深夜番組で観た「昭和残侠伝」で、すっかり健さんにはまってしまった。

「昭和残侠伝シリーズ」は戦後のそれこそ任侠や侠客の世界を描いた作品で、「渡世の義理」を貫くひとりのやくざもの(健さん)が極悪非道な組の数々の度を超す暴挙に、耐えて、、、絶えて、、、耐えて、、、まだ耐えて、遂に最後に報復するというストーリー。

粉雪が舞う夜道、ひとり着流し姿で敵のアジトへ向かう健さん。

その途中、番傘を持った池辺良が待ち伏せしており助太刀に加わる。

シリーズ通して全部そのパターンなんだけど、無口な健さんの渋いこと渋いこと。

高ーの放課後、昭和残侠伝ごっこをやったのを今思い出した。

もちろん健さん役は譲らないのであ~る!

そこから「日本侠客伝シリーズ」「網走番外地シリーズ」と流れ、それがっきっかけで東映任侠映画にどっぷりはまり、流れで東映実録シリーズの金字塔「仁義なき戦い」へと流れるわけである。

なぜかあの頃、深夜にヤクザ映画よくやってたんだよな。

あとホラー映画とか。

テレビでやっていないものはレンタルビデオで片っ端から観まくって日々男の研鑽に励んでいたのである。健さんだけに。


無口な耐える男健さんに真のサムライ魂というか、なんだろうか、理想の男像というか、なんかそのようなものを感じ憧れていたのだが、渋みのかけらもないお調子者の私には、あまりにもかけ離れすぎていて(高校生だしね)、どちらかというとトラック野郎の一番星桃次郎ならまだ目指せるかもしれないと(どこを目指していたのやら)菅原文太を追いかけ、現在に至るといったところだ。(松田優作寄りだが)

「昭和残侠伝」の着流しに唐獅子牡丹の健さんと、たぶん「神戸国際ギャング」あたりのボルサリーノにスーツ姿の文太兄ぃのマルベル堂製のパネルが我が家のお宝だ!

だまってたけど。

お宝過ぎてどこに仕舞ったか分からなくなってしまっている。

(因みに「神戸国際ギャング」は健さんと文太兄ぃの魅惑の競演作品であ~る。)


漣が若い頃からおっさんに憧れていたのは有名な話だが、なんでそう思ってたのか深く考えなかったけど、今思えば健さんとの出会いからだったのかもしれないなぁ~。

健さんみたいな渋い男になりたいと、フニャフニャでツルツルの研さんは確かに思ってたのだ。

とは言え、昭和残侠伝の頃の健さんは34歳なので今の自分より10歳も若いぃぃぃ!

34歳であの渋さっっっ(汗)

ああああ、

まだまだ軽いわぁ~。
軽すぎるわぁぁぁ~ひろねこ

男漣44歳益々前途多難。




お芝居だけじゃなく、人間的にも素晴らしい方だったようで、それこそ芸能界の大物たちが健さんと出会えたことを宝だと思えるような偉大過ぎる映画俳優。

高倉健さんのご冥福を勝手にお祈り致します。