漢字の語源を探求すると、意味深いところを突く。
「努力」は、いささか嫌な言葉として捉えている中、
その解釈は無駄な事だと思われることに注がれる労力と思っているからこその改めて
見て解体するところ、女性はまたその力の先を見据えているので、力を温存するより出しなさい
と、年を重ね解釈の仕方が変化した自分に気づいた。
つまりは、底は女性だよな・・・。
男女参画のおかげで、新たなる戦略化?と思われる部分も、ここに焦点を当てれば
努力もい問わないという成立するのであろうか・・。
努力しているつもりはないが、努力だったのか・・・・。
と今更思う、あの過程は反骨精神と矛盾と理不尽との払拭で時を過ごした。
なので、今、大いに役立っている。
貴方がおもうその時点での悩みは、ちと遅れてる?!というくらい、
味わいは、昭和ならではの経験値と共に・・。