2月16日で、日本銀行のマイナス金利政策導入から早4年が経つ。
この衝撃的かつ異例の政策が、2%のインフレ目標達成の助けとはならなかったばかりか、経済にプラスの効果をもたらしたかどうかは謎というか、ほぼ無かったと言っても良いのではないだろうか?
コロナウイルス騒ぎでこのことが報道されることもないと思うが、4年前のあの時は衝撃的に思えたマイナス金利の導入とは何だったのか?
その成果について国民はこれほど無関心で良いのだろうか?
この辺で我々国民は、いちど時計の針を巻き戻していわゆる失われた平成の30年というもので何を我々は失って何を得たのか?よく考えてみたほうが良さそうだ。
もしかすると日本の株価はかろうじてクラッシュすることもなく、そこそこの価格を維持できたかもしれない。また、日本銀行による国債の買い入れはなし崩し的に進められ、国の収支が改善したわけではないが日本の経済はかろうじて今までは延命されたのかもしれない。
だが、キャッシュフローや財政赤字の問題が根本的に解決したわけではない。
そのあたり議論は後述するMMT(現代貨幣理論)に続く・・・。
金融緩和政策という政府が自国の通貨や金利や国債の流通を論理的にコントロールし、名目上の経済指数を改善しようとする目論見は、すでに我々国民の理解の範囲を遥かに超えているが、この4年前のマイナス金利発動あたりから既に政策そのものが実際には物理的限界に達していたのではないか?という疑惑すら涌いてくる。
にも関わらず、政府はこれまでの金融緩和政策=低金利政策をさらに継続する意向を見せているようだが、この先にはいったいどのような結末が待っているのだろうか?
少なくとも、国債の利払いという問題がある限り、利上げという方針に切り替えることはできないのはわかるが、だからといってこのまま永久に低金利(マイナス金利)政策を続けた場合に起こりうる最悪の結末の責任はいったい誰が取るのだろう?
エンディングの予想が最悪であるほどに、その結末について誰もが考えることを恐れて止めてしまい、うやむやにしようとするのは考えものだ。
無駄だとわかっていても、自分たちの未来に関わる事は考えなければならないし、議論も必要だし、香港で起こったような抗議活動も時には必要だと思う。
マイナス金利政策は、金融機関による超過準備預金をなくし、その分を企業や個人の融資に回させようという狙いから導入されたと言われている。
銀行から世の中により多くの資金が流出することになり、デフレを解消し、景気回復に繋がると考えられていたが、実はそうはならなかった。
導入直後には住宅ローンを増加させた銀行も見られたが、これは貸出金利引き下げを通じた他行からの肩代わりによるところが大きく、金利低下によって新規借入れ需要が高まった訳ではない。
それすら、スルガ銀行とデベロッパーが絡んだ「カボチャの馬車事件」以降、監視が強化され、ズブズブユルユルの収益物件投資に対する融資はもうできなくなってしまった。
むしろ、マイナス金利政策の導入は、金融機関の間で金利引下げ競争を煽るきっかけとなり、その収益環境を著しく悪化させてしまっただけで、本来の目的であった市場への資金供給拡大は成り立たなかった。
また、マイナス金利を導入することで預金金利などの低下を誘導し、国民に「銀行に預けるより使う方がマシだ」と思わせて景気誘導するという目論見も果たせなかった。
マイナス金利政策は、その名称が衝撃的であることから、こういった心理的な効果も狙って導入された面もあったのだろうが、プラスがマイナスへと符号が変わるだけで、経済効果が劇的に高まることはそもそもあり得ないことだ。
また、日本銀行の当座預金に一部マイナス金利が適用されたことで、銀行間ではマイナス金利での資金貸借がなされるようになったが、企業や個人の資金調達・運用には、マイナス金利は適用されていない。
つまり、マイナス金利の世界にいるのは金融機関だけであり、その外にいる企業や個人にとっては、長らく続いてきた低金利の水準が、微小に低下しただけに過ぎない。
思い返せば日本銀行がゼロ金利政策を導入し始めたのが1999年の2月頃なので、それから21年も経過することになるが、金利というものがほぼゼロに近いのが当たり前の世界で20年以上生きてきた我々にとって、金利のというものは既にあってもなくても気にならないどうでもよい要素と化してしまっている。
平成の失われた30年のうち、20年間は金利が失われていたのだ。
なのに、経済は成長できなかった。
つまり、お金はどこに行ってしまったのか?
いやどこにも行かず、銀行にやタンスに眠っていたのだ。
この21年を振り返ってみて、もし預金だけでもタイムスリップできるのであれば、中国の銀行に人民元で定期預金にしていれば良かったということになる。
1999年の人民元は1RMB=13~14円位だったし、その後20年間今に至るまで極めて安定している。
その後2015年には19円台まで上がり、下がってきた今ですら15円程度の価値はある。
人民元建て定期預金の金利も最近では良くて年2%くらいに下がってしまったが、数年前までは年6%以上付いていたことを考えると円で持っているよりは遥かに良かったということになる。
もちろん、20年前に中国の上海かシンセンあたりで不動産を買っていれば、さらに良かったのは言うまでもない。
或いは、2001年頃のITバブル崩壊と2008年のサブプライムショックで50%近くドロップした歴史があるとは言え、米国のS&P500インデックスに投資をしていたなら、結果として年7%くらいの運用があったことになる。
まあ、いまさらこんな事を言っても仕方がないが、金利の失われた日本の20年間は、海外には投資のチャンスが明白にあったのだ。
20年前にこのことを予想してそそくさと海外に資産を移していた人たちは正解だったといえるだろう。
金利という概念を失って20年も経つ事に唖然とするが、その頃既に日本の将来のヤバさに気付いていた私でさえ日本という先進国で金利が消滅してしまったことに何となく慣れてしまってどうでもよくなっている感覚は時々怖い。
さあ、これからどするか?
この期に及んでも、やはり日本円は安全資産だというひとは多い。
当然他の国の通貨と比較しての話だが、特にUSドルとの比較に焦点は絞られる。
今のように、USドルと人民元が切り下げ競争を行って行くと、相対的に円高になる可能性は無いとは言えない。
しかし、国の経済の信頼性という基準で見ると、日本円が安全資産だとはとても思えない。
日本にある、貨幣ではなく何か別の資産、例えば、人材や、観光資源や、オタク文化など、国際的に見てもお金では計れない価値のある物は沢山あるが、日本円という日本国に価値が保証された通貨にはそれが感じられない。
日本の経済がこんな調子で日本銀行が国債をバンバン発行して、どんどん買い入れを行っていって債務を増やし続けても大丈夫なのか?という議論に関して、最近では「MMT(現代貨幣理論)」なるものが持ち出されて、反MMT派とMMT支持派の議論も熱いが、MMT的に破綻しないにしてもその理論を誰かが保証してくれるものではないので、そういった議論も民衆レベルでは虚しく空回りする。
MMT(現代貨幣理論)とは、簡単にいえば、「自国通貨建てで政府債務を拡大させれば、物理的な生産力の上限まで経済を拡大させることができる」という錬金術のような考え方である。
つまり、MMTは「自国通貨建てで財政赤字を拡大させれば政府は簡単に経済の長期停滞から脱出できる」という主張だが、今の日本の金融緩和政策はそれを裏付けているという意見がある反面、強い反対論もあり、1つは、財政支出の拡大によって金利が急騰し、民間投資が阻害されてしまう懸念(クラウディングアウト)。そして、2つめは、財政支出を無限に拡大させることによる(ハイパー)インフレ懸念である。
そして少なくともこの20年間はこのどちらも日本では起こってはいない。
おそらく世界の経済学者達は、日本という国をMMTの歴史上初めてのサンプルとして冷ややかに見ていることだろう。
20年にわたるゼロ金利政策の末路は、単にさらなる失われた30年を生み出すだけなのか、はたまた反MMT派の主張するような限界が訪れるのか、MMTが成り立つかどうかにかかっている。
MMT議論についてはまた改めて掘り下げたいと思うが、興味のあるひとはウィキで難解な内容を勉強してみてほしい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E7%90%86%E8%AB%96