2019年新成人に贈る言葉「いったい何を夢見ろというのか?」 | Mr.Gの気まぐれ投資コラム

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50代グダグダちょい悪おやじMr.Gの趣味と海外投資に関するコラムです。
香港を拠点に活動する個人投資家であり、自称「投資戦略予報士」Mr.Gがお伝えする海外投資の生情報。
ねだるな勝ち取れ、さすれば与えられん!

新成人のみなさんおめでとうございます。

 

昨年の成人の日には、ディケンズの大いなる遺産を題材に「若いうちにあまり成功しない方が幸せかもしれない」という話をさせてもらいましたが、最近は成功というものを強く求める若者にあまり出会うことが無くなったような気がします。

 

おじさんとしては、若者には愚かなほど自分の未熟さをを省みずに何か夢を求めて無謀にチャレンジして欲しいと願っていますが、この閉塞感に満たされた20年を生きてきた新成人にとっては、「いったい何を夢見ろいうのか!?」という感じでしょう。

 

そもそも成功ってなに!?

 

全てのことが、あまりにも現実的で、そしてその現実は重くのしかかっている。

 

バブル期のおじさんたちが言うような成功を勝ち取るために取らなければならないリスクが大きすぎることを賢いみなさんは知っているのかもしれませんね。

 

そのようなつまらない世の中にしてしまったのは、我々大人なのかもしれない。

 

生きて行くことの現実的なゴールは結局誰にとっても死ぬことです。

 

20歳の君たちにとって、死ぬことは遠い未来のように実感の全く無いことかもしれませんが、今実感のある重たい現実は、最後にいつかは死ぬという重いゴールに比べれば大したことではありません。

 

よく、「明日命が尽きても後悔の無いように生きろ」というメッセージを反芻することがありますが、分かっていても、それはなかなか実現できません。

 

明日死ぬことが本当に分かっていたとしても、今日一日でできることなど限られていると思ってしまうからです。

 

結果として、「たぶん明日死にはしないだろう」と楽観的に未来を捉える方に傾いてしまうのです。

 

明日死なないにしても、20歳の君の今日は、明日にはありません。

 

私は、54歳になった今、もし20歳に戻れるとしても戻りたいとは思いません。

 

それは、「過去の人生にやり残しや後悔がない」というカッコイイ話ではなく、実はあまりにもカッコ悪い話ばかりで、やり直す気になれないというのが正直な気持ちです。

 

また、カッコ悪かったけど無茶苦茶楽しかったあの頃、若くて未熟だったからこそ許された馬鹿な行為の数々は、もういちど経験したいというものではないからかもしれません。

 

それは人生にいちど、その時にだけ輝いていた何かで、巻き戻せないからこそ煌めきを放っているような気がします。

 

それがたったいちどきりで巻き戻しできないきらめく「若き日の夢」というものなのでしょう。

 

みなさんが直面している重たい現実が、そのような「若き日の夢」を遠ざけてしまう要素だとすると悲しい話です。

 

オトナになるということは、現実が見えるようになることだと言いますが、夢は逃げても、現実は決して逃げないので、あまり急いで現実が見えて背負えるオトナになる必要はありません。

 

いわゆるトトロの「まっくろくろすけ」のように、子供の頃には見えたものがオトナになると見えなくなる・・・ということがありますが、それは感受性がオトナになるにつれて失われるということなのか、現実を理解するほどに想像力が失われれるということなのかもしれません。

 

私の経験上、というか私が若い頃にあがいて固執したことはひとつだけあって、それは結果からすると残念ながらそれほど今の私の成功には寄与していません。

 

それは、当時の自分は愚かにも自分の感性に絶対の自信を持っていたせいもあり、その感受性なり絶対の自信がある感性を失いたくないというものでした。

 

要は自分は特別な存在であり、その神から与えられたであろう特別な感性によって、将来必ず成功したいという下世話な欲望だったと言えます。

 

歳をとるにつれ、みなさんと同じように現実の壁にぶち当たり、それが幻想だった事に気付かされるわけですが、ひとつだけ良かったと思えることは、その時の情熱の熱量が大きかったことかもしれません。

 

何でも良いので、若い頃に求めているものに対する情熱の熱量は大きい方がいいと思います。

 

歳をとるにつれて、情熱は失われていきますが、若い頃により大きな熱量を蓄えていた方が、冷めにくいということは言えるからです。

 

現実を感じて理解して受け入れることが十分可能なほど頭脳明晰で素直なみなさんが、その現実を受け入れることで、その無駄で無謀な熱量の蓄積チャンスを逸するとすれば、それはみなさんの将来にとっても世界の未来にとっても杞憂すべき事でしょう。

 

久しぶりに、松本零士先生原作、りんたろう監督の劇場版「銀河鉄道999」と「さよなら銀河鉄道999」を観ましたが、「少年の見果てぬ夢」というものが見事に描かれていて、40年経った今観ても色あせない感動がありました。

 

1979年と1981年の公開ですから、みなさんが生まれるさらに20年ほど前の作品ですが、機会があれば観てみて欲しいと思います。

 

機械人間ですら、少年の夢と情熱というエネルギーを部品にしようとしていたという設定が、AI社会が現実味を帯びてきている現代においても新鮮に感じられます。

 

若者の持っている無駄に高い熱量のエネルギーは、人類にとってある種の無形資産なのかもしれません。

 

覚めないで、醒めないで、冷めないでいて欲しいと心から願います。