3ヶ月近い日本滞在を終えて

ベトナムに戻ってきて早2週間。


自分の誕生日も過ぎた次の日から

熱が出ています昇天


旦那氏が子どもたちを遊びに連れて行って

くれた中

一人でボケ〜と高い天井を見上げて

寝転がっていたら


ブログを書く気分になってきました、笑



大事な人を亡くした後

人はどうなるのか

きっとこれは人それぞれでしょう。


亡くなってから数日は

私や家族は妙な興奮状態だったと思います。


泣きもすれば

思い出しては大笑いもする

素敵な思い出を語っては

貶す話もした。


3歳と6歳の子どもがいたので

しんみりする暇がなかったのは

とてもありがたかったかもしれない。


遺体が家にある状態

遺骨が家にある状態

49日が終わり

初盆も終わる時

徐々に父への感情は良い意味で薄れて行った。


特に49日が終わるまでは

どこに遊びに行っても

彼の残像が至る所に出てきては悲しくなった。

でも骨をお墓に入れた後からは

スーっとこの感覚が薄まった。

神棚に手を合わせる日も忘れる勢い汗うさぎ


49日ぐらいって

人間の受け入れる精神的問題か

本当に魂があの世に帰る頃なのかは

わからないけれど

うまい日程だなと実感した真顔



そういや

不思議なタイミングが沢山あった。


父が在宅介護になるやり取りを

する最中

ふと母が私、夏服の喪服がないわ、と呟く

既にその日は夕陽が傾く時

私は今から買いに行こう、と連れ出し

近所ですぐに買えた。


その夜父は酸素低下で酸素マスクが

つけられ、次の日はもう最後の面会日となり

服を買いに行く余裕などなかった。



7月の末に

息子は卒園式が予定していた。

父の容体としてはその時期までは

厳しいかもと卒園式を諦めて

帰国してきた。


すると後に卒園式が6月30日になったと

連絡が来たのだ。


最初からこの日程だと

悩みに悩んで卒園式を優先したかもしれない。


父が亡くなったのは6月29日の夜中。


葬儀の準備でバタバタする中

息子はオンラインで卒園式を眺めていたが

特にどうでも良さそうな感じだった…笑

帰ってきて本当に良かったと思った。



実家の名義が父だったので

母の名義で相続登記すると

32年前に家を建てて登記した日程と

全く同じ日だったのだ!

自分たちで書類を揃えて

あれこれ指摘された所を修正しながら

申請した最終受付日が同じ日

これには驚いた。

(こういうシンクロに意味があるのか

わかったらオモロいのにな〜照れ)



ベトナムへ戻るため

関空に向かう途中

車の横を中型トラックが横切った。

そのトラックには

大きく父の名前が刻まれていたびっくり



最後に

ベトナムへ戻ってきて

友人に預けていた私のバイク

上3桁が偶々その友人の誕生日。

受け取って運転して帰っている途中

なんと下3桁も同じ誕生日の数字が並ぶ。

答え合わせ、みたいな感覚。


その後1週間経たずに上3桁の数字は変わる。

やっぱりすごいタイミング。



見えない世界のことは見えないので

正直な所よくわからんが

偶然だけど偶然じゃないんだよねって

思って生きていきたいと思った。


私もいつかは死んで

見えない存在になるんだしウインク


ちょっとね死ぬ前にその辺の感覚を

磨きたいと思ってるんだよね!



サリリ