母(60代)に娘(2歳)のオムツを指摘された
母
「もう3歳になるのに、まだ外れないの?!
恥ずかしいよ!
私の子供は、みんな優秀で1歳には外れたわ!
私の言う通りに、トイレトレーニングしなかったからよ!!
2時間に一回はトイレに連れて行きない!
夜中も2時間おきに起こして、トイレに連れて行くのよ!
このバカ親!!」
さて、私はなぜそこまで母親に言わせたのか?
考えた結果、
「私が娘のオムツ外しに気合を入れていた」
と判明しました
本来、オムツは誰しも、いづれは外れます
それを「私がやらなくちゃ!」と思い込んだのです
いやいやいや
トイレトレーニングは、そもそも
親の私が頑張ることではない
娘が頑張ることでもない
トイレで排泄する事は、このスタイルで生活している人類としては、普通
だから、普通に淡々とやっていれば良いのです
気合いを入れた、と言う事は、「難しい事に挑戦する」と宣言している事になり
結果、ただのオムツ外しが「難しい事」に成り上がったのです
決めた時間に「トイレ行くよ〜」と声を掛けて
「嫌だ」と言われれば、
「トイレですると気持ち良いよ」と快を伝えて
無理強いをしない
だって無理強いすると「難しい事」になりかねない
「布のパンツは気持ち良いね〜」と心地よさを実感して貰って
オムツに漏らしちゃったら、「漏らしちゃったね、気持ち悪いね〜。新しいのと取り替えようか。次は、トイレでしたら、気持ち良いね〜」
と、これまた快を伝えて
ただ、これを淡々と
怒る事なく、淡々とやってれば良いのだ
トイレで排泄が出来た時も、
「当たり前」なのだから、
派手に褒める必要は一切ないのだ
「やったねー!すごいねー!」と言うのは、
難しい事が出来た時に使う言葉
この声掛けをする事で
トイレでの排泄が「難しい事」と設定される
しかも、子供は、「褒められたせいで、もし次にうまく出来なかったらどうしよう」とプレッシャーを感じて
出来なくなる
私も幼少期によく「すごいね〜」と褒められ過ぎたせいで、
「次、出来なかったら、どうしよう。。。」と、少し難しそうな事には取り組むのが物凄く嫌だった
出来なかった時に、失望されるのが怖かったから
そして、間違えたり失敗したら、それを隠したくて仕方がなかった
間違えや失敗は、何も悪いことではないのに
嫌で嫌で仕方がなかった
そんな自分は、恥ずかしくて、汚い人間なのだとさえ思っていたよ
これは有名ですよね
子供を褒めて育てると、その子は難しい事を嫌がるようになる、いつも簡単な事にしか取り組まなくなる
子供のした事を大人が評価しない方がいいのです
子供は、自分がうまく出来たかどうか、自分が一番よく知っているのだから
大人はただ事実を認めるだけでいい
「トイレで出来たね」
「絵がかけたね」
「挨拶ができたね」
これで十分
「トイレで出来たー!すごーい!」
「絵が上手だね!」
「挨拶できてすごーい!」
こんなのは要らないのだ
こんな風に褒められていると、ただ絵を書くことが好きだったのに、
「上手に掛けない」と落ち込んで、絵を書くことを「楽しめなくなる」子供は多いのですよ
ただ事実を認める声掛けをされた子供は、
誰にも評価される心配がないので、
新しい事にも失敗を恐れずに、キラキラした目で取り組めます
人からの評価を気にせずに済むので、自分で自分を評価するので、自己肯定感が高まります
子供の自己肯定感は、子供が育てるのです
子供の自己肯定感のスタートが0なら、
その数値を上げるのは、子供自身
その数値を下げない様にするのが、大人
↑たとえ話です
それぐらい、「大人が育てるのではなく、大人は邪魔しない存在である」方が良いって意味ね
お母さん、ボロクソに言ってくれたお陰で、気が付いたよ
気付かせてくれて、本当にありがとう
私は、トイレトレーニングを自分で難しい事に仕立て上げていました
娘よ、すまなかったな