こんばんは
物でも人でも、自分の好きなものに囲まれていきたい
でも、それって選ばれない自分を受容することとセットなのだ
好き嫌いをしてはいけない
平等に接しなければいけない
私の中でこの思い込みは根深くある
何でも好き嫌いをしないこと、誰とでも平等に接することは良いことのように思われるけれど
私という世界のコントラストが薄くボヤーっとした感じなのは、これだからなのかもしれない
好き嫌いをあからさまに表に出す人、
自分のお気に入りを特別扱いしたり贔屓する人が許せなかった
逆に言うとこれって、自分自身に好きなものとそうでないものを分けることと、本当に大切なものを大切にすることを許可していなかったのだ
もっと言うと、私自身が選ばれずに傷つきたくないという恐れがあるから、反対に選ぶことを許可できていなかったのだと思う
いや、選ばれなくたって良いじゃない!
選ばれない私を許そう!
選ばれないことを許可しよう!
選ばれる人でありたくて、誰にでも良い顔をしてどんどん自分を見失い、嫌われたり誰かとぶつかることはなかったけれど、気づけば私のことを『都合の良い人』として見ている人と一緒にいることが多くなっていた
好き嫌いをせずに、誰とでも平等に対等に接することが素晴らしいと思っていたし、そうありたいと思っていたけれど、そうすることでどんどん自分の本音や好みがわからなくなっていったし『何を考えているのかわからない人』と思われていたなんてこともあった
本来『好き』『好み』に注げるエネルギーが分散されていた
何でも良いよ、どっちでも良いよ、どちらも嫌いじゃないよ
人に合わせてばかりでいつも透明で、そのうち自分が何色なのかがわからなくなっていた
透明であれば、誰とでも合わせられるけれど彩りのないままずっと透明なまま
私が自分の色を出してしまったら、この色とは合わない、この色は好みではないと誰にも選ばれなくなってしまうから
選ばれないことが怖くて痛いから、選ぶことも出来ずにいた
私が何かを選べば、同時に私に選ばれなかったものがある!
私に選ばれなかったものも、いつかどこかの私自身なのだ!
そんな今にも消えそうな些細なことに気づいた時、私の中にパワーが戻った気がした
選ぶことも選ばれないことも恐れずに
素敵な週末を