感謝の手紙までの出来事
私は中学卒業と同時に電車では通えない地域の高校に進学したので、16歳から一人暮らしです。
どうしても、その高校に行きたかったのか、家が出たかったから、遠方の高校を選んだのか・・・
まさに卵が先か、ニワトリが先か問題なのですが。
親元を離れたかったので、一人暮らしできるように、料理も中学校の頃から、はじめていました。
うちは、共働きだったので、両親と私と弟のお弁当を中学3年間は私が作りました。
文武両道で、文句なしの推薦入試が受けられることになり、満を持して、希望した進学校に入学しました。
ですが、中学卒業時から、まともに食事ができていない私は、(この頃から摂食障害でした)高校入学後は環境の変化もあり、バランスをさらに崩し、半年ほどで、すぐにメンタルに不調を感じ始めました。
でも、親に心配も迷惑もかけたくない。身近には知り合いがいない。。。
誰にも不調を打ち明けられないまま、私の精神科通いが始まりました。
精神科に通わざるを得ない出来事があったのですが、そこは長くなるので割愛します。
16歳から、辛い、しんどいが言えなくなった私は、安定剤や不眠の薬の影響も加味して、さらに悪化。
しんどいが言えないことを親に八つ当たりしたり、親のせいにしたり・・・
今、思えば、絶賛反抗期だったのでしょうが、抑鬱状態が長かったので、それどころではなく、
両親との関係はかなり長い間、疎遠でした。
通院や投薬を繰り返しながら、ずっと一人で闘病しているのが辛く、親をますます恨んだり。
さらには23歳の時に、頭の大怪我で、緊急手術が必要になり、10日以上意識不明になり、大変なことがありました。
奇跡的に意識は戻り、身体に後遺症もなく、何度も手術は必要でしたが、1年ほどで退院して、リハビリも兼ねて実家に戻ることに。
そこで、悪夢が起こりました。
やっと退院して実家に帰ると、心配しすぎたストレスもあったのでしょうが、
母が私に向かって「あんたなんか○んだらよかったのに!!!」と言ったんです。
自分がお腹痛めて産んだ我が子に向かって、よくそんなことが言えるな・・・と
私は、ますます母のことが嫌になり、距離を置くようになりました。
20年弱、親子なのに、他人のような私と母でした。
先日、京都鴨川の納涼床でランチをして来ました。
鴨川の床でランチが食べられるのは5月と9月だけなんです。
母との確執が、感謝の手紙で解れたので、心から解放されて、天気にも恵まれて、気持ち良い最高のランチとなりました。
人間はいつからでも変われるのだな。と実感しました。