キーサン日記 -5ページ目

嶋田和子著『精神医療につながれる子どもたち』について(私信から)



(前略)



 それはそうと、非常に的確な、内容の濃い感想を書いてくださり、とても感謝しています。さっそく印刷して、えばっちにも読んでもらおうと想っています。なかなかこれだけの分量の筋の通った感想は書こうと思っても書けるものではありません。
 私も、嶋田和子氏の著作を読んでいろいろ想うところがあったので、真剣に感想を書いてくださり、とても嬉しいです。

 全体として、Mさんの書かれたご感想は、全くその通りであり、また非常に本質を突いており、私も非常に同感です。ジャーナリストとしての基本的な倫理観はもちろんのこと、「発達障害」概念への疑問、そして、いま現在入院させられている30万人以上の患者達の現実を意図的に無視していること、などへの批判は全くそのとおりであり、とりわけ「精神医療」の実態を告発するのなら、上の三点目である、何十年も家族・親族から捨てられて閉鎖病棟に入院させられている病者の現実、死ぬまででられないであろう何十万人もの患者の想いを書かなければ、(そしておそらく意図的にそれを書かなかった嶋田氏は)この著作全体がどのような立場・視点から書かれているのかという疑問は大きく残ります。実際、前進友の会をはじめ、患者会には一切コンタクトを取らずに最初から最後まで取材活動をしたわけですから、意図的にその視点を抜いて出版したと言うことです。

 どんなえらそうなことを著作で書いていても、その視点抜きでは、現実の精神医療の実態を告発する資格はありません。私自身は個人的にそのことに非常に強い憤りを覚えています。
 まさに、Mさんが遠慮がちに書いているように、「昔の被害者はもう仕方がない(死ぬのを待つしかない)・・・・・・」という冷酷な感情をもって、この著作を仕上げたのだと言っても過言ではないでしょう。(嶋田氏は早期介入の会の副代表であり、ずっと、患者会や集会の件で我々と関わってきたので、一層その想いが強いです)

 実は、Mさんの感想をプリントアウトして、五月一九日の東京の集会で一番いい話をしてくれた久郷さんに読んでもらいました。久郷さんも全く同感だと言っていました。まさしく、Mさんの書かれた感想は、われわれ患者会で生活している普通の病者の想いに一致しているのです。

 そのうえで、Mさんの感想のなかには、私が持ち得なかった視点もふくまれていました。それは、「発達障害者」の薬剤過敏性への疑問と、嶋田氏の実は明確な「専門家」的発想への指摘です。
 この二つは実は、どちらも重要な指摘だと考えます。

 以下、この点を踏まえながら、Mさんの感想に対する私の感想を逐次的に書いていきたいと想います。



 まず、最初の段落についてですが、全くMさんの感想の通りだと想います。
ただ、私としては、この著作の意義について次のように考えています。それは、子供達が精神医療に早期介入される危険性を一般の「市民」に『啓蒙』する著作としては、非常に良くできているということです。ですから、この著作は「一般市民」が読む意義は非常にあると考えています。
 ただ、私自身は、「一般市民」を『啓蒙』するということについては、非常に嫌悪感を感じます。嶋田氏のこれからの活動はライター兼『啓蒙』活動家として「偉く」なっていくのかもしれませんが、そのことについては私個人は嫌悪感しか感じません。
 全体情況のなかで、この著作の位置づけを考えるなら、やはり「読まれるべきである」という評価をするべきでしょう。
 以上のことを踏まえたうえであれば、Mさんの感想と全く同感です。特に、私が前からこだわっている取材したケースを当事者・本人が特定されないようにどのように書いたのか、(親・家族ではなく)当事者本人の了解はどうなっているのかという最も基本的な倫理的な問題は、嶋田氏はこれから永遠に問われ続けなければならないでしょう。


 次の段落に進みます。この点に関しては、嶋田氏の著作は笠さんの言動に負っていることが多いことが原因だと想います。全体として、客観的な事実として、この著作から笠さんの引用を全く無くしてしまえば、内容は全くのスカスカになってしまいます。そればかりでなく、嶋田氏は笠さんの言動のいいとこ取りをしていて、いま現在の笠さんの言動と、この著作に引用されている笠さんの言葉は、実はかなり違っています。笠さんもこの10年近くのあいだに言動の大きな変化があったのです。
 ところで、最近の笠さんは、全ての患者が発達障害であり真の意味での精神病は存在しない、と明言しています。(私自身が笠さん本人から電話でそのように聞きました)ですから、社会生活上のほぼ全ての「障害」が発達障害に由来することになってしまうのです。
 もちろん「発達障害」の中核的な「特性」としての「感覚過敏」や「人間関係の構築の困難さ」などは私も否定はしませんが、「不登校」「引きこもり」「不適応」の全てが「発達障害」に帰せられるとしたら、それはまさに「専門家」の独断そのものでしょう。それはまさに笠さんの独断であり、その視点をベースに書いている嶋田和子氏の独断です。
 実際、Mさんの感想に書かれているとおり、このような視点を広めることは、真の「発達障害者」への偏見を広めることになります。それは、少し考えれば誰でも分かることです。ありとあらゆるネガティブなことが全て「発達障害」に由来するとなれば、「発達障害」とラベリングされた人間はどのような差別と偏見にさらされるでしょうか?ですから、我々は「発達障害」という診断名はそれによって救われる人間が本人の意向により選ぶべき診断名だと言っているのです。それは、精神病の診断名も同じです。
 そして、Mさんが書いておられるように、現実にはいろんな「障害」「不適応」を起こしている人たちのなかには、実際には社会的な困難を経験してきた人たちや心因をもっている人たちが多いのは事実です。むしろ、この視点を失っては非常にヤバイことになるでしょう。精神病は「内因性」・「発達障害」は「外因性」でありどうすることもできないので、「精神医療」の現場では、投薬・拘束・入院・ES・CBT(認知行動療法)等の対象になりますが、それを行うのは、我々が批判してきた「国家資格」を持った「専門家」の介入のもとで、となります。いま、心理士が国家資格を得ようと躍起になっていますが、本当に恐ろしいことです。
 ですから、我々は、精神病の拡大と同じように「発達障害」の拡大も止めなければならないと本気で考えています。


 次の段落に行きます。ここにおいて、Mさんは非常に重要な指摘を行っています。
 それは、「発達障害者」は本当に薬剤過敏性を持っているのかという指摘です。実は、この点については我々は疑問を感じずに来ました。そうは言っても、笠さんがそういうのならそうかもしれないな、と漠然と考えていたからです。しかし、これは重要な問題です。薬剤過敏性を持っているというだけで、「発達障害」の傾向が強いと「診断」されてしまうからです。また、逆に薬剤過敏性が少ない人は、精神病の傾向が強いと「診断」されかねません。我々はそのどちらにも反対しなければなりません。診断や病名が必要なのは、本人の人生にとってどれだけの利益をもたらすかであって、それを決めるのは「専門家」ではありません。本人自身の納得と意向です。「専門家」ができるのは、せいぜいその決断にある程度のお墨付きを与え援助をするぐらいです。特に、「精神医療」のこの地獄のような現場では、どのような「専門家」の独断的な「診断」も害を与えるだけです。
 それは、笠さんの「発達障害」という「診断」も例外ではありません。
 そして、そのことを無批判に当然のこととして(笠さんの受け売りを)書いている嶋田和子氏も、独断の罪を背負っています。
 よく考えてみると、私自身が、非常に薬剤過敏性が極端に強い患者でした。抗精神病薬を少し飲んだだけで、すぐ閉尿になりました。閉尿を治療するために、精神病院とは別に内科の病院に10日間入院せざるを得ませんでした。導尿も何回も経験しました。抗鬱薬もほとんど副作用に苦しめられ飲めませんでした。今の処方に落ち着くまで何年間もかかりました。
 私のように、精神病であろうと、「発達障害」であろうと、何であろうと薬剤過敏性の強い患者は一定数います。また、その反対の患者もいます。患者会で生活していれば分かります。嶋田氏は「発達障害の人には薬剤に過敏な反応を示す人が多い」と書いていますが、それは「発達障害でない人」にも当てはまります。
 また、Mさんが分析しているように、若い人の方が薬剤過敏性を強く示す傾向があるのかもしれません。それを、「発達障害の人には薬剤に過敏な反応を示す人が多い」と勝手な解釈で誤解しているのかもしれません。
 以上が、この段落で考えたことです。


 次の段落です。この段落の内容は概ねその通りですが、一部違う見解を持っているところがあります。それは「僕が統合失調症と非統合失調症の区別にこだわるのは、やはり、生涯服薬か、そうでないかの分岐点に病名が関わり、そこに精神科医の大きな責任があるからです」(笠医師)の部分です。
 ここに関しては、たくさんの点において違和感を感じています。
 まず、第一に、この笠さんからの引用は、現在の笠さんの発言からの引用ではありません。数年前は確かにこのような発言を笠さんはしていたと想います。しかし、いまの笠さんは全てが「発達障害」だと言い、統合失調症(精神分裂病)の存在を認めていません。私自身が笠さんからそう聞きました。だから、嶋田和子氏は笠さんの発言の使えるところをいいとこ取りしているのです。まずはこの点に関する違和感です。
 そして第二のより本質的な違和感として、ここにもまさに「専門家」としての独断が現れていることです。そして、これもまた、病名への拘りであり嶋田氏も当然のように引用しています。
 そもそも「統合失調症」と診断されたら「生涯服薬」しなければならないのか?そもそも減薬・断薬をあれほど進めている嶋田和子氏が、ホンモノの「統失」なら断薬を諦めたらいいと考えているのか?それはまさに差別ではないのか??そもそも、減薬・断薬にしても、実際には「病名」など全く関係なく、少数の上手くいく患者と多数の上手くいかない患者がいます。上手くいくかどうかはやってみなければ分かりませんが、上手くいかない場合はいろんな要因があり得ます。家庭の経済力・家庭環境(サポートしてくれる親がいるか)、ストレス情況、まわりの人間関係、クスリをどれだけの期間・どれだけの種類・どれだけの量飲まされてきたか、入院の経験など、まだまだいろいろな条件がありますが、これら全てが恵まれていればいるほど、減薬は上手くいく傾向があります。逆の場合ならば上手くいかない傾向があります。そして、上手くいかない場合が大多数です。
 当たり前ですが、どんなに小さな子供であろうと、減薬・断薬は真の意味で当事者主体であるべきです。それはまさに本人の意向が最大限に尊重されるべきだと言うことです。
 それにもかかわらず、(今の笠さんもそうですが)嶋田和子氏は異様に減薬・断薬に拘っていますが、その嶋田氏が、ホンモノの「統失」なら断薬を諦めた方がいいが、そうでないならば、できるだけ減薬・断薬をした方が良いと主張するのであれば、それもまずは家族と「専門家」の意向にそってそう主張するのであれば、嶋田氏はまさしく我々病者にとっては差別者です。
 その彼女の差別性を端的に表現しているのが、先ほどの
「僕が統合失調症と非統合失調症の区別にこだわるのは、やはり、生涯服薬か、そうでないかの分岐点に病名が関わり、そこに精神科医の大きな責任があるからです」(笠医師)
という言葉の肯定的な引用です。
 そして、言うまでもなく、このような精神構造であれば、<「発達障害」は「統合失調症」よりマシだ>、<私はあの人よりマシだ>という内部差別を助長することになるでしょう。この点に関しては、全くMさんと意見が一致します。
 そして、笠さんの意図がどうあろうとも、嶋田氏の意図がどうあろうとも(一応「発達障害」の過剰診断について触れてはいますが)、「発達障害」概念がこれ以上拡大することは、新たな「病」者をつくり、被害者を増やすことにつながっていくでしょう。これもMさんの書いておられるとおりです。


 次の段落に行きます。
 この部分はもう何をか況わんやで、Mさんの書いているように<「健常者に限りなく近づく」べきといった発想は、「病者」の否定につながる思想です。この人は結局のところ、当事者よりも家族や「専門家」にかなり影響されており、ジャーナリストというより「専門家」的発想に陥っている(毒されている)と思いました。>の通りです。
 なぜなら、最も悲惨な当事者本人を意思疎通するようには取材せず、シビアな事例については、その家族にばかり取材をし、また、笠さんを初め「良心的」医療従事者にばかり意見を求め、最も悲惨な事例を当事者として知っている我々患者会には一切接触せずに書いてしまったのだから当然です。
 嶋田氏には、我々が何十年も前から(笠さんとも一緒に言い続けてきた)反社会復帰の思想はさっぱり分からないでしょう。
 情けないし、呆れます。


 いよいよ最後の段落ですね。
 ここで、Mさんが書いていることは、全く完全に同感です。
 結局、嶋田和子氏は、一番知らなければならなかった、本当の悲惨な精神病院の閉鎖病棟の現実を、保護室の現実を、看護士の暴力の現実を、四肢拘束の現実を、ESの現実を全く知らずに、いや知ろうともせずに、この著作を出してしまったということです。それは決して薬害の問題だけでもない、もっと本質的な精神医療の闇の部分です。
 そのことは、嶋田氏自身が自覚しているはずです。

 はっきり言って、あの笠さんが、この程度の本を「いまの精神医療の現実をひっくり返すことができる」と宣伝しているというのが可笑しいです。
 まさにMさんの書かれた<これまでの歴史的総括抜きに、精神医療や福祉が「良くなる」ことなどあり得ないでしょう>という言葉が正しい現実を物語っています。


 いままで、ながながと、Mさんの書かれた感想・批評文に対する私の感想を書いてきました。
 これを、えばっちにもCCで送っておこうと想います。

 また、上に書いた私の文章のみを私のブログ「キーサン日記」に掲載することをお許しください。もちろん、Mさんのお名前は匿名にします。


 本当に、寒さが厳しくなってきました。私も、風邪が完全に治っていないので、早くなおしたいです。
 Mさんも、風邪をひかないように気をつけてください。風邪もインフルエンザもはやっているようですから。
 どうぞ、お身体に気をつけて。意見などありましたら、またメールなど下さいね。

 よろしくお願いします。 
 


   皿澤 剛
 

恒例の紅葉レク

恒例の紅葉レク

 2013年11月28日に前進友の会恒例の紅葉レクにみんなで行ってきました。
今年は久しぶりに、地元山科の毘沙門天門跡に行きました。
このお寺は天台宗の京都五門跡の一つで、とても由緒のある寺院です。
晴天に恵まれたこの日は、全国から来た観光客の人が多くて大変でした。

 行ってみると、非常に赤い燃えるような紅葉が鮮やかで、本当に、綺麗でした。
山科駅から歩いて30分、少し疲れましたが、行ってこれて良かったです。
脚の悪いなかまは自動車で送迎しました。みんなで行けて良かったと想います。
 帰りに山科駅の近くの喫茶店でお茶をしました。
 
 また、行けると良いなと想えるような、愉しいレクでした。本当に、また行きたいです。









 前進友の会のホームページにも掲載してあります。

えばっちキーサン革命ホームページにようこそ

えばっちキーサン革命ホームページにようこそ
このたび、前進友の会のえばっちが、自らのホームページを立ち上げるにあたり、私のブログ「キーサン日記」と相互リンクすることにしましたので、みなさんにお知らせします。

 えばっちのホームページアドレスは下のとおりです。

         ↓
http://rintaroshobo.zouri.jp/index.html

どうぞ、読んでください。
よろしくお願いします。

 また、右のリンク欄にもリンクしておきます。


〈以下、追記〉

 えばっちからのメッセージを掲載します。
----------------------------------------
みなさまへ、BCCにて、お送りしています。
失礼を、お許し下さい。
よろしくお願い致します。

ホームページのお知らせですが、
重要な中身になっています。
なんといっても、
笠陽一郎医師への批判ですから・・・・

えばっちのキーサン革命ホームページ
乾坤一擲 
http://rintaroshobo.zouri.jp/index.html


良かったら、読んでみてください。


「この七巻は、すべて、なんらかの意味合いで、
笠陽一郎医師の疾病観、治療論、医療観、運動論への
批判と警告
を含んでいます」

という、文章が入っています。


そして、順次
「キーサン革命極意奥伝」まで、掲載の予定です。
如何せん10万字近くの原稿群デスカラ・・・
年末年始に、ユックリ、眺めていただければと、
想っています。


今、発言しなければなりません、そう、想っています。
りゅうさんとの、これほどの、意見の相違を、外に、
知られるのを
避けようとしてきたことが、
結局、ワルカッタのだと、
想います。

えばっちは、いま、『自己批判』の必要性すら感じています。
なぜなら、えばっちの見るジジツと、ゲンジツとは、
明らかに違うことを、

大量投薬を、そして腐った毒殺精神医を憎むあまり、
しかも、
笠医師を少しでも、助けようと、
支持してきたからです。


シンジツとゲンジツは、
ゲンヤクをしてクスリがゼロになるのは、
一割から二割です。
それが大多数そうなるかのように言ってしまった。
笠医師は、わざとに、嘘を言ったのです。
敵に隙を与えるからと、いって、
こちら側が嘘を言ってしまえば、終わりです。
敵がどう言おうと
こちら側は、シンジツを言いゲンジツから出発すれば、
良いのです。
でも、笠医師は嘘を言ってしまった。
そして、まわりは、えばっちも、含めて、
その嘘を支持してシマッタ


笠医師に直接聞いてみてください。
アナタのやったセカンドで
何人のうち何人が、クスリがゼロになったのか、と。

そして、ゼロはならなかった患者さん達は、
何人ぐらいなのだと。
さらに、その中で、
クスリをいっさいイジラセないで、
引き返していった患者さん達は、何人なのかと。
逆に言えば、
八割のクスリがゼロにならなかった患者サン達は、
どうすればいいのか。

ゲンヤクにクルシむ病者は、どうしたらいいのか。

ジジツとゲンジツから、出発しなければなりません。
一割から二割の患者さん達がクスリがゼロになったことに
ハンタイしているわけではありません。
それは、本当に、良かったのです。
デモ、残りの八割の患者サン達は、
ドウすれば、イイノか、と、
問うているだけです。


年老いた、高齢の、生活保護の一人暮らしの、
病者にとって

「発達障害」とは、ゲンヤクとは、セカンドとは、
ナンナノカ・・・・・ナンナノカナンナノカ

問えば、問う、ほど、またもや、孤立していったわけ、です。

「ハツタツ障害の」ナニガ「救済概念」なのか、、、、
わかりました、よーーーうに、分かりました。認めています。
それで救われるミナサンは、それでいったらイイのです。


デモ、そのお大事モノの「救済概念」とやらで
「救済」しきれない病者達はドウなるのか
「救済」しきれない患者とは、結果、結局は、
高齢で、長年精神医に虐げられ続け、生保で一人暮らしで、
病院暮らしの患者さんが多いのでは・・・と、
言ッテイルのです。


そうしたら、もっともキツい被害者を無視するかのような
モノのドコガ「救済概念」なのか、
教えて欲しいモンダ、と、言ってイルのです。
しかも、その「救済概念」とやらは、同時に
「社会復帰圧力概念」にもナルゾ
と、言ってイルのです。
もう一つ言えば
「保安処分推進概念」にもナルゾ
と、言ッテイルのです。
「精神分裂病概念」と「人格障害概念」を駆使しても
保安処分病棟、観察法病棟、重装備病棟に
放り込めなかったニンゲンを
この「救済概念」とやらを駆使して
放り込む算段をシテイルんですよ。
ソレガワカリマセンカネ・・・・・
それどころか、幼児のうちから、
この「救済概念」をつこうて、
重装備、重保安、観察法病棟、への入営候補者として
番号振られていくんデスヨ、
それが「早期介入」のキモ
だとは、想いませんか、
と、言ってイル


ソンナコトすら考えないで
ハッタツ音頭を踊っているんですか・・・
精神医療と精神保健と精神福祉ダケ見とったらアカン
治安関係者がナニ狙っているのかも、見据えなアカン

治安関係者はウハウハよ、右も左も、上も下も、
保守も革新も、古いのも、新しいのも、
こぞって、「ハッタツ障害概念」拡げてくれるワイ
「黍団子は、後で、どうとでも、使えるワイ」と
「精神分裂病」でぶち込めなかったのを
「ハッタツアスペル」で、ぶち込める、と

高笑いが
止まらないでショウネ
ソコは無視して、ハッタツ音頭とは・・・・
生活保護で、一人暮らしで、高齢で、
精神病院から退院したことのないヨウナ
病者達のことを、歴史からなかったかのようにする、
ゲンヤクで苦しんでいる患者を、無かったかのように、言う、

そのような態度に、
えばっちは今や、
自己批判しつつ、

笠医師を批判すべき時がきたと想っています。



セーカツは続きます。
キーサンのセーカツは続くのです。
みんなの部屋のセーカツは続きます。
このメールの転送と拡大を希望しています。
ではまた、えばっちより

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 読んでくださり、ありがとうございます。

 私たちは、精神病者の患者会としての原点に立ち返り、なかまとともに、生き抜いていこうと決心しています。
 真の意味での病者解放をこれからも目指していく所存です。


  さて、これからも、えばっちのホームページについて、このブログで言及していくことになるでしょう。

 そして、私自身のことも、言及していかなければなりません。おいおいとですが。
 自己批判もしなければならないでしょう。笠さんを、支持すると、言ってきたのですから・・・・・・

 笠さんとは、先日、彼から電話が掛かってきて、二時間以上話ました。タイヘン、シンドイ、ハナシでしたよ・・・・・・

 どうぞ、よろしくお願いします。

2013年 びわ湖レク(10月になっても、伝統の夏レクです!!)

今年も恒例の夏レクをみんなで行ってきました!!!

10月になっても、夏レクです。



風 景
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浜大津びわ湖ホテルから眺めるびわ湖
目の前の一面に広がるびわ湖は何度見ても吸い込まれる綺麗さです。
前回は曇り空でしたが今回は晴天に恵まれて良かったです。


食  事
キーサン日記
キーサン日記

いつも、びわ湖ホテルの食事は豪華です。
今回の食事はドイツの食べ物がメインでした。
やっぱりドイツと言えばソーセージです。
本場のソーセージはやっぱりパリッとしてめちゃめちゃ美味しかったです。
海老はプリプリで、パスタはクリーム味 生ハム サーモン
 言葉では言い表せないくらいの美味しさでした。


デザート
キーサン日記

私的にはベイクドチーズケーキが1番美味しかったです。
ベイクドって名前だけど、ほとんど生クリームのようにとろける食感でした。
今回秋ってことでモンブランも頂きました。
秋の美覚を楽しまなきゃね(笑)
でも、なんだかんだ言いながら全部デザート美味しかったです!>

集合写真
キーサン日記



夏レクへの祝いの言葉 灯会一同

灯会の西山です。
参加できませんが応援しています。
灯ゆうゆう会もどこか行くようです。

今夜10時まで起きています。

レクのことのようです。

患者会全国に広がってほしいです。

前進す やすらぎの里 琵琶湖かな

西山志郎


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今回は岩倉病院からの参加者は0人で残念だったのですが大阪の患者会から1名、

当事者の親子とジャーナリストの方が参加してくださいました。

総勢21名の参加の夏レクでした。

みんな それぞれ笑顔の絶えない1日でした。




(文責・前進友の会HP企画部)

前進友の会のHPに掲載されております。

いつも、ハネやん、ありがとう!!!

生活保護の削減と精神病者の危うい生命について

 私は一人の精神病者だ。長年うつ病を患っている。入院経験もある。そして、今は生活保護を取得し、故郷を離れ患者会のなかまと共に、なんとか自立して地域で一人暮らしを続けている。

 この8月から、生活保護の額が減らされた。私の場合は月に1520円だ。さらに来年の4月、再来年の4月にもほぼ同額が減らされるという。私は、料理ができない。部屋ではほとんど万年床に寝たきりでシンドクてできないのだ。しかし、外食もできない。毎食外食できるようなお金は無い。それで、1日2食に切りつめて、ご飯だけは炊飯器で炊いて、あとはインスタントのみそ汁・生卵・納豆・トマトなどをおかずにして飢えを凌いできた。それでも月末になると、お金が足りなくなって1日1食に切りつめることもあった。そのような状況のなかで、生活保護の額が減らされるのだ。私にとって、この1520円は2食~3食に相当し、大変痛い。

 そのような状況は、なにも私一人の状況ではない。身近なところで言えば、私が属している患者会・前進友の会で生活保護を取っている大勢のなかまの現実でもあるのだ。
 非常に深刻な情況だ。精神病者として、地域でなんとか自立して生活を成り立たそうと努力しても、生活費の直接の削減は、自立生活を切り崩してしまうかもしれない。それは、われわれ精神病者にとっては、(餓死するにせよ、自殺するにせよ)死ぬことか、そうでなければ、精神病院への入院を意味するのだ。非常に切実な問題だ。

 それで、この問題は、われわれの生存の問題として、前進友の会全体として、取り組まなければならない問題と考えた。
 そして、われわれのなかまのえばっちは、勇気をもって行政に対して不服申し立てをする決意をした。実際勇気がいるのだ。われわれは行政が本気を出せば、何をしてくるかを経験から知っている。それは法律があり守ってくれるから安心できるというようなものではない。そのことを、骨身にしみて分かっているからこその勇気なのだ。本当に生活の基盤を失うかもしれないのだ。そのことをしっかり理解したうえで、えばっちは行動に立ち上がった。

 このような重大なことを、えばっち一人が孤立して行うことはできない。もちろん、前進友の会が総体として、支援し運動するとしてもそれだけでは不十分である。それで、地元京都で長年地に足をつけて運動してきた、身体・知的障害者の団体とともに運動を行うことにした。不服申し立ても一緒に集団で行うことにした。

 その障害者団体のミーティングに何回か参加したうえで、8月30日に京都府庁において、身体・知的・精神障害者が集団で不服申し立てをする場でえばっちも申し立てをすることに決めた。そして、そこでは、府庁の担当副課長への集団申し入れをすることになっていたのである。えばっちも、生活保護を受給している精神病者の本音を申し入れの場でぶつけようと考えていた。

 8月30日のその日、府庁の大きな一部屋に障害者が30人ほど集まった。私も参加した。身体・知的・精神の障害を持った人たちだが、やはり脳性麻痺の車椅子の方々が多かった。
 申し入れの場では、いろんな方が発言をした。脳性麻痺の方は、言葉をなかなか聞き取れなかったが、必死で想いをぶつけた。視覚障害の方は、厳しい口調で「最低生活ってなんなんや!!説明してみろ!!」と迫っていた。副課長は、はぐらかして正面からは答えなかった。また、うつ病で生活保護で暮らしているという青年が、福祉事務所で受けた仕打ちの生々しい話を語ってくれた。それは福祉課の係長とケースワーカーがその青年を狭い部屋に閉じこめ「何で働こうとせんのや!!何や、カネを取りに来たんか!!」と大声でさんざん罵倒し、彼はうつ病でなにも言えなかったという話だ。そして最後には「こいつ、何か話すまで、外で立たしとけ!!」と罵倒されたという。私はそれを聞いていて、その情景が目に浮かぶようだった。その話に対して副課長は、京都市で起きたことは私は関知できません、と言っていた。

 そのような府庁での申し入れの場でえばっちも名前を名乗り生活保護で生活している精神病者の本音を語ってくれた。
 それは全部で4点ある。

 1点目は、現在の生活保護の額でも「健康で文化的な最低限度の生活」はできていないということである。まず、食生活に関しては、私も前に書いたが、料理もできなければ外食も高くてできないという状況のなかで、とても健康で最低限度の食生活は送れていないということだ。また、お金がなければどこかへ行くこともできず、文化的な最低限度の生活も送れないということだ。そして、それを補うためにわれわれは患者会を作り、みんなでお金を出し合って食事会をし、レクをすることで、ようやく憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」を担保しようとしている現実があること。私自身もその恩恵によってなんとか毎日生活できている。

 2点目は、われわれ精神病者の病状の安定は、医者の診察やクスリやカウンセリングで保たれているのでは決してないということ、本当は生活の安定の安心によって保たれるということである。この間の生活保護の減額によって、全国でどれだけの病者の具合が不安により悪くなっているであろうか、その責任はいったい誰が取るのかということ。このことは、われわれ病者にとってあまりに当たり前のことである。私も不安で具合が悪くなっている。

 3点目は、われわれは精神病者ということで地域の中で白い目のなかで暮らしているが、生活保護に対する偏見が非常に強い中で生活保護を受けているということも隠して負い目を感じて毎日生活している現実がある。生活保護に対する世間の偏見をなくすことは、あなたがた行政がやらねばならないことではないのか、ということである。この点も、私自身シビアに毎日直面していることだ。ただでさえ、病状が苦しいのに、生活保護を受けているということによる負い目も、ひどく苦しく、死にたくなる。

 4点目は、実際うつ病の青年が先ほど語ってくれたように「水際作戦」はひどすぎる。私(えばっち)自身も福祉事務所に相談に行ってから受給できるまでに半年かかった。今はもっとひどいだろう。しかし本当は生活保護という制度によって恩恵を受けているのは、あなたがた行政や社会の方だ。生活保護があることで社会の安定は保たれ治安の悪化も防がれている。これ以上生活保護を締め付けるなら社会は必ず不安定化するだろう。補足率が低いことは行政自身が認めている。あなたがた行政がやらなければならないことは、生活保護の減額や締め付けではなく、もっと多くの受けられるべき人たちに生活保護を受ける機会を保証することだ、ということである。私自身も、生活保護の申請には大変苦労した。またえばっちのときは、福祉事務所がなかなか申請を受理せず、最後はわれわれ前進友の会のなかまが大勢一緒に行くことでようやく役所が申請を受理したという経緯がある。私もそのときは一緒に福祉事務所へ行った。

 そうして1時間が過ぎ、えばっちは不服申し立てを申請して、もう疲れて前進友の会に帰った。その後、記者会見もあったようだ。

 そのあと、われわれが危惧していたように、さっそく不服申し立てをした障害者の方にケースワーカーから嫌がらせがあったことが分かった。権利が保障されているといっても、そんなものは建前でしかない。このような嫌がらせはこれからもたくさん起こってくるだろうから、個別対応にまかせず、一緒に闘っている障害者団体の事務局と弁護士の方に、この件に対する対応は全面的に担っていただきたい、と私は想う。それが、本当の意味で一緒にやることだと想うからである。
 しかし、それでも、個人にはいろんな不利益は起こってくるだろう。われわれ前進友の会としては、ミーティングで決めた通り患者会総体としてなかまの不利益を防ぎ、そして生活保護の問題に取り組んでいかなければならないと考えている。これからの障害者団体のミーティングには私も積極的に参加するつもりだ。



 最後に、生活保護に関して一人の精神病者として想うところを述べたいと想う。
 それは、いま現在精神病院に入院している30万人以上の病者のことだ。精神医療などというものは、本当は医療などではない。特に長期入院している病者は、ただ閉じこめられ、隔離され、一生を終えることを期待されている。それは、殺人に等しいことである。私自身が精神病院の中で、そのような人たちをあまりにたくさん見てきた。
 「良心的」と言われている医療従事者やNHKなどのマスコミは「退院支援」と称して、「社会復帰」の名目でいろいろなことをやっていると言われている。もちろん、そのような取り組みで退院できた方も多少はいるだろう。しかし、それはごく少数であり、また、たとえ退院できたとしても、本当の自分の《想い》を押し殺して医療従事者・福祉従事者に従うことによって生きていかざるを得ない。まさに生殺与奪の世界である。
 私は、そんなのはまっぴら御免である。そんなのはまやかしである。退院できる方を本当に退院させるためには、「社会復帰」を目指さない反社会復帰で開き直り、働かない権利を保障することで、医療従事者・福祉従事者の勝手に敷いたレールをぶち壊し、法律を無くして、自由に病者自身の《想い》で退院し、できうれば患者会を作っていくことだ。そして、そのために絶対必要な条件となるのは、まさに生活保護である。逆に、生活保護が保証されなければ、絶対に精神病院から退院できる病者はほとんどいなくなる。こんなことは本当は当たり前なのだが、「退院支援」を賞賛するNHKなどの「良心的マスコミ」は、「退院」の文脈で生活保護を取り上げることは全く無い。


 精神病院に入院している30万人以上の精神病者の、本当に危うい消えかかっている生命は、生活保護の消滅とともに消えるのである。そして、そのときは、私の生命も消えるだろう。

 皿澤 剛
        (2013年9月7日)


 

前進友の会からの厚生労働大臣田村憲久、京都府知事山田啓二、京都市長門川大作宛てに3通の要望書

以下の要望書は厚生労働大臣、京都府知事、京都市長の三名に郵送し、前進友の会のホームページに掲載されています。


2013年8月8日

京都市長 門川大作 様

要望書

  団体名: 前進友の会                       

  住所: 京都市山科区日ノ岡坂脇町7-5 日ノ岡荘 2F

 私たちは京都市内で38年間、地域で地道に生活と運動をしてきた精神病者の患者会です。  
前進友の会といいます。

2013年8月に約一日分の生活費が減らされました。来年、再来年とさらに減らされる予定ですが、再来年には3、4日の生活費が減らされることになります。

そうなると明らかに生活費が足りない状況になるわけですが、京都市政の方々はいかがお考えなのでしょうか?

再来年には月のうち3、4日はなにも食べるなという生活をしろとおっしゃるわけなのでしょうか?

憲法に定められた健康で文化的な生活というのは、そういう生活を指すのでしょうか?

基本的に生活に余裕はなく、いつもギリギリという感じで生活しています。その中から1日分の生活費を減らされるとやはり痛いです。

そして、再来年には3、4日の生活費が減らされ、そうなると生活が立ちゆかなくなる人達が続出すると思います。
そういう人達をなくしていくのが京都市政の本来の方向ではないのでしょうか?

次に根拠として、過去5年間の物価下落が引き下げの理由となっているようですが、これからどんどん物価が上昇するときに生活保護を引き下げられると生活には大打撃です。

収入が減って物価が上がれば、生活はできなくなるのはおわかりだと思います。

また、テレビなどを見ていると生活保護受給者に対しての激しい差別が繰り広げられています。これは生活保護が権利であるにも関わらず、その権利が無知や誤解によって差別されているように思います。京都市は差別に対して市民にしっかり説明して権利であることを周知させるようにお願いしたいと思います。

正直、テレビなどを見ていると死にたくなります。実際に死んだ人も多いと思います。生活保護の話をするテレビの否定的な論調に具合が悪くなる仲間もたくさんいます。

京都市には市民の生活を守る義務があると思います。生活保護を受けることに偏見や差別がないような社会になるようにお願いします。

精神障害があってもなんとか生きていける社会にしていただきたいと思い、要望書を書きました。

ぜひとも良い行政を行っていただきたいと思います。



 要望

 ・ 生活保護の引き下げを撤回してください

 ・ 生活保護を受けることの偏見や差別をなくすような施策をしてくださるようにお願いします


《なかまの声》

国や地方公共団体は私達を生かす気ですか???それとも殺す気ですか???

働けない私達は必要最低限で生活をしています。働けば自由になれるなら、とっくの昔になっています。

普通の大人の人は、仕事がしたい。ある。する。できる。し続けられる。が、備わっています。

しかし、私達精神障害者は、それらのどこかが欠けています。

だから、障害ゆえに働けないのです。

私達は、何もゼイタクをしたい訳ではありません。

ただ、生活が出来ればそれで良いのです。

しかし、今の制度、政策では、私達は餓死への道を歩まざる得ません。

これから、生活必需品の物価も上がっていきます。又、現物給付も困ります。

大臣や議員、公務員は、年収はどのくらいあるのですか?

1人当たり、税金を払っても、生活に困るぐらいの所得ですか???

私達、生活保護受給者は1人当たりの年収は、ギリギリです。

最低限つまり、必要最低限の収入を下げる事は、私達をそこまでして殺したいのですか???

働けば自由になるという妄想はもう止めて下さい。!!!

私達は生活がかかっているからこそ、今、声明を出している訳です。

国や地方公共団体の皆さん、私達はあえて言います。

私達を生かす気ですか???それとも殺す気ですか???

厚生労働大臣 田村憲久 様
京都府知事 山田啓二 様

「生老病死」ではなく「生『病』老死」又は「生『病』死」の人生(2010年以来の再掲)

ほんと、最近、しんどいことばかりですわ。

 ただ、生きているだけでもシンドイのに、なんでこうもイロンナことに気をつかって、いかなならんのでしょうか。

 わしら、クスリ飲んで、毎日セーカツして、なんとか生きてゆこうとしてるけど、生きるために皆必死の努力をしてるケド、それではアカン言うんでしょうなあ。努力が足りんと言うんでしょうなあ。

 いくら、難しいリクツを言っても、わしらのゲンジツ変わらんわ。わしも高校しか出てんさけえ、難しいリクツを言われてもワカラン。

 そんなことより、ワシラのゲンジツをよう観たらええやんか。ワシラが少しでもラクになり、ナットクができ、シンドイことが少しでも軽くなれば、それでええやんか。クスリも少なくなればそれにこしたことはないけれど、それで逆にシンドクなりクルシクなるんやったら、減らすのも考えもんや。診断も同じことや。その診断でワシラがナットクできラクになり、クスリも減らせるんやったらそれでええんや。逆に、その診断でワシラがシンドクなり、今までナットクしていたものが壊され、クスリも不安定になってシンドクなるんやったら、どんだけリクツをこねても、それは誤診や。


 まずはワシラのゲンジツをよう観てみいや。



 健常者はええのぉ。人生の四苦のうち、「生」と「老」のあいだに六〇年はあるんやさかいのぉ。そのあいだに好きなことを気力・体力充実して、元気にやれるんやから。


 わしら『病』者は「生」のすぐ後に『病』がきて、「青春」もなにもかも無いわいや。人生これからと想ったら『病』で苦しむんや。妬ましいのぉ、羨ましいのぉ。
 

 そのうえ、『病』のうえに「老い」までかさなるんじゃ。ばあいによったら、「老い」なくそのまま「死」ぬだけじゃ。



 ワシラの人生なんなんや。せめて、医療従事者・福祉従事者・家族は「キレイゴト」ぬかして、ワシラにちょっかいだすんじゃねぇぞ。ましてや、「医療的強制的介入」してきたらブチコロスぞ、おぼえとけ貴様ら。

 

ほんま、ふざけるんじゃねぇぞ、キサマら。

当事者が問う!「精神科早期介入」問題の現在・過去・未来 -第5回意見交換会ー

5月19日、東京でお会いしましょう!!

前進友の会からは7人で行く予定です!!!



当事者が問う!「精神科早期介入」問題の現在・過去・未来 
 ー第5回意見交換会ー


   立場や生き方は違うけれど生きづらかった・・・
   そんな彼らや彼女たちにそれぞれの想いをディスカッション形式で
   語って頂きます。


**話をして下さる皆さん**
  さらちゃん くごうちゃん (精神病患者会「前進友の会」)
  二宮さん 谷田部さん(発達障害者・&「青い芝の会(脳性マヒ者)」の元介護者)
  伊藤さん  勝山さん(不登校・ひきこもり名人)
  瞳くん  (医療裁判経験者)


精神医療について、ひきこもりについて、不登校について、誤診について

何がいやだったか、何をして欲しくなかったか、何をされてさらに追い込まれたか・・・

最初のボタンの掛け違いは何だったのか、根本のはきちがえはどこにあったのか

何をしたいか、何を求めているか

分かってもらいたいこと、分かってもらえなくていいこと

一緒にやりたいこと、一緒にはやれないこと

苦しんでいる子どもたちに伝えてもらいたいことです
悩んでいる親に伝えてもらいたいことです
迷っている先生に伝えてもらいたいことです

そして追い詰めている社会に伝えてもらいたいと思います

当事者の方はもちろんのこと、家族の方、専門職の方など多くの方の
ご参加をお待ちしています。

○日 時  5月19日(日) 13時半~16時半
○場 所  世田谷区総合福祉センター 研修室
http://www.setagaya-sofuku.net/
○参加費  一般1000円 当事者700円
○申し込み soukimondai@gmail.com まで

冬レクばんざい!!!

2月28日に新年会バンザイ。

これぞキーサンペース。

 岩倉病院に入院中の車椅子のなかま一人と、同じく医療保護入院中のなかまを加え総勢21人で、琵琶湖ホテルの豪華ランチビュッヒェを堪能しました。

 ただ、岩倉に入院中のなかまが、琵琶湖ホテルまで来るのに、身体的な負担が大きいと言うことで、もしかしたら琵琶湖ホテルでレクをやるのもこれが最後になるかもしれません。

 十全会闘争を闘った、第一世代の古いなかまが途中から参加されて、非常に盛り上がりました。もう、親子二代の交流となりました。

 滋賀県の方で、観察法病棟の新設の反対運動をされている方が、今回初めて友の会のレクに参加されました。ぼくたちのなかまである、光愛病院の島田ドクターもなかまの温泉入浴介助に大活躍していただきました。

 いつものとおり、ホームページにでても良いというなかまの写真と、ビュッヒェの食べ物の写真です。

 いつもはなかなか食べられない、非常に豪華なランチをお腹いっぱい頂き、幸せな気持ちを感じることができました。豪華なデザートも食べ放題で、本当に美味しかったです。


 そのあと、いつものように、大広間でのんびりと過ごし、びわこを一望できる天然温泉の豪華な露天風呂まである、お風呂でゆっくりゆったりと過ごしました。


   また、ここに来れるときがあったら来たいです。

(文責・HP企画部)


キーサン日記
キーサン日記
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キーサン日記
キーサン日記

キーサン日記
キーサン日記
キーサン日記
キーサン日記

『キーサン革命宣言』のたいへん嬉しい書評です

 謹んで掲載させていただきます。
 とみやん、本当にありがとうございます。


キーサン革命宣言の感想

 じっくり何日もかけて読みました。改めてえばっちとその仲間の苦闘を知った。そのうえで前と違う感覚をもったのは、なんなんだろう?もっと深いところできらっとわかったことがあった。
 
 一つは皿澤くんの文を読んだとき前も同じものを読ませてもらったのに今回は違うことを感じた。皿澤君の病の底にある叫びがエバッチたちの叫びの琴線に触れたことそのことを想った。彼が前進友の会に出会って彼の心にあった怒りを吐き出すことが可能になったんかなと思った。それからえばっちがなんでこんなにいやなことを“うんこくらえ!”というほどに言い続けるのか、前より納得がいった。一見平和に暮らしているのはいろんなものを見ないように聞かないようにして何か募金とかあったら私はするわでも近づかないでねみたいなうそにそんな中流の嘘に日本人の嘘に突き付けるためなんだね。えばっちの善意あくの段八か条はうける!かわいそうねってふざけんなだよね。最近も福島はかわいそうねっていうやつには“ばーか放射能喰らって死ね”と思う。それをなかなか口にできないのにせいぜい言っても”福島のためにやってんじゃありません、自分のためだ”くらい。
 
 えばっちはすがすがしいまでにいうんだよね。私たちの間で流行っている言葉でいうと”めちゃくちゃドライブかかってんなー!!“です。で、そういうことが原発のある、お金があれば何でも買える、精神障碍者や見たくない者にふたをし続ける、素晴らしく危険な、人を人とも思わないさらには目障りな奴は死んでくれというこの社会の礎をなしているんだ。それからきょーさん革命ときーさん革命は言葉はちょっと似ているが違うのが残念だと思った。福島の椎名さんはこれだけのことをやられてこちらが狂わないのはおかしいと語る。もっと狂気をもって政府に迫ろうという。まともに迫ってられるかという。椎名さんをえばっちにぜひ会わせたいものだ。彼女は鬼気迫るかんしょ踊りで国会に迫った。日本中に世界中にこの禁止された(あまりの激しさに戦後占領軍が禁止したらしい)民衆の踊りを広めてるドライブがかかりまくりのへんな65歳。あと、えばっちがあらためてすごいとおもうのは言葉も自分たちで作っているということ。一番最初にキーサン用語集と業界用語集があってとてもよかった。言葉も自分たちのものにしていかないとだめだと思う。ずーっとそれをやってきてるんだなーーと。

 同じだけど違うんだ。の意味。連帯という言葉の陳腐さ。裏切りにはもうやられすぎて疲れちゃったこと。だから期待しない方がいいと心から思うこと。えばっちたちがせーかつとうんどーの歴史の中で得たこのずっしり重たいほんとのことに対して何にも言えない。
だけど、けれども、そうだけど、やっぱこんななかでドライブかけていくしかない。
変な本をかいてくれてありがとう。         

とみたなおこ



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 それから、先日写真で掲載された『救援』誌の書評を文字起こししたものも再掲します。
 この書評も大変内容の素晴らしい書評です。


えばっちこと江端一起さんは京都の前進友の会という患者会で仲間とともにセーカツし、闘い続けている一病者です。ヤクザが「ヤーサン」なら、「キーサン」は・・・。

 江端さんの言葉は難解なところもありますが、その論旨は常に明快です。冒頭に用語集も出ていて、初めて読む人にも解説付きで読みやすくする努力はされているようです。

 えばっち「発狂」のわけの項で、京都簡易保険局の職場での合理化施策が猛威を振るう中で彼が職場の管理強化にささいな抵抗を示したことから管理職から徹底した嫌がらせを受け、停職処分を受け、[うつ]で入院することに。その体験の中で、「労働者性と病者性」として彼の提起する視点には何か今の労働運動の行き詰まりを突破するヒントがあるように思います。〈共闘共生〉と言うことはそれほど生やさしいものではないし、「病者解放」の中に今日の労働者の置かれて職場状況を変革するカギがあると思うのです。「病者解放」なき「労働者の解放」はありえないというか、病者を差別し排除していく労働運動、病者性を欠落した労働運動は今のがんじがらめの職場の分断支配を根底から変える力を持たないと断言できると思います。

 病者のセーカツを基本として仲間を大切にする運動こそが地域の患者会運動で、彼は一貫してそのことにこだわり続けています。「飯喰ったか」「寝れたか」「休めてるか」「クソはしたか」「クスリはおうとるか」と互いに声をかけあって生きることが、自立し支え合って生きることだと、キーサンの「セーカツと想い」こそすべての基盤なのです。
 
医者や医療従事者との関係にも徹底したこだわりがあります。医者や医療従事者を育て鍛え上げるのは患者会であり、彼らに期待し信頼してはならない。見えにくい悪事を働くのは「改革派」「良心派」として理解を示しながら、結局はよりましな政策提言路線を進めることにしかならないと喝破しています。

 この本には多くの病者仲間からの寄稿や愛媛県松山の患者会「ごかい」の一員としてキーサンと共に活動する笠陽一郎医師や前進友の会の島田能孝医師も原稿を寄せています。

 そこで指摘されているのは統合失調症と診断されている患者の多くは実は発達障害であるということです。発達障害の人を統合失調症と誤診して、大量の薬を処方しているというのです。さらに早期介入として小学校や中学校にスクールカウンセラーを置き、早期に病気を発見して医療を受けさせようとする政策も進められているのですが、今のがんじがらめの管理教育の中で反逆し、反発、逸脱していくことを許さない構造と、若い人に大量の薬を飲ませていくことの恐ろしさを感じます。

 笠医師を中心に編集された「精神科セカンドオピニオン」とセットで読むことをお勧めします。つまり今の精神医療はいかに誤診と誤処方が多いことか、実際に「セカンドオピニオン」によってこれまでの多剤多量の処方で症状が悪化した事例がいかに多いかが検証されています。

 ともかく精神病者が電気ショックや保護室、四肢拘束、さらには医療観察法による保安処分攻撃など医療の名による拷問・虐待を受け続けていることに対し、ストレートな怒りを解きはなっていこうではありませんか。
 この本は救援連絡センターでも扱っています。