ピグ恋~ピグから始まった最後の恋~ -16ページ目

或る夏の記憶(1)



「お父さんしっかり!」
「あたしたちがついてるから!!」


手術台に乗せられた父はいつもに増して小さく見えた。
父の顔を覗き込み手術室へと連れて行かれる間際に、繋ぎとめるように呼びかける。

「お父さん、待ってるからね」
「はいよ」

父の諦めたようなゆっくりとした返事に小さく頷き、尚も呼びかけたい衝動に駆られていたが手術衣を着た人とはまた別の看護師さんがそれを遮る。

「執刀医師から聞いているとは思いますが、手術は6~7時間の予定です。こちらのアラームを持って院内にいてください。終わりましたらこれが点灯と音でお知らせしますので3階までお越しください。手術の経過を医師より説明します。」

前日、執刀医師から聞いた手術内容は、長年に渡る人工透析と高齢という状態からいって極めて難しい手術になると聞かされ、それに伴う合併症や、輸血によってもたらされる血液反応など、ありとあらゆる危険の可能性を示唆された。
それが医師に課せられた説明責任とは解ってはいても、祈るしかない立場からすると、いくらなんでも脅しすぎではないかと疲弊するほどで、前夜はとても眠れなかった。

つまり、切開してみないと分からない。
本人の体力次第なのでやってみないと分からない。
成功したとしても術後どのくらい回復するのかも、もっと言えば現状維持かもしれないし、それは神のみぞ知るといった話で、私は医師の言う危険性よりもその表情や声の抑揚から手術の難易度を推し量ることしかできずにいたのだ。

そして今、手術台に乗せられた父を見送りながら、同じようにすがる面持ちで看護師さんの言葉を聞いていた。

「お願いします」
「父をお願いします。お父さん、頑張ってよ」

再び「はいよ」という返事を聞いて手術室に消えてゆく父を名残惜しく見守る。
生死を統べる手術室から冷えた空気が流れ込み足元に淀んだ。

「預けたのだから、命をお医者様に任せた以上、どんな結果になろうとそれを受け止めるしかないね」
「うん、もぅしょうがない。祈るしかない」

なんて無力だろう。と、思うと同時に医者という聖職に畏怖の念を抱いた。ちょっとした傷から流れ出る鮮血にさえ飛び上るほど慄くあたしにとって、いったいどんな勉強をすれば神経や血管の合間を縫って鉄板や無数のボルトを体内に埋め込むことができるのか、どんなにレントゲン写真を前に施術方法を説明されても理解しえないことが益々不安を募らせた。

母と慰め合いながら父の病室がある6階のラウンジに移動する。
二つの窓を挟んだ真ん中にデジタルテレビと本棚が設置されてあり、車椅子の方でも悠に見れる幅でテーブルが4卓とそれぞれに椅子が揃っている。
眺めの良い窓際には入院患者と思しき初老のご婦人が外を眺めていた。

あたし達は手前のテーブルに荷物を置いて長丁場に備える準備をする。


「なんかここも寒いわ。お母さんは1階の陽の当たるラウンジに行くけどサラはどうする?」
「ふぅ。今から7時間か。長いね。あたしはここに居るよ。本を持ってきたんだ」

こんな時でもなければ読み切れないような分厚い単行本を鞄から取り出して見せた。

「安田の叔母様が来るって、昨日電話あったの。お父さんの手術が終わるまで一緒に居てくれるって。サラも気が向いたら珈琲でも飲みにいらっしゃい」


母は既にあらゆることの覚悟を決めたようで、いくらかさっぱりとした面持ちでラウンジを出て行った。


何を持って覚悟というのか。それすらも分からなくなるほど眠れずにいろんな場面を想像し、ふと涙が零れ落ちそうになるのを堪えたりしながらやっと眠りに落ちたのは新聞配達のバイクの音が聞こえてきた頃だった。

椅子に腰を掛け、本を捲り2、3ページ読み進めてみるものの、ストーリーがまったく頭に入ってこない。
睡眠不足のせいだ。あたしは眠いんだ。かといって、父が生死をかけた闘いをしている時にうたた寝なんかして、執刀医師が言っていたように術中〝もしも〟のことが起こったらそんな自分を悔やむだろう。
とはいえ、自分が何をできるわけでもない。
深夜に行われるロンドンオリンピックを観ず、翌朝勝敗の結果を知る虚しさを思い浮かべていた。


辺りを見渡し携帯が使えるか確認をしてスマホを取り出した。
電源を入れるとメール着信が1件。

「アマネ・・・」

思わず呟く。


『おはよう。今日は親父さんの手術の日だったな。
あの世にいるうちのお袋に
「かつての、向こう三軒両隣だったサラの親父がピンチだ。
まだ来るのは早いと追い返してくれ」と氣を送っといたから大丈夫だ』

窓際に佇んでいたご婦人の視線を感じて、その文面に涙が溢れ出そうになるのを堪える。すると再びスマホが振動した。今度はアキトだった。

『そろそろ手術室に入った頃かな。
昨日親父さんを見舞った時、俺にこういったんだよ。
「手術が成功したらドンペリ飲ませてくれ」ってさ。
まったく、そんな時でも酒かって。本当に親子だな。
親父さんは大丈夫。
勿論退院祝いはドンペリだ。
仕事が終わったらすぐに駆けつける。サラも気を強く持て』


「アキト・・・」

父の命を応援してくれている。
何の根拠もない〝大丈夫〟だったがその言葉に救われ心がほっこりと温まってきた。
瞼の重みを感じ、今にもテーブルに突っ伏そうとした時だった。


「アマタ、アキヒト?」


アマ・・・
アキ・・・・えぇ?

驚き、声のする方をゆっくりと振り仰ぐ。


窓際に佇んでいたご婦人がどこか遠くを見ながらその言葉を小さく反芻し、

「アマタ・・・アキヒトさん!!」

今度ははっきりと分かる口調で言ってから何か言いたげにあたしをみている。

あたしは心の中で「微妙に違いますが」と呟き顔を左右に振っていた。

「あなた、サラちゃんっておっしゃるの?」

こちらを見て言っているが、他にサラという人がいるのではないかと辺りを見渡す。
先刻の、母との会話がしっかり聞き取られていたようだ。
だが、どう首を傾げても母より少し年上に見受けられるご婦人との面識はない。
親戚や顔見知りだったら母と一緒にいた時点で、母か若しくはご婦人の方から声を掛けていたに違いないし、それに反応したのは「アキト」や「アマネ」という言葉だったから聞き間違いで人違いであろう。


ご婦人は笑みを浮かべながら点滴の袋をぶら下げた方の腕で手招きをした。

「こっちへいらして」

訝しく思いながらも生憎あたしは老人を邪険に扱うような教育は受けていない。

「これ」と言って黄色い点滴袋を指し「中身なんだかわかる?」と訊ねてきた。
質問の意図が分からず愛想笑いを浮かべていると、

「ビールよ」

ご婦人は口元に手をやって、ふふふと笑った。

そんなはずはないと思いながらも、そのユーモアは身に覚えがありどこか他人に思えなくなったあたしは素直にご婦人の前の席に腰をおろした。
放言癖があるのか暑さで若干弱っているのか、そんなことを思いつつあたしは夢でも見ているようだなと思う。

ラウンジの壁掛け時計で時刻を確認した。

午後1時を回った辺りだ。


「私もね、サラって言うのよ。更科の更って漢字一文字」

アマネやアキトに反応した上に、名前がサラ!?

驚くあたしをよそに自分の鼻先を指しながら屈託なくそう言い放つと、ご婦人は窓の外を向いてあたしには見えない何かをみているような表情を浮かべてから、
「小松更。わたしの名前は小松更です」といって会釈をするご婦人にそれが自己紹介だと気づき慌てて「藤井更紗です」と会釈をした。

「更とサラサちゃんね!うふふ。ご結婚はなさった?」
「え?あぁ、はい。一昨年」

今しがた自己紹介をしあった仲だというのに、いまだどこかで面識があったのではないかと自分の記憶の引き出しを片っ端から開けてみるものの、360日二日酔いのあたしだ。酒の席での記憶は大半が喪失されているので雲を掴むようなものだと諦めた。

「幸せなのね?」
「え?ええ、まあ」
「それは良かった!あぁ、本当に良かったわ」


狐につままれているのかと自分の頬を抓りたくなった。


ご婦人は薄く開いた目に涙を溜めている。


〝サラ〟という共通点だけで他人の幸せを悦び涙まで浮かばせるご婦人に、果たして日本にそんな風習があったっけなどと思いつつ、きっと自分の娘や親戚と重ねあわせているのだろう。何か理由があって、自分に面会に来る誰かをここでひとり待ち詫びて、話し相手が欲しかったのだろう。などと理由づけをしていると、再びご婦人は窓の外に視線をやった。

屹立(きつりつ)した高層ビルの向こうには夏の雲が悠然と漂っている。生ビールのジョッキか、はたまたお饅頭だろうか、何か好きなものを雲に思い浮かべたように少し頬を赤らめながら言った。


「若いころのロマンスを思い出すわ」




つづく