柔道の阿部兄妹の金。。

そして。。姉妹での金。。おめでとう!

「姉妹で金」は。。

「階級を変えてでも」という。。

お姉ちゃんのあきらめない気持ちと。。

妹の再起。。かと。。

日テレの解説によると。。

母親もレスリングをやっていたけど、そのころは五輪の種目に

女子レスリングがなかったらしい。。

そうそう。。

4連覇した吉田沙保里さんがインタビューした時。。

それまで笑顔だったけど。。涙が。。

「沙保里さんの凄さを・・あらためて分かりました・・」

連覇への辛さ。。大変さが伝わった。。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/f735491cf9cdedbc8ebe56001c8f7c55f7ce36ce?tokyo2020

川井梨紗子が五輪連覇! 

夏季同一五輪で姉妹金メダルは日本史上初の快挙

◆東京五輪 レスリング女子57キロ級 決勝(5日、千葉・幕張メッセ)  

女子57キロ級・川井梨紗子(ジャパンビバレッジ)が金メダルを獲得した。

決勝でイリーナ・クラチキナ(ベラルーシ)を下し、五輪2連覇を飾った。

今大会は妹・友香子が62キロ級で初の金メダルを獲得。

夏季五輪での同一大会での姉妹金メダリストは、

日本史上初の快挙となった。  

姉が勝利すると妹・友香子はスタンドから両手を振って喜びあった。  

前回の16年リオデジャネイロ大会は階級を上げ、

63キロ級で金メダルを獲得したが、今大会は主戦場に復帰。

58キロ級で五輪4連覇中だった伊調馨との壮絶な代表争いでは、

19年6月の全日本選抜、7月のプレーオフで連勝し、

世界選手権57キロ級代表に選出。

同大会を制し、東京五輪代表を勝ち取った。

連覇を狙う東京五輪は、初戦でファトゥマタヤリエ・カマラ(ギニア)を

8―2で快勝発進した。

2回戦はホンゴルズル・ボルドサイハン(モンゴル)に7―0で順調に勝利。

準決勝は、リオ五輪53キロ級金・マルーリスとの五輪王者対決を

2―1で制し、決勝に駒を進めた。  

前日(4日)の友香子の62キロ級の決勝戦は、スタンドで見届け、

悲願の瞬間には涙。妹の雄姿に自身も力をもらった。

「東京五輪で姉妹金」は、代表に決まったときからの目標。

重圧かかる大舞台で、世界最強の姉妹が輝いた。

 ◆川井梨紗子(かわい・りさこ)

1994年11月21日、石川・津幡町生まれ。26歳。

89年世界選手権53キロ級7位の母・初江さんがコーチを務める

クラブでレスリングを始める。13年に至学館大へ進学し、

4年時の16年リオ五輪で63キロ級金メダル。

17年に卒業し、ジャパンビバレッジへ。

今年6月の全日本選抜、7月のプレーオフで伊調馨に連勝し、

世界選手権57キロ級代表に。同大会を制して東京五輪代表に選ばれた。

妹の友香子(至学館大)は62キロ級の東京五輪代表。

父の孝人さんもグレコローマンの元学生王者。160センチ。

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https://news.yahoo.co.jp/articles/a2eb9d8fe58f5a03b16cc5fa30d7a5508f71c08b?tokyo2020

川井梨は試合後のインタビューで

「最後の1秒まで相手から目をそらさないと決めていた。

きのう友香子にあんな試合を見せられたら、やるしかないと思ったので、

よかったです。こんないい日があっていいのかと。

この日のために長い間色んな思いを抱えて頑張ってきていたので

いい日です、きょうは」

と喜びを表現した。  

吉田沙保里氏からテレビインタビューで2連覇をたたえられると、

「沙保里さんのすごさが改めて分かりました」

とみるみる涙があふれた。

「こんな幸せな日があっていいのかってぐらい…、夢みたい」

と感激に浸っていた。  

夏季・冬季通じ、18年の平昌五輪でスピードスケートの

高木菜那、美帆姉妹、今大会柔道の阿部一二三、詩

に次ぐ3組目の「きょうだい金メダリスト」となった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/d2b1d454257e82e19f36d0d5b9296df359381c98?tokyo2020

「2人で五輪に出よう」―。

共にジャパンビバレッジに所属する川井姉妹(梨紗子&友香子)には

たった一度だけ、言葉に出してそう誓い合った日がある。

2015年秋、新潟県十日町市での代表合宿。

ある日の夕食を終え、どちらからともなく夜の道場で話し込んだ。

妹・友香子に向かって、姉・梨紗子はこう語りかけた。  

「リオ五輪から東京までの4年間で何があるか分からない。

誰かがけがをするかもしれないし、

誰が急成長するかも分からない。

だから2人でできるところまでやってみよう。

2人で後悔ないようにやってみよう」  

当時の友香子は五輪どころか、日本一すら未経験。

16年リオデジャネイロ五輪へ突き進む梨紗子は雲の上の存在だった。

しかし、この言葉はなぜか胸にすうっと入った。

「今すぐ無理と決め付けなくてもいい。できるところまでやろう」。

そう思えた。  

数え切れないほどけんかもした

でも、姉はいつも友香子にとって最大の理解者だった。

高校3年時のインターハイ決勝で1点差で敗れ、

大会後もショックを引きずっていると、梨紗子に

これが全てだと思ってやってきただろうけど、

これで終わりじゃない。

この先、大事な試合はもっとある」と諭された。  

練習では姉の動きを自然と目で追った。

友香子は「こんなレスリングがしたいとずっと思ってきた。

梨紗子のレスリングを見て、

タックルに入る前の組み手を強化したいと思った」と語る。

今大会でも組み手争いで優位に立ったことが、

金メダルという最高の結果につながった。