かつて一世を風靡した、ジャーナリスト落合信彦氏の教育論で、出版は2000年のもの。
著者は毀誉褒貶の激しい方だが、中々愉快な内容であった。



フーテンの寅さんのような父親と、生真面目な母親から受けた教育を皮切りに、小学校・中学校での体罰当然という時代の教育。父:「・・・お母さんは冗談の通じない人だからな」母:「・・・何言ってるの?あなたと結婚したじゃない」、本書中のエピソードではないんだが、可笑しかったので氏の両親の会話としてよく覚えている。。


夜間高校時代のアルバイトと英語その他の強烈な学習。この時代は、独学と時間を無駄にしない、という「自分で自分を教育する」、そんなエピソード満載だ。



それから米国留学での4年間とその間のボランティアとしての「出前授業」が印象的だ。今でもそうだが、著者留学時の1960年代初頭のアメリカも「貧富の差」が大きく、黒人の最下層には読み書きがままならない、そんな人々がいたようだ。大学の授業での興味深い内容(P206~)を以下に。


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(引用開始) 科目は、「憲法と法律」(コンスティテューショナル ロウ)




・・・例えば、教授がアメリカ独立戦争についての解釈をせよ、という問題をだす。



これに対して、独立戦争の闘士のひとりだったパトリック・ヘンリーの言葉(神よ、われに自由を与えよ。しからずんば死を与えよ)を引用して、イギリスの圧制に絶えかねた人々が自由を求めて立ち上がった純粋な解放戦争であったと答えたとする


高校生ならこれでパスできる。


しかし、大学生ではせいぜいD判定。教授の機嫌次第ではFに。。。


なぜか?


独創性も創造性もなくイマジネーションを掻き立てる要素がゼロ、ということのようだ。



理想的な答えは、以下。



“当時の植民地の指導者たちは自由という言葉をよく使ったが、それは一般人を独立戦争に向けて奮い立たせるのが目的であった。

その証拠に彼ら指導者たちは奴隷制を維持し、宗教裁判でウィッチ・ハンティングを行い、アメリカ・インディアンを殺して土地を奪っていた。

自由などという言葉はもともと単なるレトリックにすぎなかった。

彼らの本音は経済分野でイギリスの頚木(くびき)から抜け出すことにあった。茶、綿花、穀物などの物資をイギリスに巻き上げられ、植民地はイギリスにとって金の卵を産むアヒルに過ぎなかった。

その状況から脱するには独立するのが唯一の道だった。

だから、動機は経済。

人間は経済の動物といったマルクスの言葉を完璧に証明したのがアメリカ独立戦争であった。”


この答えの味噌は、一般アメリカ人が聖戦と信じている独立戦争とマルクスを結びつけたところにある、とのこと。内容もある程度納得がいくので悪くない、という。


要は、正しいか正しくないかではない。あくまで独創性やイマジネーションが歴史的事実を織り交ぜてどこまで発揮されるのか、なのだそうだ。


・・・このようにクラスでは政治、経済、歴史、哲学、宗教などの知識を駆使して自分の考えを確立することが要求される。(引用終わり)




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10数年ぶりの再読。その間の個人的な心境変化は、頭角を現す男性がどこか「胡散臭い」のは必然、というものだ。ハッタリを利かせる思考回路構築、人はどんな風に学習意欲を向上させるかという観点からも面白かった。※※ 「ハッタリ」を「ディベート能力」と言い換えても悪くないのだが、ニュアンスが違うし、そういう行儀が良いイメージで述べたいわけではないので、あえて「ハッタリ」と記述。※※



赤文字で強調した、「正しいか正しくないかではない」の箇所が印象的だ。これを僕なりに解釈すると、人が、自分を通さないとならない場面では、そのための根拠を要求されるのが一般社会。


学歴であったり、資金であったり、人脈であったり。。


その際、その瞬間手元にそれらがない。困ったね、という状況を打破するのが、ハッタリ的な発想なのだと思う。もちろん、「ないものをある」というのではなく、「あるとは言わず、あたかも持ってる(のと変わりない)」または「今はないがいずれは持つだろうと思って貰える」そんな場を作れるか否か、ということだ。毎度毎度、こんなことをしてるとシンドイし、継続するのではなく、局面打開に成功した後、必死で穴埋めする必要はあるが。。


その為の「頭の体操」としての学習、という観点を与えてもらった。