M・J・アドラーとC・V・ドーレンによる『本を読む本』(講談社学術文庫)を読みました。
文字通り〈本を読む本〉でして、本の読み方を指南しております。
1940年初版のロングセラー本ですが、ノンフィクションの教養書の読み方を主に説いておりました。
第3部で〈文学の読みかた〉に突入するんですが、此方が王ちゃん的には大変興味深かったです。
中で〈文学を読むとき、してはならないこと〉と云うパートがありまして、そこで記されてたのが…
「文学の影響力に抵抗してはならない」
…って事。
積極的な受け身となって、心が動かされるままにするのが大事だそうな☆
あと「一気に読む・速く読む」事が大事で「作中人物になりきって、どんな出来事も素直に受け入れてしま」わなければならないんだそうです。要するに「余計な事を考えずに読め」って事なんでしょう。
戯曲を読む時は…
「演出家になったつもりで、台詞の言いかたから、身のこなしまで、俳優たちに具体的に指示しているつもりで読んでみる」
…事が良いらしく「やってみると、とてもおもしろいし、得るところも大きい」そうな☆
それを聞いたら、シェイクスピアやチェーホフを再読してみたくなりました♪
詩の場合は、第1に「一息につづけて読むこと」、第2に「繰り返し、また声を出して読むこと」が重要なんだそうな…
「本当に詩を理解するには、繰り返し繰り返し読まねばならない。
一篇の詩を味わうのは、一生の仕事である。
いつも読んでいなければならないというのではむろんない。
すぐれた詩は、汲めども尽きぬ泉のようなもので、何度読み返しても味わい尽くせるものではない。
その詩を離れているあいだにも、読んだことによって、知らず知らずのうちに、多くのことを、われわれは学んでいるのである」
…なんて教えられたら、久々にボードレールやランボーに触れたくなりました♪
最後の最後で〈生きることと精神の成長〉について語られてますが、此処がとても深いです…
「肉体にはさまざまの限界があるが、精神に限界はない」
「精神の鍛錬を怠ると、“精神萎縮”という代償が待っている。
それは精神の死滅を意味する恐ろしい病である」
「われわれのまわりにあるテレビ、ラジオをはじめ、さまざまの娯楽や情報源も、すべて人為的な突っかい棒にすぎない。
このような外からの刺激に反応していると、自分の精神も活動しているような錯覚におちいる。
だが、外部からの刺激は麻薬と同じで、やがて効力を失い、人間の精神を麻痺させてしまうのだ。
自分の中に精神的な貯えをもたなければ、知的にも、道徳的にも、われわれの成長は止まってしまう。
そのとき、われわれの死がはじまるのである」
…最後のお言葉は、とても1940年に書かれたものとは思えません。
今、大変売れている『スマホ脳』と云う新書と、ほぼ同じ事が書かれているのですから。
いやはや、王ちゃん大変勉強になりました☆精神の鍛錬を怠って精神萎縮しないよう、これからもなるべく本を読むようにします!