司馬遼太郎の『国盗り物語』(新潮文庫)の第3巻・第4巻を読みました。
全4巻でして、1・2巻が斎藤道三の前編・後編で、此の3・4巻が織田信長の前編・後編です
ただ、織田信長の物語と云うより、完全に主役は明智光秀でして〈明智光秀から見た織田信長〉と云う物語でした。
第3巻の途中で斎藤道三が亡くなるのですが、悪行の限りを尽くしてきたにも拘わらず、1・2巻と併せて千ページ以上も付き合っていると、ずっと付き添ってきた小悪党の赤兵衛に向かって道三が「苦労」と、ねぎらいの一言を掛けた場面では、目頭が熱くなりました。
最も印象に残った箇所は、信長と帰蝶との会話で…
信長「ぶじに生きて戻れば、今夜、そなたを抱いてやる」
帰蝶「不吉なことを」
信長「ばかめ。人の世はもともと、不吉なことだらけだ」
帰蝶「変わったことをおおせられますこと」
信長「なんの、あたりまえの事をいっている。
人の世が吉であれかしと祈っている世間の者こそよっぽど変人だ」
…と云うもの。
此の考えで生きていれば、変に他人に期待をして、勝手に「裏切られた!」と思うような事がなくなると思います。凄い思想。
あと、信長が佐久間信盛父子をいきなり追放した時の手紙が強烈…
「お前たち父子は、五ヵ年も付城に在城していながら、善悪の働き、これ無し」
「光秀、秀吉をみよ」
「しかるにお前はなにもせぬ。
合戦が下手なら調略(謀略)という手もある。
調略にはむろん工夫が必要だ。
その工夫が思いつかねばおれのもとに来れば教えてやるのに、過去五ヵ年のあいだ、一度もそれを相談しにきたこともない」
…と云うものですが、コレ「いきなり追放して非道い!」と思いつつも「…信長の云ってる事も最もかな?」と思ったりしました。
そうです。自分で工夫が思いつかないのなら、出来る方に聞きに行けばいいのです。その怠慢こそが、信長にとって〈悪〉なのでしょう。
明智光秀の懊悩と共に、トップに立つ人間の器と云うものを否応なしに考えさせられました。
重厚でありながら、エンタメ感も抜群の本書。どちらかと云えば、斎藤道三編の方が、ドラマチックに感じられるかと思われます。
此の夏休みに、どっぷりと浸ってみては如何!?超絶オススメ!!
これから私は『梟の城』を読んで、からの『太閤記』『覇王の家』と進む予定でおります☆