最近、よくないことが続くので占い師に見てもらったら、「先祖供養が足らず、あなたに祟っている」と言われました。供養をしてもらえば、よくなるんでしょうか?
「人生山あり、谷あり」とよく言われます。そして、まさに「谷」にある時には、誰しもが不安でワラをもつかみたい気持ちになります。そのような時に、「こんなことがあるのは、先祖が祟っているからだ」とか「水子の霊がとりついている」といわれますと、そのようなことはあるはずがないと疑ってみるものの、もし本当にそうだとしたらと考えてしまいます。そして、先祖の霊が本当に自分を苦しめているというような気になってきてしまうのです。冷静に考えられない状況ですから、苦しみから逃れたい一心で、「供養」と称するお祓いをしようとする事になってしまうのだと思います。
しかし、亡くなった方が罰を当てたり、祟ったりすると考えることは、けしてよいことではありません。子孫に祟りものにされ、お払いを受けるご先祖は、さぞかし悲しまれるのではないでしょうか?実は先祖が迷っているのではなく、あなた自身が迷っているのです。このままではますます自分自身の迷いの中に埋没してしまいます。仏教は、自分自身の迷いや弱さを気づかせて、そんな弱い私たちに新たな力を与えてくれ、救ってくれる教えです。私たちは、自分たちに都合が良いときは、「自分の手柄」、少しでも都合が悪くなると、「誰かのせい」ときめてしまいがちです。仏さま(あみだ様)は、まず、自分自身のありのままを見つめなさいと示してくださっています。辛くとも自分自身とよくよく向かい合ってみると、やはり自分の中に原因があったことに気づきます。そしてまた仏様(あみだ様)は、私がいるのだから、心配ない、自分の力で迷うことなく前に進みなさいと示されています。現状を解決するには、自分自身ときちんと向かい合わなければいけないのだ、と解ってくることとおもいます。
自分自身の迷いに気づくことなく、ただ、他に原因を求めている間は、悩みの解決の方向には、進みません。できるだけ早く、真実の仏教の教えに出会っていただきたいとおもいます。
法話情報大辞典
雄山閣 出版より
お話の通り、私たちは、不幸が続いたりしますと、つい何かに頼りたくなります。
小さい頃は、お母さんがいます。学校では、先生がいます。学校をでると、会社や上司、なによりお金にたよりがちです。しかし、お母さん、兄弟、上司、お金などで解決しない問題も人生の中にはいっぱいあります。難病、子供のこと、
夫婦のこと‥・・・。
本当に頼れるものはありません。日々安心して暮らせるようになるには絶対的に信頼できるものがいります。それが真実の仏教の教え(真宗では阿弥陀様)だろうと思います。おれが、おれがという私に、自分ではどうしょうもない、どうもできない私に気づかせてくれ、そんな私を日々安心に暮らせよう救ってくれるのが仏教であろうとおもいます。なかなか、姿の見えない仏さまを絶対信頼する、頼りにするというのは本当にむずかしいことですが、早くそうならなければならないし、そうなりたいものです。